まだ5月なのに今年はもう梅雨入りしたそうで、そういえば今週はまだ一度も洗濯物を外に干していない…。
そしてちょっと前より気温が低くなってて、ちょっと肌寒いので半袖か長袖か迷うという、うっとうしさ。
愚痴っていても仕方ない(笑)
今月のプライベートレッスンは3話でした。
語り(日常語)
「ぶんぶくちゃがま」語りの森HP → こちら
語り
「三枚の鳥の羽」『語るためのグリム童話4』小峰書店
語り(日常語)
「きつねの恩返し」『日本の昔話3』福音館書店
今月は語りが3話。
1話目の「ぶんぶくちゃがま」は、残念ながら参加できずに聞けなかったのですが、語りの森HPの「ぶんぶくちゃがま」のページをみると、こちらの話は2つある型の2番目ですね。
そして、3話目の「きつねの恩返し」が1番目の型で、期せずして両方のぶんぶくちゃがまが上がったということで、1話目が聞けなかったことがなんとも残念でありました。
2話目と3話目の語りを聞いていて、わたしの頭に残っているほかの方の同じ話の語りも思いだされてきました。
それは、「ほかの人は、こんな感じだったなあ~」というぼんやりした記憶だったり、目の前の語りの中でわたしのツボに入った好きな箇所との比較だったりするのですが、どの人の語りもいいなあと思いました。
同じテキストなのに語り手さんが変わると違ったふうに感じるというのはどなたも経験があると思います。
今回もそうなのですが、特に「みんな違ってみんないい!」と思いました。
細かいところは違う語り方なのに、それぞれにいいなと思うのはなんでかなと考えますと、今のところ思いついたのは語り手の伝えたいという気持ちかなと思いました。
日頃漠然と、語り手さんの語りたい気持ちと伝えたい気持ちは、別物ではないかなと思っています。
まったく一個人の私的な考えなのですが、違うような気がしています。
わたしも話を選ぶときはもちろん好きな話を語りたいと思って決めるわけです。
だからこの時点では語りたいなんですけど、覚える時点からは伝えたいに変わるんです。
どうやったら伝わるかなと思って、テキストを修正したり、語りの練習をしたりしていると思います。
話の背景を調べるときも、話のメッセージを知ったらそれを伝えたくなります。
その間に、話を読み込んでメッセージをある程度つかんでいるから聞き手に伝わるのかなと今回語りを聞いていて思いました。
語りたいというのはテキストを覚えればできるけれども、伝えたいというのは話を理解しないとできない、という違いなのかな、とかそんなことを感じました。
だから、それぞれの語り手さんの語りに、テキストが同じでもそれぞれの良さがにじみ出てくるのかなと思いました(^^)
で、ひとつ前のヤンさんのブログで、「耳をきたえる」っていうのが出て、そのなかに「伝わるように話す」ということばがあったので、やっぱり伝えるっていうことが大事なんやと再確認したのでした~
ジミーさん、報告をありがとうございます!
う~ん、「伝えたい」気持ちO(∩_∩)O
伝えたい気持ちがあったからこそ、昔話は伝わってきたんですよね~
ヤンは最近は、語り鯛より伝えたいで、語ってますね。
以前は語りたくて語ってた古いレパートリーも、いま、伝えたい気持ちで練習しなおすと、見えてくる景色とかテーマが、以前と違ってくる。それが楽しい~
あ、鯛じゃなくて、たい!