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語りの森を作った魔女

3月のおはなし会🎎

3月9日(水)

幼稚園3歳児

ろうそくぱっ
おはなし「せかいでいちばんきれいな声」『おはなしのろうそく』東京子ども図書館
絵本『いないいないばあ』松谷みよ子/童心社
絵本『しろいかみ』谷内つねお/福音館書店
ろうそくぱっ

3回目のおはなし体験。
こどもたちは、もう、何が始まるかちゃんとわかってスタンバイしてくれていました。
始めに「こがも」の説明をしたので、そのやりとりのせいで、おはなしに入ってすぐは、ちょっとガチャガチャしましたけど。
前回絵本をわたしのひざに持って来た彼が、きょうは『いないいないばあ』を持って来てくれました。
『しろいかみ』は、わたしが持って行きました。
こどものとも0,1,2のシリーズです。
幼い子と同じように、何度も読んで欲しがりました。で、4回読んだかな。
4回目は、自分たちで声に出してました。
「ぐじゅぐじゅ」「びりびりびり」「ぱー」がおもしろかったみたい。
終わってから本を確認に来た子もしましたよ。
「図書館にあるからね」っていっときました。

幼稚園4歳児

ろうそくぱっ
おはなし「ホットケーキ」『おはなしのろうそく』東京子ども図書館
ろうそくぱっ

2月は「大工と鬼六」が申しわけなかったので(笑)、きょうは、張り切って乗せてやりました。乗った乗った(笑)!

わたし「子どもが七人ありました」
子ども「ええ~~~っ」

冒頭からノリノリでしたよ。
お父さんがフライパンをじっと見てるとこなんかも大うけ。
みんなでフライパンを見つめている光景がまざまざと見えて、めっちゃ面白かったです。
そう、イメージは、語り手だけが作るものではないのです。
聞き手の力、大ですね~

「おじさんぽじさんって、なんや~~~」
「めんどりぺんどりって、なんや~」
「おんどりごんどりって、なんや~」
もう、いちいち、うるさいのなんの。

最後に、一年間のお礼にと、歌ってくれました。
「お日さまになりたい」新沢としひこ作詞/中川ひろたか作曲

「だれかを好きになると、心があたたかくなる」🎵
「だれかを好きになると、心がやわらかくなる」🎵

思いっきり歌ってくれて嬉しかったです。
コロナでも、ちゃんと大声で歌う、その指導を尊いと思いました。

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きょうの《外国の昔話》は、ウクライナの昔話⇒「ムズィカ」
短いですが、心はげまされる話です。
語ってくださいね~

 

シカゴより~🏕🚂🛩

『シカゴよりこわい町』
『シカゴより好きな町』
『シカゴよりとんでもない町』

抱腹絶倒。
笑いつづけ~
はらはら、どきどき。
ほろっと熱い涙が止まらない~

リチャード・ペック作/斉藤倫子訳/東京創元社

3冊つづけて、やめられない、とまらない。

主人公は、ダウデル夫人といって、ごっつい体格の豪傑おばあちゃん。
イリノイ州の田舎町に、ひとりで暮らしていて、近所づきあいはしないというのが、モットー。
薪箱の裏に散弾銃を隠していて、ここぞというときには、撃つ!!!

時代は、第1次大戦後から第2次大戦後1958年くらいまでで、人びとは戦争や不況といった時代にほんろうされているんだけれど、おばあちゃんは、果敢に立ち向かって生きています。

『シカゴよりこわい町』は、シカゴに住む孫のジョーイとメアリ・アリスが、夏休みに一週間だけ、おばあちゃんの家に滞在します。13歳のジョーイの目から、破天荒な生活が語られます。

『シカゴより好きな町』は、15歳になったメアリ・アリスの目で語られます。シカゴの一家が貧しさでいっしょに暮らせなくなって、アリスがひとりでおばあちゃんと暮らすことになります。
ひどいいじめに遭いながらも、自然の中で生きる力をつけていきます。おばあちゃんの胸のすくような報復が見もの。

『シカゴよりとんでもない町』は、ダウデル夫人のとなりに崩れかけた牧師館があります。そこへ赴任してきた牧師の一家にとって、村の人たち(や子どもたち)とのあつれきは、尋常ではありません。ダウデル夫人の豪快な行動で教会を立て直していくいきさつが、牧師の息子のボブの目で語られます。

ひとつ、エピソードを紹介するとね、
『~好きな町』で、クリスマスも近いあるこごえるような寒い晩に、おばあちゃんは、針金やら棒やら、何かくさい液体の入ったびんやらピストルやらを持って、雪の中に出かけて行きます。メアリ・アリスを連れて。
闇の中で、おばあちゃんは、つぎつぎにアカギツネを仕留めます。メアリ・アリスは、ショックで凍り付きます。
おばあちゃんは、家に着くと、アカギツネの皮をはぎ、やがて現金に換えます。
クリスマスの日、孤独に耐えてきたメアリ・アリスのまえにジョーイが現れます。
アカギツネの毛皮は、ジョーイの列車の切符を買うためだったのです。
これが、おばあちゃんのクリスマスプレゼント。最高のプレゼントでした。

おばあちゃんのダイナミックで繊細な愛は、孫だけでなく理不尽な目にあっている隣人たちにも向けられます。

『~とんでもない町』のなかで、ボブは、このあともあちこちの村や町に引っ越しますが、このダウデル夫人のお隣に住んでいた1年間が、一番学びが大きかった時期だったといっています。

ひさしぶりに、ひとりで笑いころげました~

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今日も《外国の昔話》を更新しました。
ウクライナの昔話で「コースチンの息子」
昨日紹介した「誠実」は、ウクライナから近いロシア側の国境近くの小さな共和国の伝承です。
ロシア、ベラルーシ、ウクライナのスラブ民族が語り伝えた話を紹介したいと思います。
ウクライナの人たちの平和を祈って。

 

 

 

ロシアの民話🐻

ロシアって広いから、たくさんの少数民族が独自の文化を継承していて、昔話もおもしろい。
ロシアの昔話を集めた人といったら、アファナーシエフが代表的で、いままでアファナーシェフ中心に読んできて、再話もそこからやっててね、語りの森もそこからのがほとんど。
でも、最近はまってるのが、ヴィクトル・ガツァークの集めた昔話。

『ロシアの民話Ⅰ・Ⅱ』渡辺節子訳/恒文社

めっちゃおもしろくてねえ。

先日アップした「イリヤ・ムーロメツの三つの旅」、読んでくださいましたか?
ロシアとウクライナとベラルーシは(狭義の)東欧と呼ばれてて、同じ文化圏なのね。
イリヤ・ムーロメツは、東欧の伝説の勇者。
勇気があって強いだけではなくて平和を愛し、人類愛にあふれている。
そんな英雄を心に持っている人たちがお互いに殺し合うなんて、悲しい。

この本には、ロシア国内の辺境の地に暮らす少数民族の伝える話がたくさんある。
それが、おもしろい。
訳者の渡辺節子氏の解説から、ほんの少し抜粋しますね。

民話が人の心を現すものである以上、似通った状況では、似通った話が生まれても不思議ではない。が、民話がまた民族の心をえがく芸術である以上、同じようでありながらどこか違ってくるのも当然である。

そうなのね。異文化に暮らす者でも、似通っているので理解できる。でもどこか違う部分がとても興味深い。

人間の成長に必要なものの多くが口伝えの物語を通して語られていく。
文字を持たず広大な地に少人数で散らばっている人々にとって、口伝えの物語は早くから文字を持った民族にくらべ、はるかに大きな意味を持っていたのである。

そう、お話を聞くというのは、単なる娯楽ではなかったということです。
厳しい状況で語りつがれ今に記録されている昔話は、読んでいてほんとうに背筋が伸びる感じ。
おいおいに、《外国の昔話》にアップしていきますね。

それから、こんなことも書いてあったよ。

話を正しく伝えることが義務でもあったエスキモーでは、祭りやその他種族全体の大事な時に語られ、聞き手もみな話を知っていて、話者が間違えないかとじっと聞き入ったという。

話は大事。言葉も大事なんやね。
間違えたら責められるんだろうね。
そんな場で語るのはこわいけど(笑)

だれや、勉強会で、ヤンが書き書きしてるくらいで緊張するっていう人!(笑)

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昨日のおはなしひろばは、鹿児島の昔話「こゆびたろうと宝のくつ」。
バタ臭いというか、「かしこいモリー」とそっくりのおはなし。
聞いてね~

 

「お月お星」の語法、感想2💌💌

第17回、会場での勉強会の感想です。

aさん
今日の講義で、私は語りの最初の段階をきちんと自分のものにせずに何年も我流でやってきた不遜さを思い知りました。
子どもさんたちに語るときに、本を覚えたとき、自分の感情を入れて、こう伝えたいと考えていたことが、なぜ間違っているのか、今日は明確に理解できました。一から検討しなおして臨まねばと思っています。

bさん
自分の身に起こることをすべて受け入れ、最後に許すことで幸せになったお月。
大好きな姉に起こる事を知恵を持って助けることで、最後に家族全員で幸せになることに導いたお星。
語っていただいたとき、お父さんとの再会、お母さんとの和解のシーンで、ジーンと感動しました。いいお話です。
「聞き手を幸せにしたい」の想いで語り手は語ること。そこに行きつくための昔話の語法の勉強、貴重ですね。

cさん
すごく大きな体験的理解、認識を頂いたと思いました。
叙事詩の力、昔話の力、心情描写をしないことの大切さがやっとわかりました。その力が強い「お月お星」をYさんの語りで、聞き手として聞いて体験した上での語法の勉強に、とても自分が変わるような予感をもらいました。
ちゃんとわかってなかったことが多々あったなと思いました。
すべては聞き手の幸せのためだと改めてとらえ直しました。

dさん
お月お星、とても美しいお話でした。 
単純で素朴な動詞の言葉遣い、多くを語らないひかえめな登場人物、そのお話によって、背景や心情、景色の色合いまで想像が広がりました。
けしの花の咲く場面は、斎藤隆介さんの絵本『花さき山』のページを開いたような印象でした。
昔話が主人公の幸せを願って、苦しみを乗り越えながら一直線に進んでいくということに感動しました。
寡黙な人物像、力強い物語の進み方、春に花が咲くのを待つイメージが、岩手県と合うような気がしました。

みんな、まじめやね(✿◠‿◠)

特徴的な感想のみ書き写しました。
みなさん、勉強会が終わってすぐの感想なので、感動冷めやらず?~笑~
あ、いや、オンラインの場合のように、あとから改めてじっくり考えて書くのとはちがった新鮮味がありますね。

単発の勉強会で感想を書いていただくのは、ひとつは、私自身のためです。伝えたかったことがちゃんと伝えられているか、反省するためです。その回によって、また受講者のみなさんの語り経験によって理解が違ってきますけど。伝えきれなかったと思ったときは、次の勉強会でその部分を補強します。
次回の勉強会では、語法の最も基本的な抽象性について、細かく見て行こうと思いました。
感想のもう一つの目的は、みなさんの復習のためです。振り返りって大事ですからね~

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おはなしひろばは、笑い話「ゆでたまご」です~
聞いてくださいね~
先週はコロナ副反応発熱で、とばしちゃった。ごめんね。

 

「お月お星」の語法、感想💌

お待たせしました~ヾ(^▽^*)))

昔話が聞く人によってそれぞれの意味をもつように、昔話の語法の勉強会でもご自分の生活に関わって、さまざまな感想をいただきました。
わたしひとりで楽しむのももったいないので、許可を得て、部分的に紹介しますね~

ランダムに貼り付けていきます(╹ڡ╹ )

Aさん

事前に語法を探してみました。一度目は少ないなと思って、もう一度読んでみたら結構見つけられました。
昔話では最後に悪い者は罰を下されたり、自滅したり、主人公に逃げられたりする話は多いと思います。でも改心するのは少ないのではないでしょうか?
語ってみたらもっといろいろなことが解り見えてくるでしょうね。

過保護のお話ってあるのかとおっしゃってましたが「ラプンツェル」が魔女に社会から隠されて育てられてたのではないかなと思い浮かびました。

Bさん

ママハハものは怖いですが、血の繋がりも怖いと思います。
以前、心理カウンセリングの講座を少しかじったことがあるのですが、夫婦や嫁姑問題も去ることながら、母娘関係が最も難しいと聞きました。
娘を命に代えても守ってやりたいと思う反面、若く美しくなっていく娘への嫉妬心は尋常でないそうですよ。。。

そう考えると、お月お星の母さんは、血の繋がりあるなしに関わらず、かけがえのない娘たちだったことに気付けて、良かったのかもしれませんね🌸
突っ込み所は満載ですが(笑)
ハッピーエンド、笑い話、たとえ登場人物が死んでも、落ち着くところに落ち着く…のが、お話の面白さなのかなぁと思いました😆

Cさん

先ずは受講して良かったです🥰オンラインなので不安したが大丈夫でした!
語法の勉強会は、毎回感動します!私が1番好きなのは、昔話は主人公の幸せのために一直線に進んでいく!いろいろあっても最後は幸せになる!というところ!何度聞いても初めて聞いたときの凄く嬉しかった気持ちが蘇るのです😆そしてそれが昔話の意思、語り手の意思!だという、どれだけ昔話を語ってくださってた方々が愛に溢れた方々だったんだろうと思うと心が震えます!そしてそれが日本に限らす世界中にあるなんて、なんて素敵なんでしょう!🥰
含世界性というのも素晴らしいです!誰一人余すことなく全て含めてある、その中で貴方は貴方のできることでいい、私は私のできることでいい、今自分がそのほんの一部でもさせて頂けてることに静かな喜びを感じています。なんだかとてつもなく大きなものに足を踏み入れてしまった!と毎回気づかされてハッとします!忘れん坊なので🤭ありがとうございました🥰

Dさん

感想がうまくまとまらないので、昔話に関心のない主人との会話ですみません。。語法を教えていただくと、頭の中がスッキリ整理される感じがします。

私:今日Zoomで昔話の勉強会あったわ
夫:ああ、村上先生やな
私:お月お星の話やったわ。まま子いじめの話けっこう多いんやて
夫:ママコってなんや?
私:ほら、ほんとうのお母さんじゃない
夫:じゃ、わしは違うな。なんでママコになったんやろ?
私:死別か離婚か…そんなん知らんわ、まま母がひどいってこと
夫:よくニュースであるな
私:まず毒まんじゅうでしょ、寝てるとこ槍で突き刺すでしょ、最後に箱に入れて埋めたんやから
夫:ひどすぎるな、もう死んでるんちゃうか
私:妹が箱に食べ物入れといたから大丈夫
夫:父親はおるんか、何しとったんや!!
私:旅に出てたんやて。帰って来て娘探しにまた出かけてさ、目も見えなくなっちゃて、やっと会えて娘の涙が目に入ったら見えるようになってよかった~
悪い母親も見えなくなっててさ、でもあやまったからね、娘の涙で見えるようになったわ
夫:なんやそれ、昔話やないか
私:だ、か、ら、今日Zoomで昔話の勉強会あったから
夫:ああ、村上先生やな

昔話は覚えやすく誰かに話したくなるから残ってきたのかなと思いました。

Eさん

あらかじめ、適用されている語法の予習はしていたのですが、気づかず読み飛ばしていた箇所がいくつもありました。

・まず冒頭「むかし、あるところに、お月とお星という…」の「不特定に語る」点。これは虚構ですと宣言してから語るというのは、潔くて気持ちがいいですね。聞き手に「だから安心して没頭していいよ」と伝える役割も果たしているのですね。
・「少ない動詞で場面を明瞭にする」、これもまったく気づかなかったので驚きました。場面を明瞭にし、同時に複雑な内面を省略することで、おはなしに対する聞き手の自由度が高まって聞き手それぞれのストーリーにすることができる。納得です。
・けしの花は「ストーリー上の機能として必要だから咲く」、これも目からうろこです。ここだけ描写が飛び抜けて美しいのは、お月とお星の心のつながりのようなものが表現されているのかな、すると昔話の語法からは少し外れるのかしらと思っていたのですが、それはたまたまで、大事なのはお月の居場所を示すために咲くこと、なのですね。

どれも、言われてみれば「なるほど~」です。
おはなしはそれ自体でも面白いのに、こうやって読み解くことでまた別の面白さも見つかるんですね。楽しすぎます

*
講座テーマとはずれますが、最後に先生がおっしゃっていた、
「大人が子供にいろいろな種類のおはなしを語ることで、その子のあらゆる未来を肯定することになる」という話が印象深かったです。自分の子ども時代が思い出されました。

私も多分に漏れず母親との関係に悩んだ娘の一人です。私の母は良くも悪くもきっぱりと白黒つけたがる人で、それを私にも自然と押し付けるかたちになる親子関係でした。私を愛してくれていることはよくよく伝わっていたものの、その頑なさや気持ちの強さに縛られる娘としては、時に嫌な思いもしたものでした。
振り返ると、私は、「私の母のものの考え方」しか教えてもらわなかったから、そこにぴったり寄り添えない自分が辛かったのかもしれないと思います。母の考え方は数多ある思想の一つでしかなくて、世界はもっと多様でグレーであると理解していれば、あれほど苦しむこともなかったのかも、と。

自身が親になってからずっと、自分の娘に同じ苦しみは与えたくないと思うものの、どうしたって似たような轍を踏みそうというか、育てる以上私の思想が影響しないわけにはいかないし、母娘という関係性上避けられない溝もあるような予感もひしひしとして、すでに娘に対して申し訳ない気持ちを抱いていました。

が、先生のおっしゃるとおり、おはなしを語ることで、娘のあらゆる未来や可能性を肯定することができるなら、その力を借りようと思います。
もし私という個人が間違ったメッセージを伝えてしまっても、おはなしがその至らなさを補って、きっと娘を健やかに導いてくれると思うと、とても励まされるし救われる思いがします。

Fさん

『昔話は叙事詩で、抒情詩ではない。』
頭の中にぼんやりとあった言葉でしたが、昔話の語法を通して、より具体的な理解へ変わったように思います。
〔登場人物の内面を描写しないで、基幹動詞でストーリーを語っていく。それにより、聞き手側は場面を明瞭に見ることができる。〕
『お月お星』のテキストが、(そのことを一層)目に 耳に 分かりやすくしてくれました。

また、「継子話は世界中にたくさんある」という先生の言葉にハッとしました。
国や民族や言語が違っても、時代が変化しても、人間の本質は同じであり、そのことを昔話は語っているのだ、としみじみ思いました。
以前、昔話を語っていたときに涙が出て仕方なかったことがありましたが、それは無意識下で昔話に込められた祈りのようなものに触れたのかな…と勝手に思っています。

感覚ばかりで言語化するのは苦手な自分ですが、昔話の語法を学んでいくことで自分の心を見詰め、昔人の思いを感じることができたら、より深い人生を味わえるかな……と少しワクワクしています。
そして、その思いを(出来るだけ偏らずに)子どもたちと分かち合えたなら、こんなに幸せなことはないだろうと思っています。

Gさん

昔話の語法を学ぶと、お話の中での気づきが増すように感じていましたが、今回受講してさらにその思いが増しました。
昔話の語法には、子育てそのものにもヒントを与えてくれると感じます。例えば、情景や複雑な内面を描写しないことで、聞き手が自由に想像できる、という説明がありました。遊びの場面でも似たようなことがあります。大人があれこれ先取りしたり説明したりせずに、こどもの思うままに委ねておくと、遊びが深く広く展開したりします。こどもはどんどん自由な発想を広げていって、大人が想像もしないような遊びが始まります。とくに幼児期はファンタジー、想像遊びが大好きですので、昔話を語り伝えて下さった先人の方々も、これを分かっていてお話を作ってくださったのかなぁとおもいめぐらすと、とても楽しい気分になりました。

また、含世界性の説明がありましたが、昔話はファンタジーだけではなく、現実にある感情や人、善も悪もひっくるめて世界だということを、昔話を通して伝えていくことになるのだなぁと改めて感じました。ひとつでも多くの心に残るお話がこどもたちに宿るように、と願います。

あんまり長くなりすぎるので、この辺で終了!
でもね、読んでると、新たな気づきがあって、これもまたお勉強やなあって思うんですよ。
学生の時と違って、学んだことを自分の語りや子育てや人生にひきつけて考える。これがほんまの勉強やなって思います。

みなさんの感想をぜんぶ載せられなかったですが、ありがとうございました。
わたしも、がんばろうと思いました。

で、ふっと思い出したんだけど、対面の勉強会でも感想文を書いていただいてたのでした。
これも近々ご紹介しますね~

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きのう3回目のワクチン接種、行ってきました。
いちおう安心の種。
けど、朝から発熱〆(´Д` )