リュティ理論を学んでいると、そのなかに、昔話には人間のあらゆる姿が映しこまれていると書かれています。
ヤンは、その考え方に癒されます。
ただ、あらゆる姿といっても、その具体的な姿を、ちゃんと見て、ちゃんと見つけて、伝えるのはとても難しいと思います。
きのう、再話クラスの勉強会があって、痛感した次第です。
きのうの内容は、そのうちジミーさんがここに報告してくださいますので、今は、それは置いておいて、さっき読んだ本の中で見つけたことを、ここに書きます。
トンプソンの『民間説話ー世界の昔話とその分類』
トンプソンさんは、話型番号ATのTさんです。ちなみに、Aは、アールネさん。
昔話を「超自然的敵対者」「超自然的援助者」「魔法と怪異」・・・と分類して説明してあってね、そのなかの「神々」の章に「願望の成就と懲罰」っていう項がある。
わたしたちが子どもに語るとき、最後に悪いやつが懲罰を受けるのを、どう語るか、話題になるでしょ。
そのヒントになることが書いてあった。
きのうの再話勉強会でもその部分をどうするかってことが、ヤンは気になった。
トンプソンさんはこう書いています。引用します。
昔話のよい語り手のひとつの目標は、悪が当然の罰を受けるのを見とどけることである。真の価値のないもの、または邪悪の行為を見破ることは必ずしも容易ではない。しかし人の心を探るもっともよいひとつの方法を語り手は知っている。それは無限の力をどう役立てるかを見ればよい。生来謙虚でやさしい人ならばその力はただ強味となるだけだが、傲慢な不人情な者ならばその力は必ず彼に破滅をもたらすことになろう。
昔話は極端に語るという法則があるため、日常現実に暮らしている私たちには抵抗があることが多いです。あいまいにしたくなる。
でも、「はっきり言わんと分からん」ことがある。
大事なことほどはっきり言わないとあかん。
真の価値のないもの、または邪悪の行為を見破ることは必ずしも容易ではないからです。
引用文を読むと、はっと気がつくことがあります。
それは、昔話の価値観と子どもの正義感が合致しているということです。
幼い子は、親や大人の価値観をオウム返しにしているだけのことが多いけど、小学校も中学年くらいになると、自分の中の本来の正義感がむくむく目覚めて来るような気がします。
「ジャックと豆の木」のラスト、大男が豆の木から落ちて頭がぶっつぶれたとき、「ヤッター」って立ち上がった4年生の男の子を思い出します。
生来謙虚でやさしい人ならばその力はただ強味となるだけだが、傲慢な不人情な者ならばその力は必ず彼に破滅をもたらすことになろうっていうのは、昨日再話をここころみた「弓の名人と友だち」/『ソビエト民話選』にぴったりですね。
昔話のよい語り手のひとつの目標o(*^@^*)o
よい語り手になりたい、よい再話者になりたいですね。
難しいけど・・・
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きょうの《おはなしひろば》は、新美南吉の「たけのこ」です。
聞いてね~
ヤンさん、超早いアップですね!
「弓の名人と友だち」のラストの、話の結末部分の一文のことですね。
わたしは、ひとりのかたが意見を言われて、みんながそれについて話をしだしたときにしばらく何のことかわからなかったんです。
それで、「ここで恥ずかしがっていてはいけない。聞くは一時の恥、きかずは一生の恥だ。」と思って、何について話が進んでいるのか質問した次第です。
わたしは、この一文は深く考えずに「落ちが弱いから補強のために必要な一文。遠山の金さん風」だと思っていました。
だから機能のヤンさんやみなさんのご意見と、このブログで、語り手がどう言う風に話や登場人物の特徴をとらえているかというのがしっかりしていないと、メッセージや印象を伝えられないという難しさを改めて感じました。
語り手にもそれぞれ感じ方が違うのですから、聞き手はもっとですよね。
語り手は媒体だと思いますが、媒体が話を読み込む能力を持っていないといけないということでしょうか。
はてしない道のりを歩いている気分になりましたが、勉強になりました。
これ、たまたま昨日読んだ本に書いてあったの。
状況の一致ね~
ジミーさん、こめんとありがと~
権力を振りかざすわがままな王様よ、思い知ったか!みんながやったー!となるような再話にする。おはなしのテーマやまとっている姿をつかむ、言葉の再構築、言葉選びによって、はっきりいえる形にする。悪が当然の罰を受ける事を見届ける。そのような事を考えました。再話って責任重大ですね。自分の主観はいらないけど、自分の頭がする作業なので、どうしたらいいでしょうね。良いテキストをたくさん知る。そうでないものも知る。類話を知る。それが手がかりになるでしょうか。
ウーカーさん、コメントをありがとうございます。
たくさんの昔話資料を読むことと、語り手が伝えようとするテーマを深く読みこむことに尽きると思います。
読むことは、日々、地道にコツコツと飽きずに続ける。
語り手の言葉を素直に虚心に読めば、テーマも誤解せずに済む。
と、思います。
その手掛かりとして類話を知る、語法を知る、背景や民族を知ることがあるんですね。
学びが多いブログをありがとうございます。お二人のコメントも深く頷きながら拝読しました。考えます、語りついできた人の思いに近付けるように。再話も語りも責任を持って取り組まなければいけませんね。
たぬこさん、コメントありがとうございます。
語るためのおはなしを選ぶことや覚えることも重労働ですが、再話することはもっと深く学べるなと思っています。だからおもしろいO(∩_∩)O