全国的に大寒波が到来したようです。
みなさまのところは、大きな被害はありませんでしたか?
京都府南部のこの辺りは、降水量が少ないので、寒くはなっても雪が降ることはめったにありません。ところが、ゆうべ、一瞬のうちに雪が積もりました。
まだ、寒波は居座るもよう。みなさま、気を付けてくださいね。
さて、1月17日の語法勉強会の感想の続きです。
みなさま、ありがとうございました。
ひよこさん
先日は、貴重なお話ありがとうございました。
聞き心地が良いのは、色々な仕組みがあるんだなぁと改めて感じました。
先がわかっているのに何度聞いても面白い、子どもになった気分です(笑)
これからも、少しずつではありますが、勉強させて頂こうと思っております。
Dさん
ホレばあさんの語法講座、ありがとうございました。
今回の講座を受けて、おはなしと児童文学は別のもの、別の楽しみなのだということがわかりました。今頃?(笑)
長い時間をかけて語り継がれてきたおはなしは、子どもが耳で聴いて楽しめるような語法に則っている。このことをわかったつもりだったんですが、情景や心理の描写が細やかな児童文学とか小説が好きで、昔話にちょっと物足りなさを感じていました(^_^;)
でも、今回受講して、初めて語り部の昔話を聴いたときのワクワクした感じを思い出しました。近頃おはなしを聴くときも、勉強モードになってしまっていて…聴く側の気持ちになれていなかったと思います。
読んでもらう楽しさ、自分で読む楽しさ、聴く楽しさ、楽しみはいろいろ。とても当たり前のこと言っていますが、自分でちゃんとわかるのって時間がかかりますね。
スッキリしました。ありがとうございました。
Eさん
語法の勉強会に初めて参加しました。
ストーリーテリングの世界に入ってから、昔話に対して感じていた疑問や違和感などがありました。
何故主人公はいつでも美しいのか?
何故美しい者が幸せになり、醜い者は不幸せになるのか?
話が残酷過ぎないか?
等々
それが、今回の語法会ですっかり解決しました。
今までストーリーテリングの世界に、何か神聖さを感じていたのですが、それよりも、昔話は昔話の役割があって、分かりやすいこと、覚えやすいこと、聞き取りやすいこと、イメージしやすいこと、そこを突き詰めるとあの形になるのだ、ということを学びました。
昔話の残酷さについては、もっと勉強したいので、春からの講座が今から楽しみです!
Fさん
語法の勉強会、ありがとうございました。
今まで絵本の読み聞かせとストーリーテリング、その差は何かをなんとなくでしか分かっていませんでしたが、語法のことを知ったことでそもそもの根底?成り立ち?が全く違うのだなと思いました。
たまたま脳の使い方の勉強をしているのですが、耳で聴く時と目で見る時では脳の使われる場所が違うこと。
そして耳で聴く時はそれまでの経験や語彙によって受け取り方や想像力の広がりが変わることを知り、ストーリーテリングが歴々と繋がれていることの意味を感じましたし、絵本が充実した現代の中でもこれからも繋げていきたいものだと思いました。
描写をしないことでの広がり。
スピード感。
子どもたちが、もっともっとと次を期待する眼差しが目に浮かびます。
端的でもあり、画一的とも捉えられそうな物語は、世界中で同じようで少し違うものに溢れているのを知り、大人が子どもに伝えたいことというのは国が違っても変わらないのだなと、面白く感じました。
しばらくは物語を読むたびに語法を気にすることになりそうです。
ありがとうございました。
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それから、前回のCさんの感想のなかで、どうして娘は家に帰ることを選んだのだろうということを指摘してくださいましたね。
ちょっと考えていて、気がついたんだけど、昔話では、彼岸へ行った主人公は必ず帰ってきますよね?
浦島太郎でも、仙人の教えでも、ヘンゼルとグレーテルでも、七羽のカラスでも、世界の果ての井戸でも、旅の仲間でも、ジャックと豆の木でも、かしこいモリーでも、竜神さまと花売りでも、さきぼそがらすの神でも、・・・
昔話にそういう大きな法則があるんじゃないかなあ?どうやろ?
「ホレばあさん」の娘も、理由はどうあれ、その大きな法則に動かされてるんじゃないかなあ。
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今週は、《日本の昔話》を更新しました。
青森県の「化け物と踊った話」です。
語ってくださいね~