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語りの森を作った魔女

日常語の語り入門オンライン講座終了🌈

9月から半年間、毎月1回続けてきた勉強会が終了しました。
なんか、めっちゃ寂しい~(>_<。)\

受講された4人のかたと、ほんとに楽しい時間を過ごせました。
チーム2020日常語やね(^∀^●)ノシ

当初は、zoomの使い方がうまくいかなくて、てんやわんやだったけどね~
オンラインでもこんなに深くお付き合いできるなんて思わなかった。
3人のかたは通常の勉強会でもお会いするんだけど、おひとりは遠くのかたで初対面でした。
でも、だからこそ、おたがいに分かりあおうとする思いが強かったんだろうな。なにせ、昔話の学びの場なんだからヽ(✿゚▽゚)ノ
今自分の話す言葉(日常語)を考えたとき、生まれたときからの人生の歴史を振り返ることになります。
当然、4人4様の人生です。
その人生を語り合う機会でもありました。
充実しないわけがないですね。

昨日は、最後の発表会。
こんなお話を語ってくださいましたよ~

にんじんとごぼうとだいこん
おならじいさん
節分のお客
穴のぞき

もちろん出典はあるんだけどね、自分のテキストにしての語りだから、ここには書かない(笑)

来年度、もし希望者があればまたやってもいいな。
正直なところ、定員4人の少人数だったから、リアル会場より充実してたと思う。
興味のある人は連絡してきてね~

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きのうはおはなしひろば更新
「かぜをひいたうさぎ」
ミャンマーの昔話です。

 

 

 

 

2月のおはなし会🕯

2月1日(月)

幼稚園3歳児 1クラス

ろうそくぱっ
おはなし「せかいでいちばんきれいな声」『おはなしのろうそく』東京子ども図書館
ろうそくぱっ

生まれて2回目のおはなし会。
お客様が嬉しくて、早くからお出迎え。
「せかいでいちばんきれいな声」は、主人公が子ガモ。でも、まずカモっていう鳥の実感がないんですね。今の季節、幼稚園の近くのため池にはたくさんいるんだけど、のんびり観察している余裕が、日々の生活の中でないのです。
それで、冒頭で、カモについて、ちょっと説明を入れながら、物語に入っていきました。
子ガモが、子犬のようにわんわんっていえるかどうか、ちょっとドキドキしながら、小さな声で「いえない・・」ってつぶやきながら聞いてくれます。
雌牛に出会うところでは、自信を持って「いえない!」
先を予想する力、ちゃんと育っています。

幼稚園4歳児 1クラス

ろうそくぱっ
おはなし「大工と鬼六」『日本の昔話』小澤俊夫再話/福音館書店
ろうそくぱっ

おはなしが終わったとたん、「短い!」
夢中で聞いてくれてたんですね。
さいご、鬼が消えてしまったら、「なんで、おに、きえたん?」
難しい質問(笑)
名前を当てられると、つまり正体がわかると、存在までが無に帰するってこと、説明できませんよね(笑)
「なんでかなあ」といつものようにけむに巻いておきました。有名な話なので、心の隅においておけば、いつかわかる時が来ると思っています。
今は、こどもたちにとって、名前当ては、ゲームのようなものです。

2月2日(火)

幼稚園5歳児 1クラスずつ2回

ろうそくぱっ
おはなし「ジャックと豆の木」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』
ろうそくぱっ

今日は節分の豆まき。
こどもたち、頭に、手作りお面をつけて、手に手に豆をいっぱい持って、走り回っていました。私を見つけて集まって来て、豆を見せてくれました。
大きな鬼が来てみんなでやっつけた!と、教えてくれました。
先生たちが、内緒で、着ぐるみで鬼になってはったんですね~

「ジャックと豆の木」は、17分の長い話。
夢中で聴いてくれたけど、さすがに終わると、「つかれたあ」って、赤い顔をしていました(笑)
小さかった子が、ここまで聞けるようになって、素晴らしい成長です。
今日が、幼稚園最後のおはなし会になりました。

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昨日のHP更新は、《外国の昔話》
語ってくださいね~

写真は、手作りのり巻き。
自分の好みの味にできるから、食べすぎちった( ̄y▽, ̄)╭

 

 

昔話の解釈ー死人の恩返し4💀

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第4章死人の恩返し

「死人の恩返し」(ノルウェーの昔話「旅の仲間」)の類話、スイスで記録された類話をみます。

金持ちの夫婦に息子がひとりいて、あるとき父親が息子に、利子の取り立てに行かせます。ところが、その帰り道、息子は、借金を払わずに死んだ男がむちで打たれているところに出くわします。息子は、死人の代わりに、取り立ててきた利子で借金をはらってやります。帰宅すると、利子をそんなことに使ったと言って、父親はどなりつけて叱ります。
一年後、父親はまた息子に利子の取り立てに行かせます。その帰り道、息子は、誘拐されて牢屋に閉じこめられている娘を助けます。そして、娘のために宿を探してやり、宿賃をはらいます。帰宅すると、また、父親は、そんなことにお金を使ったと言って、息子を追い出してしまいました。
結局主人公は、娘と再会するのですが、その娘は実はある王国のお姫さま。船で王国に向かうとちゅう、お姫さまに横恋慕した船長に、息子は海に落とされてしまいます。無人島に流れ着いた息子の前にうさぎが現れて、背中に乗せてもらって海を渡り、・・・なんやかんやして・・・お姫さまと結婚、めでたしめでたし。

この息子を助けたうさぎが、死人の生まれ変わりなんです。

もうひとつ、イタリアの16世紀に記録されている類話をみます。その冒頭。
フランチェスコ・ストラパローラの『愉しき夜』に入ってるそうです。(未見)

トリノに賢い公証人がいて、たくさんの財産を残して死にます。息子がその遺産の一部を持って世の中へ旅に出ます。母親は、そのお金で儲けてくるようにといいます。息子は、追いはぎが商人を殺して、死んだ商人に暴行をくわえているところに行き会わせます。息子は、死んだ商人を買い取って葬式をしてやります。お金が無くなってしまった息子は家に帰ります。母親が、儲けてきたかとたずねると、息子は「お母さんと私の魂をもうけた」と答えます。事情を聴いた母親は激怒し、息子を追い出します・・・

ここで、スイスの話では父親が、イタリアの話では母親が、死人を買った息子に激怒しています。
どちらも、主人公と親との価値観の違いが分かりますね。

ところで、スイスの類話のように、借金の取り立てのとちゅうで死人を助けるという導入部は、旧約聖書外伝のトビト書(トビト記)に見られるというのです。
つまり、死人の恩返しの話は紀元前にさかのぼるということなのです。
すごい、古いですね~
残念ながら未見ですが。

はい、今日はここまで。
つぎは、救済のテーマについてと、トビト書の内容です。

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月曜のホームページ更新は《日本の昔話》
短いし、覚えられるでしょ???
節分に間に合ったやろか?

 

 

1月のおはなし会2🕯🕯

1月28日(木)

小学3年生3クラス合同
12月におはなし会に行った小学校の、こんどは子どもたちによる語りの発表の日です。
その時の日記はこちら⇒
あれから2か月近く、子どもたちはお気に入りのお話を選び、覚えて、語りました。
すごいでしょ!

例年はわたしも保護者も参加しての語りの発表なんだけど、緊急事態宣言がでたので、オンラインになりました。
遠く離れていたけれど、ほんとに、ほんとに、心が通じ合った暖かさを感じました。

第1部 こどもたちの語り

数人のグループに分かれて、ひとり1話語ります。
すごいなあと思ったのは、覚えたってこともさることながら、会話などがとっても生き生きしていて、場面が目に見えたことです(❤´艸`❤)
暗唱ではなく、語りでした。

しかも、語るだけでなく、そのお話に関してグループで討論するのです。
まず自分が選んだ話のどこが面白いかを紹介します。
そのお話がどこの国の話なのか、そこの人口は、面積は、気候は、歴史は、と、調べたことも発表します。
質疑応答もおもしろいですよ。
Aさん「インドネシアには、他にどんな有名なお話がありますか?」
Bさん「「白ばらとばら赤」で、なぜ王子はこびとの魔法にかかったのですか?」
Cさん「「かもときつねとからす」の登場人物の中で、どれが一番好きですか?それはなぜですか?」
みんな、りっぱに答えるんですよ~ヾ(•ω•`)o
あなたは、A~Cの質問に答えられますか???

「雌牛のブーコラ」は「三枚のお札」に似てるとか、「トロットリーナとおおかみ」は「赤ずきん」に似てるとか、鋭い指摘もありました。

その話のテーマや特徴を自分なりに考えて、その背景を調べて(これって、図書室での調べ学習です)、おはなしを覚える。
12月に私が「イメージすると覚えられるし、いい語りができるよ」っていった、それを守って、がんばったんだと思います。
みんな、えらかったね~
すばらしかった。

え?子どもたち、何のおはなしを語ったかって?
> カンチルとわに
> フライラのひょうたん
> ヘレーじいさん
> かめのピクニック
> メケードマ
> トロットリーナ とおおかみ
> 半分のにわとり
> 雌牛のブーコラ
> 六ぴきのうさぎ
> 白ばらとばら赤
> かもときつねとからす
> ありとこおろぎ

第2部 私の語り

七羽のからす
こびとのおくりもの
九尾のきつね

 

例年と同じ構成の発表会です。
小学3年生では、国語に世界の昔話の単元がありますね。「三年峠」とか。
あの単元で、ここまで深めた授業をされるのは、珍しいんじゃないかなあ。
自分が語るという体験によって、口伝えという昔話の本来の姿を学ぶ。
背景を調べ討論することで、他民族への理解を深める。
想像力を鍛え、表現力を養う。
それが、とっても楽しそうに、嬉しそうに語ってくれるんですよ~

最後に先生が、コロナで発表会ができないかと思っていたけれど、何とかできたとおっしゃいました。そして、今年昔話を語った事には大きな意味がある、人と人をつなぐことの大切さを学びましたと。

出逢いがありがたくて、涙が出る。
先生の理解と努力、子どもたちの素直ながんばり、お家のかたの見守り。
コロナで暗い世界の片隅に、ぽっと明るい花が咲いたような気持ちになりました。

さあ、がんばろう~

 

 

 

 

昔話の解釈ー死人の恩返し💀3

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。

第4章「死人の恩返し」

ノルウェーの昔話「旅の仲間」の類話に、アンデルセンの「旅の道づれ」があるってとこまででしたね。
読みましたか?
どうだった?
まだ学生だったころ、アンデルセンが好きで岩波文庫の全集を何度も読み返していたんだけど、いま読み直してみると、昔話との違いがびっくりするほどよくわかる!

『昔話の解釈』のこの章では、アンデルセンの類話、かなり多くの引用があるのですが、省略して、リュティさんの説だけを紹介します。アンデルセンは自分で読んでおいてね。

はじめます。

アンデルセンの「旅の道連れ」の若い主人公は、借金を残して死んだために、棺から放り出されそうになる死人に出会います。
ノルウェーの昔話「旅の仲間」では、ワインを水増しした酒屋の氷漬けの死体ですね。
類話の多くは借金を返せない死人となっているので、アンデルセンはそっちの典型的な伝承に従っています。

つぎは両者の描写の違い。
リュティさんは、なんという違いがあることだろうと言っています。
昔話は、話の筋がぐんぐん進んでいくのに対して、アンデルセンは、気の向くままに立ち止まってこまかい描写にふけっています。

たとえば。
自然の扱い方。アンデルセンの例
主人公が、旅の冒頭で、野原で寝たときの描写です。
小川が流れ干し草の山がある広い野原と、その上に広がる青空は、これこそまさに美しい寝室であった。赤や白の小さい花が咲いている緑の草原がじゅうたんであった。にわとこの茂みと野ばらの垣が花束であった。透き通ったつめたい水の流れる小川がそっくり洗面器になったが、そこでは葦がおじぎをして、「おはようございます」「おやすみなさい」を言った。月は青天井に高くかかる大きなランプだった。

彼岸者の扱い方。
主人公が旅に出る時、振り返って見た教会に、こびとがいました。
塔の上のほうの窓辺に教会のこびとの妖精が立っているのが見えた。こびとはいつものように赤い小さな先のとがった帽子をかぶっていた。こびとは胸に手を当て、何度もヨハンネスにキスを投げてよこしたが、それは「ごきげんよう。旅の無事を祈ります。」という気持ちをあらわしていた。
昔話では、彼岸者はストーリーに必要な時しか出現しませんね。だから「いつものように」なんてありえない。アンデルセンのこのこびとは、心を込めて描かれているけれど、ストーリー上の役割はありません。

ほかにも、昔話ではありえない描写としてあげているのは、父親が亡くなったときの部分。
ヨハンネスの目に涙が浮かんだ。ヨハンネスは泣いた。それが悲しみを和らげてくれた。太陽が緑の木々の上にきらきらと輝いていた。それはまるでこう言おうとしているようだった。「ヨハンネス、そんなに悲しむことはない。青々とした空を見てごらん。お前のお父さんは今あの上にいるんだよ。そして、お前がいつまでも仕合せでいるように、神さまに祈っている」「わたしはいつもよい人間でいたいと思います」とヨハンネスは言った。「そうすればわたしも天国のお父さんのところへ行けるでしょう・・省略・・・」
めっちゃ長い(_ _)。゜zzZ

もうひとつ、昔話では決して出てこない省察。死人に出会ったときのこと。
ヨハンネスはちっともこわくなかった。良心にやましいところがなかったからである。それにヨハンネスは、死人は誰にも害を加えないことをよく知っていた。ひどいことをするのは生きている悪い人間である。
え?笑ってしまう?
笑うたらあかん。
一部分だけ取り出してるから、昔話と比較してあまりの違いに笑ってしまうけどね。作品ぜんぶを読んだら感動する。

昔話と創作童話、これは異なった二つの世界である。

でね、アンデルセンというひとりの作家が、たとえ昔話をもとにしていても、アンデルセン独自の文体で表現をするのは当たり前です。川端康成は川端康成にしか書けない表現をするのと同じです。作家ひとりひとりが異なる。
作家はひとつの時代を生きた人です。時代の影響をもろに受けます。
私たちに多くの優れた物語を贈ってくれた大作家、アンデルセンは、その語り口がすっかり時代に制約されている。感傷化し、道徳化し、夢想的になっているのです
ところが、民衆は、16世紀においても、19世紀や20世紀と大して変わらない語りかたをしているのです。

はい、おしまい。
次回は、もう一つの類話を読みます。