日別アーカイブ: 2021年5月20日

昔話の解釈ー偽の花嫁と本当の花嫁、けもの息子とけもの婿4👸🤴

京都も梅雨に入ってしまいました。
しかも、近年よくある空梅雨じゃなくて、本格的に降り続いている。
まだ紫陽花が咲いていないじゃないか。
クチナシも香ってこないじゃないか。
早すぎ(╬▔皿▔)╯

って心が動くということは、だいぶ、体調がもどってきたな(*^_^*)

リュティさん行きます。
お待たせ、「がちょう番の娘」クライマックス!

第6章ー偽の花嫁と本当の花嫁

まず前回のところ読み直してね。
とっても感動的な言葉があったよね。
召し使いの姿に宿る尊厳
これは、多くの昔話の核心なんだけど、とくに「がちょう番の娘」に当てはまるんだったね。

さて。
私たちの中にある王者のようなところはときに弱くなり活力を失うことがある。

うんうん、わかる。
わたしだって自尊心はあるし、こうありたい自分ってものがあるし、けど、いやなことが続いたり病気になったりしたら活力がなくなる。まさに先週(笑)

たとえば「がちょう番の娘」では、王女は喉の渇きを抑えることができない。
ここが腰元にとってかわられるきっかけになるのね。
「のどがかわいたんなら自分で飲みな!」
ここで王女は自分の本当の力を失うのです。母の血の付いた小切れも流れて行ってしまう。
語る時、ようく気を付けようね。何気なく語ってはいけないよ。

たとえば、KHM11「兄と妹」では、兄がのどの渇きを押さえられなくて水を飲む。そして、本当の姿を失って鹿になってしまいます。

さて。
「がちょう番の娘」の口をきく血のしずくというモティーフ、口をきく馬の首というモティーフについて。
もともと古い魔法の教えによると、血は命の担い手として大きな力があったそうです。けれども、昔話の中では、魔法的な力は持っていなくて(中身を抜いて語るってあれです)、物語のいち要素にすぎません。そして、物語の要素というのは、ストーリーを前に進める役割と、物語の意味を支える役割を持ちます。
ここでは、「王女は、血のしずくとファラダを失うことによって、自分の力の一部を失う」という意味があるのです。

そして、ここから窮乏と成熟の時が始まる。

王女は、こっそりとしか金の髪をとかし風を左右する力を用いることができません。
ふつう、昔話では、苦しみの場面は描かれず、さっさと月日が経ってしまいますが、「がちょう番の娘」は違います。
「吹け吹けかぜよ~」の場面が繰り返されます。
そう、この場面が、窮乏と成熟をあらわしていて、物語のいちばん印象の深い部分になっているのです。
心を込めて語りましょう。
成熟を語るのがとっても難しいと思います。

王女がストーブから出され、王女の着る着物を着せられると、輝くばかりの美しさになる場面がありますね。
ほんとうの王女にもどるところです。さらっと語ってはいけません。
外見が破れ、人間が本質的なものへの道を見出す場面です。

外見が破れ、本質的なものへの道を見出すって、いいなあ。涙が出るよ。
これが、昔話が聞き手に描いて見せる物語の道筋であると、リュティさんは言います。
その底には、現実の世界においてもそういうことが起こってほしい、という希望が潜んでいる。昔話は、導きの星である。

昔話は導きの星🌟

いやいや、あたらしい宗教ではありませんよ。
体力が落ちていると感傷的になってしまって~~>_<~~

はい、きょうはここまで。
次回はKHM198「マレーン姫」を取り上げます。
マレーン姫も偽の花嫁の話。
読んでおいてくださいね。もしくは、おはなしひろばにUPしているので聞いてみてください。

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オンライン昔話の語法の勉強会を募集中です。
(対面の勉強会はすぐに定員に達しましたので、HPでは募集しませんでした。ごめんなさい)
「白雪姫」を取り上げます。
みんな知っているようで、実際にはおはなし会で聞くことは少ないと思います。
でもね、ほんとうの「白雪姫」って、めっちゃ哲学的なのよ。
わたし、初めて語法的に読んだときに、めちゃめちゃ感動しました。
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