1月もちょうど半分が過ぎたころ、新学期がスタートし、おはなしモードに戻すためにちょうど良いころ合いの勉強会となりました。
再話再検討 「天狗のうちわ」
原話題名:「鳥うちわ」 原話出典:『丹波和知の昔話』稲田浩二 編/三弥井書店
まず、再検討してこられたテキストを読んでもらいます。みなさんどうですかと問われて、よくわかる、聞きやすい、おもしろい、などの感想がでます。私たちは、どんな話か知っていますし、前のテキストと比べてというその基準があります。
【検討した箇所】
心中文で二つの事(まだ起きていない)が一度に書かれていて、二つ目の展開を先に言ってしまっているので、心中文を短くするか、無しにして、ストーリーを順番におさえて行動で表す。
心中文は説明になる→人物の行動をつなぐだけで心の中が分かるようにする
てんぐの誤解(サイコロを振ったらお金が出る)を利用して、主人公がウソをつき、うちわとサイコロを取り換え、その後もうまいことだまして逃げる…その面白さを伝えるようにする。笑い話は先に落ちを言わない。その時点で聞き手に分かっていなくていい、話が進むうちに聞き手が自分で気づく。
初めて聞く聞き手の感情はどう動いていくか、何を思うか、ここで笑う、ここで理解する、再話の視点を確認しました。原話を違う形に変える事が再話です、とヤンさんが言われました。この短い言葉の中に再話の重みと深みを感じます。
再話検討 「聖アントニウスがこの世に火を持ってきた話」
原話題名:同じ 原話出典:『新装 世界の民話13 地中海』小沢俊夫 訳/ぎょうせい
主人公は先を見通すことができる聖者だが、ストーリーはすべて偶然として進む。地獄から火をどうやって取ってきたかが、きちっとわかるようにする。一緒についてきた豚が、ブーブーいいながら地獄を走り回り大活躍するが、豚は特別な豚ではない。そだを切って作った杖を持っていくが、杖も魔法の杖ではない。それなのに、その二つだけで悪魔から火を取る。その二つを活かして再話をする。状況、場所、時間を一致させていく事で奇跡めいてくる。
原題では「この世」、原話では「この地上」を使っている。この世は時間的な奥行きもある言葉。題は訳者が決めている。今までなかった火を聖アントニウスがもたらすのは、この地上か、この世か?使う言葉を決めて、題名と話と同じ言葉に合わせる。
リズムの良い再話…リズムにも個性があって、語り手自身のリズムがある。それを再話にも活かすとよい。それに合わせて、わかるように大きく変えてもよい。
「くまで」が出てくるのですが…聞き手は一瞬だけくまでを想像する。ここでは「ぶたがひっくり返した肥料用のくまでを元に戻し、」となっています。解説を聞き逃してはっきりしないのですが。くまでは、背景に溶け込んでいるので、引っかからずに先に行けるということで良かったでしょうか?例えば「男はくまでを持ってっきました。」だと、くまでって何?と引っかかりやすいと。間違っていたら、どなたか訂正してください~。
「こうやって集まって勉強ができる時間を大切にしたいですね」というヤンさんの言葉から始まった勉強会でした。本当にそうですね。最終的には自分一人でも再話ができるようになることです。語法を勉強していく事で再話の方法も分かるようになるとのこと。(2/6オンライン語法「ろばの子」です)語法を活かした再話が、聞き手に届くものになる。まだまだ、難しいですが、他の方の再話を検討するのは、自分のものより楽しく面白いです!客観的に検討するので、気が付くことも多く、自分が選ばないかもしれない話からの色んな学びを頂けます。そして、皆さんで感じたことを発言するグループ再話は、学びの凝縮時間になります。生まれたばかりの赤ちゃんテキストなので、立って歩くまでを、皆さんであれやこれやと手を出す、わーわーやる、(おはなし自身はどんなことを思うでしょうね…)数ヶ月で歩き出すことができます。その後も完成はなくて、手を加え続けて変わり続ける。ほんと、子育てなんですね。私は、再話したおはなしをまだ覚えていない、語っていないので、そこを実感するために、そちらに向かえたらと思います。
次回は、来年度の原話提出もあります。クラスのみなさん、おはなし探しは進んでますでしょうか。どんなおはなしに出会えるか楽しみです。
次回:3月26日㈫
語れる再話をするって、やってみるとけっこう難しいでしょ。
じっと子どもを見ながら語るっていう修行を積んで積んで積んで、その学びから、再話の言葉を選んでいくの。
自分の中にことばを探すのではなく、子どもの中に探すのです。
そして、それいぜんのこととして、その話のすがたを明確にする。これには、類話探しや語法の発見が基礎になる。
あ、そや、2月の語法勉強会、まだ少ししか申し込んでないなあ。だいじょうぶ?
ごめんごめん、くまでの件ね。
話の中でとうとつに、わたしたちにとって普段聞きなれないし見慣れない「くまで」が出て来ます。ここ、原話のように「肥料用の」と修飾語がついているとそれなりにイメージして先に進めるけれど、修飾語無しの「くまで」だと、音(おん)が短いので、聞き取りにくい。耳がキャッチできないと、そこで聞き手の集中が一瞬止まる。「え・なに?」って。この間(ま)は無駄。そうならないために、ちょっとリズムがくるうけれど修飾語を付けたほうがいい、ということなのです。
ヤンさん、コメントありがとうございます。子どもの中に言葉を探す、おはなし会での五感の体験、一つになって子どもと自分を合わせるような感覚で再話するんですね。耳で聞いて分かるように、とはまた違った部分な気がします。言葉を使うのですが、言葉を使って説明するのではない、その采配ですね。一回のおはなし会、子どもたちから気づかせてもらえるような、語りの状態で挑みたいです。ふわーっとぺらぺらな状態。
くまでのこと、ありがとうございます!