「グリム童話よもやま」カテゴリーアーカイブ

グリム童話「きつねとがちょう」🦊

あんまり語られることのないグリムだと思う。
短くて軽いおはなし。
わたしは、けっこう好きで、以前はおまけの話でよく語っていました。
でも、がちょうのお経が、あんまりいつまでもつづくので、のどが痛くなってしまうので、最近は語らない(*^-^*)

初版から入ってるんですよ。
KHM86「きつねとがちょう」
ほら、「ブレーメンの音楽隊」や「金のがちょう」を伝えたおうち、パーダーボルンのハクストハウゼン家の伝承です。

ハクストハウゼン家、興味ありますねえ(❁´◡`❁)
グリム兄弟に50話以上提供しているらしいです。
ざっと数えたら、37話がグリム童話に入っていますね。
「熊の皮を着た男」もそうです。

グリム兄弟は、ゲッティンゲンで、ハクストハウゼン男爵と知り合いになって、お家に招待されるんですって。そこに、10歳のアンナがいて、アンナたちから聞いた昔話を記録したそうです。
お年寄りからではなくて、少女から昔話を聞いたんですね。ちょっと意外。

さて「きつねとがちょう」
ATU227
話型名は「がちょうが祈りのための一時を請う」
おもにヨーロッパに分布しているようです。

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「きつねとがちょうたち」

はい、おしまい。

今日は図書館で借りた本を、ボ~っと読んで過ごしています。
暑くって、元気が出ない(;´д`)ゞ

 

グリム童話「金のがちょう」🐤

人気の話ですが、なぜかずいぶん長いこと語っていません。

親切だった末っ子が、小人の援助で幸せになるのもすてきだし、
がちょうに次々と人がくっついていくのもめっちゃおもしろいし、笑ったことのいお姫さまがその行列を見てはじめて笑ったのもすてきだし、水陸両用の船もいいなあ。
子どもが喜ぶ要素がいっぱいある話ですね。

KHM64「金のがちょう」

エーレンベルク稿では、27番「金のがちょう」
手書きのメモだし、会話とか詳しい描写はほとんどありませんが、ストーリーは、7版までほとんど変わっていません。

初版では、64番の4つ目
以前書いた「三枚の鳥の羽」といっしょに「ぼけなすの話」にはいっています。
こちら⇒
愚か者が幸せになる話って、現代の子どもたちに、とっても大切かも。

2版で、パーダーボルンのハクストハウゼン家のはなしで細部が補われています。
昨日書いた「ブレーメンの音楽隊」も、ハクストハウゼン家のレパートリーでしたね。

ATU571「みんなくっつけ」
類話は世界中に分布しているようです。
主人公が小人(彼岸の援助者)からもらうのは金のがちょうだけではなくて、ほかの動物や乗り物のこともあるそうです。
たいていは、「みんなくっつけ!」という呪文や、魔法の杖で、くっつかせます。

水陸両用の船
『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「金のがちょう」

 

 

グリム童話「ブレーメンの音楽隊」🎵

ドイツのメルヒェン街道の出発点は、グリム兄弟の生まれたハーナウです。
こんな銅像があります。
立っているのがお兄さんのヤーコプ、座っているのが、病弱な弟のヴィルヘルムです。

 

ハーナウからどんどん北上してグリム童話ゆかりの地を結んで約600キロメートル。
終点がブレーメンです。

ブレーメンはドイツでも大都市で、中世には、ハンザ同盟の自由都市として栄えた町です。海外貿易の町らしく、おしゃれで、内陸の町とは、雰囲気が違っていると言います。

このブレーメンのマルクト広場にあるのが、これ。

ブレーメンの音楽隊の銅像です。

あれれ、ロバと犬と猫とにわとりは、ブレーメンへ行く途中で、盗賊たちの家を乗っ取って、そこで平和に暮らすんでしたよね。
でも、ブレーメンの町に、かれらはちゃんと立っています。

引用
グリム兄弟にこの話のもとになったいくつかの話を送ってくれたのは、パーデルボルンのハクストハウゼン家の人たちでした。
パーデルボルンはハーメルンの南西約60キロメートルの距離にある、ウェストファーレン侯国の古い町です。ブレーメンはここから見るとちょうど真北にあたりますが、直線距離にして約160キロメートルもあります。ですから、パーデルボルン近辺の話として、ブレーメンまで行くということは、ほとんど到達できない夢の町をめざすという意味をもっています。
by『グリム童話のふるさと』小澤俊夫文/新潮社

ということです。
「ブレーメンへ行こう」という動物たちの気持ち、ちょっとわかりました。
結局行きつけなかったけど、それでもいいのです。
夢に向かって歩き出すことが大事なのです。

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「ブレーメンの音楽隊」

 

グリム童話「ホレおばさん」👱‍♀️

昨日は月曜日。HPの更新の日でしたよ~
《ステップアップ》に、「耳からの読書」について書いたので、読んでくださいね。ちょっと長いけど。

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今日は、グリム童話「ホレおばさん」について書きますね。
えっ、季節外れ~って?
まあいいやん。
ちょっと面白い文章があったので、冬まで覚えてられないと思ってね

KHM24ホレおばさん

美しくて働き者の娘と醜くて怠け者の娘がいて、母親は怠け者の娘のほうをかわいがるの。実の娘だからね。
もう結末は分かりますね(笑)

私が好きなのは、井戸の底に美しい野原があって、ふつうに家が建っているところ。それと、パンが「私を出しておくれ。もうすっかり焼きあがってるんだ」っていったり、リンゴの木が「私をゆすっておくれ、もうすっかり熟してるんだ」っていって、主人公はちゃんというとおりにしてやるところ。適期を見る目があるのね。

それと、ホレおばさんっていう存在に興味があったので、きちんと調べてみました。
きちんとっていうのはね、グリムさんが童話集を作った当時、ホレおばさんがどういう存在だったかを、調べたの。

資料1、「昔話の本質」ヴィルヘルム・グリム著/1819年
グリム兄弟の弟の論文です。グリム童話の2版を出した年ですね。
その論文の「異教的な信仰の痕跡」っていう項に、こんなことが書いてありました。

引用
彼女は、慈悲深く親切であるが、恐ろしい驚くべき女神でもある。彼女は深みや高み、湖や山に住み、不幸あるいは祝福そして多産を、人間がそれに値するかどうかという判断に従って、分配する。
彼女は大地全体を包括し、ベッドを整えるときには、羽毛が飛び、そうすると人間界に雪が降る。同じように、露と雨を降らせ、ヴァルキューレ(神話の中の武装した乙女)たちの雲の馬が身を震わすとき、国土を豊かにする。

つまり、ホレは女神さまなんですね。
自然をつかさどる神。自然信仰の神は、両面性を持っています。人間に恵みを与える面と、脅威となる面と。
日本の山姥も両面性があるけれど、今はもう信仰の対象ではなくなっていますね。

そうすると、昔話「ホレおばさん」の中の、ふたりの娘は、自然神に愛されるやりかたと、罰せられるやり方の両極端を教えていることになります。
人間が自然に対してどうであるのがよいかを伝える話だということがわかりました。

資料2、『ドイツ伝説集』グリム兄弟編著/1816年
グリム兄弟が集めた伝説集。
伝説は、各地で信じられている口承ですね。
その中に5話、ホレ伝説が載っています。
「ホッレ小母が池」「ホッラ小母の巡回」「ホッレ小母の水浴び場」「ホッラ小母と忠実なエッカルト」「ホッラ小母と農夫」
ホッレとかホッラとか呼ばれてる。

おもしろかったのは、ホレは、クリスマスやお正月に各地を巡回するんだって。で、娘たちが糸つむぎに精を出していれば福を授けてくれるし、怠けていれば罰を受ける。
なんだか、なまはげみたい。

糸つむぎ、とっても興味がありますね。いつかまた改めて調べて報告します。

ATU480
話型名「親切な少女と不親切な少女」
この話型名をきけば、きっと知ってる話に心当たりがあると思います。
世界じゅうに類話がいっぱい。

はい、きょうはここまで。

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「ホレおばさん」
娘が井戸のわきで糸を紡いでいますね。
ウベローデの挿絵には、グリム兄弟の当時の情景が忠実に描かれているそうです。

 

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今日のレパートリーの解凍
「いい夢とつまらない旅」『空に浮かんだお城 フランス民話』山口智子訳/岩波書店
あかん、覚えて数回やっただけの話、もどってこないよ~

グリム童話「かえるの王さま」👑

京都府南部は、朝からしとしと雨です。

きょうは、「かえるの王さま」について書きます。
この話は、なぜか、子どもだけでなく、学生さんやおはなしなんて聞いたことがないという大人の人たち、などなど、いろいろな場所で語りました。
おかげで、私自身のなかに深く入ってきてくれました。
それを全部書ききれないのが残念です。

KHM1「かえるの王さま あるいは鉄のハインリヒ」

エーレンベルク稿では25番ですが、初版から1番、7版までずっと冒頭を飾ります。
グリム自身、この話を、ドイツ最古のものだと、注に書いています。古くは、「鉄のハインリヒ」という題の口伝えだったそうです。

今、私たちの中には、最後のハインリヒの部分を語らないという考えの人がいます。でも、もともと「鉄のハインリヒ」として伝えられてきたのだから、ハインリヒの場面には意味があると思います。どんな意味があるのか、自分で考え、納得したうえで、省略しないで語りたいものです。

私は、この部分に私自身の思いを乗せています。
同時に、子どもたちは、最後のこの部分でぐっと集中して聞きます。
私の思いも、子どもたちのとらえたものも、その時その時で異なっているでしょうが、それでいいのです。それがお話。一期一会。
ただ、力のあるこの部分をぬきにして、「かえるの王さま」は語れないと思います。

さて、この話をずっと第1番に持ってきたグリムの思いは、ヨーロッパ近代国家の成立とかかわってきます。大きな話になるので、興味のある方は『グリム童話と近代メルヒェン』竹原威滋著/三弥井書店をどうぞ。

ここでは、細かいことを書きますね。
エーレンベルク稿から7版まで、文章が改訂されています。
「まだ人の願い事がかなったころ」とか「菩提樹の木の下には泉が」とか、版を重ねるにつれどんどん書き込まれていくのですが、私自身が気になったのは、王さまの言葉です。

かえるが近づこうとすると、お姫さまが拒否しますね。その時の王さまの言葉です。
会話文というのは、語りの中で強いインパクトを持つので、無視できません。

エーレンベルク稿では、王さまはお姫さまに、かえるの言うとおりにするように命令しますが、発語はありません。
初版と2版では、ドアを開けるように命じるところで、
「約束したことは守らなくてはならない」。
ベッドに連れて行くように命じるところでも、
「約束したことは守らなくてはならない」といいます。
7版では、ドアを開けるように命じるところで、
「約束したことは守らなくてはならない」。
ベッドに連れて行くように命じるところで、
「おまえが困ったときに助けてくれた者を後になって粗末にしてはいけない」といいます。

寝室で、エーレンベルク稿から2版までは、かえるはしゃべりません。
ところが、7版では、かえるは、お姫さまにベッドに上げてくれといいますね。そのときに、「お父さまに言いつけますよ」といいます。

この会話文に、父親の権威とか道徳心の養成とか、恣意的なものを感じてしまうのは、私だけでしょうか?
昔話ならばストーリーのみで語るのが本来ではないでしょうか?

でもね、正直なことを言うと、子どもはこの部分でハッとするんですよ。
ストーリーに集中するだけでなくて、自分の内面に入っていく感覚が、語り手としてわかるんです。
ならば、グリムさんのこの再話は成功といえるのではないか、と思います。今はね。

ATU440「カエルの王様、または鉄のハインリヒ」
ヨーロッパを中心に世界中に広がっています。
いつかこんど、イギリスの類話「世界の果ての井戸」を紹介しますね。

「かえるの王さま」を子どもがどんなふうに聞くかについては、『ノート式おはなし講座 語り この愉しき瞬間』にも書いてるので見てね。持ってない人は買ってね(あ、『おもちホイコラショ』も一緒にねーついでの宣伝  \(@^0^@)/)。

はい、おしまい。

『オットーウベローデグリム童話全挿絵集』古今社より「かえるの王さま」

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今日のレパートリーの解凍
「ついでにぺろり」『おはなしのろうそく6』東京子ども図書館