マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。
第6章ー偽の花嫁と本当の花嫁
ちょっと空いてしまいましたあ。
グリム童話の「マレーン姫」です。
読みましたか?
ロマンチックでしょ?
「マレーン姫」は、同じく偽の花嫁の話「がちょう番の娘」に比べて話の仕組みが複雑です。
最初からお姫さまと王子は愛しあっていて、その二人の仲を裂くのは父王です。
マレーンひめの父親は、姫を塔に閉じこめてしまいます。いかにも昔話らしく全く光もささない(完全性)孤立した塔です。そこに、侍女とともに7年間閉じこめてしまいます。
7年たったらきっちり食べ物がなくなるんですね。昔話の抽象性が現れています。そして、何とかして自力で穴をあけて塔から出てきます。何でもっと早うに出てこん?と思いますね。いやいや、塔から出てきたら城も何もかも戦争で破壊されていたのです。もっと早く出て来ていたら、マレーン姫も戦争に巻き込まれていたでしょう。そうすると、「マレーン姫」とは違う話になってしまう(笑)
真っ暗な塔は姫にとってこらしめの場だったばかりでなく、保護の場でもあった。と、リュティさんは言います。そして、このことにも、悪が善に転ずるという法則が見られるのです。
さて、「がちょう番の娘」と同じく「マレーン姫」にも窮乏と成熟の過程が描かれます。
1,真っ暗な塔に閉じこめられること。
2,イラクサを唯一の食べ物とする長いさすらいの旅。
3,台所の下働きとしての務め。
と、3つの段階がありますね。
この長い窮乏の時があるというのは、この時期が人間の発展にどうしても欠かせないものであるということを感じさせます。
コロナ禍の今もその時なのでしょうか。私たちは、この時を成熟の時にしなくてはいけません。
さて、ストーリーは進み「転換」が起こります。というのは、姫が働いているのは、あの愛する王子のお城だったのです。しかも、王子は父の選んだ花嫁と結婚することになります。その花嫁というのが、いやな娘でねえ。自分の顔が醜いのがバレるのがいやだから、結婚式に行きたくないんですよ。それで、台所で働いているマレーン姫を身代わりに立てるんです。
マレーン姫が花嫁の衣装を着て王子と教会に向かいます。途中で、マレーンひめはつぶやきます。
「わたしはほんとうの花嫁じゃない」
王子が、え、なんていった?とたずねても、姫は何も言わないと答えるだけです。
ここ、微妙ですね。法的には本当の花嫁ではないんです。でも、魂の次元では、ふたりは愛しあっているから、本当の花嫁なんですね。
ここ、語るのが難しいと思います。とってもすてきだけど。
悪い花嫁は自分の結婚式をさぼります。そして、その人に与えようとしたひどい仕打ちを、自分が受けることになります。ここでも、悪は自滅するのです。
はい、「マレーン姫」はこれでおしまい。
ところで、偽の花嫁の出てくる昔話を、いくつか紹介しておきますね。興味のあるかたは読んでください。
グリム童話「兄と妹」「森の中の三人のこびと」「白い花嫁と黒い花嫁」「歌ってはねるひばり」「鉄のストーブ」
HP《外国の昔話》「三つのオレンジ」「オーバーン・メアリー」
次回はけもの息子の話です。
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緊急事態宣言が延長になりましたね。
語りの森HPはネットだから安全だけど、ババ・ヤガーの対面での勉強会は痛手をこうむっています。
痛手といっても、経済的なことではありません。
いま、世界はコロナの収束と経済の両立をどうするかで、悩んでいるように見えます。でも、世の中は、健康(身体的な命)と経済だけでできているのではありません。私たちの活動はそのどちらにも属さないというか、どちらにも属するというか、あいまいな存在です。でもそのあいまいが大事なんだと、わたしは思います。
おはなしを語ったり勉強したりということが忘れられることのないように、小さな灯をともし続けていきたいです。
マレーン姫、やっぱりすてきなおはなしですね。
でも、難しかったから、というかぼや~んとしてわたしが理解できないところがあったので覚える段階にはいたりませんでした。
それに、何年生に語るといいのかもわかりませんでした。
でも、やっぱり素敵な話だと、解釈を読んで気持ちが高ぶります。
「ええ話や~~」という気持ちは、大人も子どもも一緒であると思うし、苦しいこんな時に、大切だとわたしも思います(^o^)
「マレーン姫」素敵ですよね。でも、語りで聞いたことがないなあ。だれか語ってよ~
思春期の子の窮乏と成熟を語るとしたら、高学年以上でしょうね。