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12月 おはなし初級講座

みなさま、こんにちは。
もうすぐクリスマスですね。
行く先々でクリスマスの飾り付けやイルミネーションを見ると、わけもなくウキウキしてしまいます。

さて、先日12月おはなし初級講座がありました。

語りは、
おいしいおかゆ」『おはなしのろうそく1』(東京子ども図書館)
ネコの家に行った女の子」『子どもに語るイタリアの昔話』(こぐま社)
笠地蔵」『日本の昔話5』(福音館書店)
みじめおばさん」『世界のメルヒェン図書館1』より村上郁再話(語りの森HP 外国の昔話参照)
だんまりくらべ」『貴志の谷昔話集』より村上郁再話
小石投げの名人タオ・カム」『子どもに語るアジアの昔話2』(こぐま社)
ひなどりとねこ」『子どもに聞かせる世界の民話』より村上郁再話

おはなしを覚えていて、「口に乗らないな」とか「覚えにくいな」と感じることは誰にもあることだと思います。
特に、『森に行った』のか、『森へ行った』のかにとへがごっちゃになってしまったり、ありますよね。
練習していて「に」と「へ」が分からなくなったら、前後のストーリーをよく読んで、再話者や訳者がどうしてそこを「へ」にしたのか。その意味を考えてみましょう。というアドバイスがありました。
単純に「森に行った」は、到達点としての森のイメージしかありませんが、「森へ行った」の「へ」には、森へ行くまでの道程をイメージさせてくれますね。

あと、印象的だったのは覚えてきた物語を「語る」のではなく、ひとりひとりに語りかけるように「話す」のだというアドバイスでした。
これは大人相手の練習や一人での練習ではなかなか実感することも練習することも難しいなと感じましたが、語り方のアドバイスの中ですごく大事なことだなという印象を受けました。
これが会得できたら、難しい笑い話の間もうまくとれるんじゃないかなと、そんな風に感じました。

さて、この12月の勉強会で本年度の初級講座は最終日でした。
同じくおはなし入門講座も12月が最終講義。集大成の発表会を経て卒業となります。
初級講座では2月には新しいお仲間が増えることを楽しみにしています。

 

ではみなさん、よいお年をお迎えください。

12月の日常語講座

朝晩がめっきり寒くなり、起きるのがつらい季節になって参りましたね。
気付けば12月。師走です。わあ、年賀状用意してない、クリスマスツリーも出してない!

さて、12月の日常語講座は、

〈語り〉

犬と笛」 『子どもと家庭のための奈良の民話一』

どっこいしょ」 『日本の昔話5』

化けものをひとくち」 『日本の昔話1』

〈テキスト〉

舌切りすずめ」『日本の昔話2』

かたつむり」 『語りの森HP』

今回も一話ずつじっくり確認していきました。

⓵ 【倒置法は語りに向くか】

聴き手は耳に入る順番にイメージしているので、これは難しそうでした。
ただ、接続のしかたによってはいけるみたいです。

⓶ 【擬態語(オノマトペ)は日常語に変えられるか】

昔ばなしらしい表現「行くが行くが行くと」
スズメの舌を「ぽつん」と切る。

「舌切りすずめ」から例を引用してきました。
10月の日常語講座でも話題になりましたが、擬態語はその土地・地方での独特の言い回しやリズム、音のおもしろさを感じられる部分だと思いました。
そういった言葉や言い回しをそのまま使うことにより、自分のものにできたなら、自分の語彙を増やすことにもなりますということでしたよね。
ただ、この件については、「そのまま使い、日常語には変えない」、「自分の日常語に変える」は安易に判断できず、ケースバイケースな面もあり、いつも答えは出ません
(;´・ω・)
なので、標準語のテキストのなかで、わざわざ標準語に変えずに残してある部分の再話者の意図を考えつつ、「そこんところ原話ではどうなってるの?」と原話を確認する・・・といいのではないかと初心者もっちは、先輩方の熱い討論を聴きながら思いました。

ヤンさん、こんな感じでいいでしょうか~?

代理レポのもっちでした。

11月 おはなし初級講座

寒い、寒いと思っていたら、立冬が過ぎていました。もう冬です。

11月のおはなし初級講座に行ってきました。

語りは9話。
半分のにわとり語りの森HP←テキストにリンクしています。
まぬけなトッケビ」『おはなしのろうそく30』 東京子ども図書館
絵にかいたよめさま」『瓜子姫とあまんじゃく -日本のむかし話(3)24話-』講談社青い鳥文庫
文福茶釜」『子どもに語る日本の昔話2』こぐま社
こねこのチョコレート」『おはなしのろうそく20』東京子ども図書館
犬と笛」『子どもと家庭のための奈良の民話 一』京阪奈情報教育出版
ひなどりとねこ」『子どもに聞かせる世界の民話』実業之日本社
へびとおしっこ」『ねしょんべんものがたり』椋 鳩十 編 童心社
スヌークスさん一家」『おはなしのろうそく1』東京子ども図書館

たくさん発表してくださいました。

ところで、「半分のにわとり」はどう半分になっていると思いますか?
テキストを読んだことも、聴いたこともないわ~という方は、語りの森HPの外国の昔話から音声を聴いてみてくださいね。
にわとりは半分になっても生きているし、歩くし、お尻から色々入れるし、果物も食べられるんです。
昔話が図形的に語られているのがよくわかる例ですね。

さてさて、私たちが普段話している言葉はどこで間を取っているでしょう。
息つぎをしたいとき、もったいぶった言い方をしたいとき……。
少なくとも書き言葉で読点「、」を打つほどには途切れさせていないと思います。
そんなに途切れさせて話すのは、夏場、扇風機の前で宇宙人のモノマネするときくらいではないでしょうか。
ところが、おはなし初心者はテキスト通りにきっちり覚えようとして、読点の位置まできっちり途切れさせてしまいがちになります。
それが”間”だと思っちゃうんですよね。少なくとも入門講座の時の私はそうでした。
ゆっくり聞き取りやすく語らなければと思い、読点で区切ってしまったのです。
入門講座のそれも人生初の語りでそれをやってしまい、注意されたことを昨日のように覚えています。
けっして巳年生まれだから執念深いってわけじゃありませんよ。おっと、いけない。歳バレするところでした。
書き言葉に読点を付けるのは、文章を読みやすくするためです。日本語というのは、読点のつける場所で意味が変わってくる難しい言語だと思います。
それに読点と漢字を組み合わせることで読みやすくしていると思います。小学一年生の国語の教科書のなんと読みにくいことか!!
論点がずれましたが(;´・ω・)
つまりは語りの間を獲得するためには、テキストの読点を取っ払っちゃいましょうというお話。
きっとお喋りをするかの如く自然な語りの間を掴むことができると思います。(自己責任でお願いします)
ちなみに私が入門講座で頂いたアドバイスは、立て板に水が流れるように続けて語れるように練習するというものでした。
でも、人によって個性も癖も違うので、自分に合った練習をお勧めします。

 

ようやく縄文時代

おはなし全然関係ないのですが、我が子が突然、

「矢じりを作りたい」

と言い出しまして、そこらで拾ってきた石同士を打ち付けて加工し始めました。

 

もともと歴史が好きなようで、一時期、武将がどうの、なんとかの乱がどうのと騒いでいたのですが、一気に時代を遡った!と驚きながら好きにさせておりました。

水泳ゴーグルつけて、マスクを何重にもつけてじん肺対策もバッチリ。

面白すぎる(*´艸`*)

そうしてほっておいたら、つい先日、

 

「あんな、土器作ってみたいねん」

と言い出しました。

あ、彼のなかで時代が進んだと感じました。

そのうちベランダでバケツに水をはり、稲作を始めたら楽しいなぁ。

第4回 昔話の語法勉強会に行ってきました。

2016年10月25日、そぼふる雨の中、昔話の語法勉強会に行ってまいりました。

昔話の語法を勉強するのが初めてという方も多数いらっしゃいました。
毎回ひとつの昔話を題材に、細かくどんな語法が使われているのかな、と確認していきます。

ちなみに事前学習として

『こんにちは、昔話です』(小澤俊夫著 小澤昔ばなし研究所刊)
『昔話の語法』(小澤俊夫著 福音館書店刊)

に目を通していきました。

さて、講座のレポートですが。

今回の題材は、

「ちくりんぼう」(『雪の夜に語り継ぐ』笠原政雄 福音館書店)

この昔話は、『日本の昔話5ねずみのもちつき』(小澤俊夫再話 福音館書店)に収録されている「三枚のお札」の原話です。

まずは、「ちくりんぼう」を語ってくださいました。

「語法に気をつけて聴いておいてください」

と言われたのに、本気で楽しんで聴いてしまいました(;´∀`)アハハ

語ってくださったのは、「三枚のお札」を日常語に直したお話です。

そして、段落に分けた原話の「ちくりんぼう」を

「どんな語法が隠れているのかな~♪」とひとつひとつ確認していきます。

そしたらば、出るわ、出るわ。花咲じいの宝のようにざっくざっくと。

発端句から始まり、時代・場所・人物を不特定に語る固定性

「あるお寺の方丈が小僧にね、」と不特定に語っているのに頭に浮かぶのは、ひとつのお寺と、一人の和尚さんと、一人の小僧さんの姿。
背景も、複数いるであろう小僧さんの姿も頭には浮かびません。(昔話の孤立性

冬木を取りに行ってこいと、三枚のお札を渡され、一人で山にいく小僧さん。(三という数字=固定性、一人で出かける=孤立性
まさに外的刺激を受けて一人で旅に出るのです。

お札から出るのは針の山(昔話は硬いものを好む)、火の山(昔話は原色を好む。火=赤)

一度に会話しているのは方丈さんと小僧さんだけ。(昔話の場面は一対一で構成される

ほんの数行の間にこれでもかと出てきます。そのたびに他の昔話でも具体的な例を挙げていただき、「ふむふむ、なるほど」と理解は深まります。
確かに「かしこいモリー」も幸せ(結婚)と引き換えに王様に取引を持ち掛けられて一人で旅に出ます。指輪や剣など硬いものを取ってきますね。
姉妹も三人だし、王様の息子も三人だわ。|д゚)

この場合の旅とは旅行ではなくて、主人公の内面、精神的な成長を促す試練への旅路であり、主人公の意思は関係なく行かされてしまうところが、この先のストーリーを期待してワクワクと期待感を煽られてしまうんですよね。

ストーリーは主人公の幸せな結末に向かって一直線に進みます。幸せになるとわかっているから安心して聴き手も一緒に主人公になりきって冒険できる安心感。
耳で聴いて理解しやすい一対一の場面。
日の暮れた山で途方にくれても灯りや小屋は見つかる安心感。
「鬼ばばが出るぞ」と言われたら本当に出てくる満足感。
異界の生き物とも会話が成り立つ楽しさと分かりやすさ。
楽しい三度の繰り返し。
面白くてわかりやすい極端な表現。
ピンチの時にはすぐに出てきてくれる火の山、針の山のお助けアイテム。
ギリギリのところでタイミングよく危険を回避しながら進むスピード感のあるストーリー展開。
間抜けな鬼ばばは最後には必ず退治される満足感。

あれ? 昔話の語法って聴き手が昔話に期待するところそのものじゃない?

それもそのはず、語り手の聴き手への深い愛情が、聴き手の求めるものに応えるように語られてきたことで、この形式、つまり語法が出来上がったのですよ!
その愛情は世界共通なんですよ!
これこそリューティさん曰くの「昔話の形式意志」!(だと思う)

それでですね、『昔話の語法』(小澤俊夫著 福音館書店)の冒頭に戻るわけですよ。引用しますとね、

「昔話はどこにありますか」

この言葉の意味に気付いたときにぞわっと鳥肌が立ちました。(;゚Д゚)
この言葉を語法のテキストの最初にもってきた小澤先生さすがだなぁ。深いなぁ。

伝承の語り手ではない私たちは、研究者さんたちが掘り出してきてくれた昔話資料を訳者や再話者を通したテキストから語るしかないのですが、実際聴き手の前で語るのは私たちですからね。
その場、『昔話』を一時共有する目の前にいる人たちのために愛情をこめて語りたいですよね。
というわけで、より理解を深めるためにこれからも精進しましょう!

次回の第5回昔話の語法勉強会は2017年2月17日だそうです。

最後に今回の講座で紹介された本です。
『こんにちは、昔話です』小澤俊夫著 小澤昔ばなし研究所
『昔話とは何か 改訂』小澤俊夫著 小澤昔ばなし研究所
『昔話の語法』小澤俊夫著 福音館書店刊
『ヨーロッパの昔話 その形式と本質』マックス・リューティ著 小澤俊夫訳 岩崎美術社
『昔話 その美学と人間像』マックス・リューティ著 小澤俊夫訳 岩波書店
『昔話の本質 むかしむかしのあるところに』マックス・リューティ著 野沢 泫訳 福音館書店 絶版 1985
『昔話の解釈 今でもやっぱり生きている』マックス・リューティ著 野沢 泫訳 福音館書店 絶版 1982
『昔話の本質と解釈』マックス・リューティ著 野沢 泫訳 福音館書店 1996