「勉強会」カテゴリーアーカイブ

9月の語りクラス

残暑厳しい日々です、というより真夏の気温です。朝晩はかろうじて秋を感じる事が出来ますので、少しだけほっとしますね。

「小さなからす」 語りの森HP

「聖アントニウスの物語」 語りの森HP

「三つのオレンジ」『スペイン民話集』岩波書店 より再話

「金の髪」『おはなしのろうそく19』東京子ども図書館

「はす」 語りの森HP

「山伏とたぬき」『語りの森昔話集5』語りの森

「名人四人きょうだい」『おはなしのろうそく31』東京子ども図書館

この度、ヤンさんは休養中でしたので、みなさんで感じたことを話す会となりました。後半のおはなし三つは飛び入りの語りとなりました。すばらしい~!

テキストの言葉、語り方など、語り手の疑問点をあげてもらって話し合いました。やはり頼りになるのは語法です。語法を自分のものにしていく事で、語りも再話も納得して自分で決めていく、語法はそんな拠り所になっていくので、復習しないとな~と思いました。語り方については、後になって自分なりに振り返って考えています。語り手がとにかくテキストに時間をかけて向き合って分かっていくことかな?と。語り経験の豊富な方は、そこの時間は短くても到達点に近い語りができますよね。だから、語り方では、子どもたちはこうやって聞くだろうから、こんなふうに語ればいいかな…、ここ大事な場面だから、こんなふうに語れば伝わるかな、とかを考える。それで語ってみて子どもたちの反応で確かめる。違ったらそれに気づくように心がける。だから、同じ話を繰り返し、何年もかけて語っていく事で、軌道修正して磨きがかかってくるし、その手掛かりが他のはなしの語り方にも応用が効くようになるのでは?と推察します。いや、ヤンさんがいつも言っていることですね( ;∀;)今の自分の感じる事は、子どもとはズレがあるかもしれませんので、信用なりません。1回の語りの実践を、そういうところに意識をおくことで、「子どもたちに教えてもらう」貴重な時間なんだと改めて思いなおしました。まずは、語りがこなれる事、そこからがスタートなので、チャンスがあれば子供たちの前で何度も語ることを目指したいです。いずれは自分の定番のおはなしが自然と決まっていくんですかね~。そんなことも考えると楽しいです。入門クラス、初級クラス、中級クラスと歩みを進め、皆さん一緒の語りクラスとなり、語り仲間のそれぞれの段階をみんなで感じあい、影響を受け合っています。語りを聞かせてもらって、元気をもらって、癒され、生きる力をもらう時間です(^^♪

次回は11月12日㈫です。

プライベートレッスン🌀

台風が近づいてきているせいで、ずっと雨が降っています。
被害の出ているところもあります。
ゆっくりすすむ台風は怖いですね。
はやくおさまってくれますように。

昨日、8月のプライベートレッスンがありました。
語り
「ジャックとまめの木」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森
この話を語る人はわたしのまわりでもたくさんおられて、話も面白いし、語り手さんの個性が出てそれも面白い。
もちろん子どもたちも喜んで聞いてくれるし、好きなお話です。

ヤンさんのアドヴァイスは、〝見えるように語る〟
・接続語を入れると緊迫感が無くなる
・緊迫感を語りで表す
・緊迫感が出るように再話してある(きちんと語ればいいというテキストではない)
他の話であれば、特に物語性の強い話はきちんと語ることで聞き手に伝わりますが、「ジャックとまめの木」はハラハラドキドキする話です。
きちんと均等に同じ調子で語っていては緊迫感が出ませんから聞き手の「来るぞ、来るぞ!」という気持ちには対応できません。
わたしも練習するときに、どこを丁寧に語って、どこを早く語るのかなと考えながら、どうしたものかと思っていました。
その答えを、テキストを見ながら要所要所を指摘してもらってよくわかり、大変勉強になりました(*^_^*)
再話したのが講師のヤンさんなので、再話者だからこそ聞ける話を聞けてとてもよかったです。

プライベートレッスンは、ZOOMを使っているんですが、始まる前にアップデートされたんですよ。
そしたら、下のほうに表示されるアイコンの中にAIなんとかというのがあって…。
こわくてクリックできませんが、わたしにはよくわからないAIが、自分のテリトリーを犯してきたと感じました(笑)
ああ、ついていけない…。
使わなければいいんですけどね。
ではまた来月、どんな話を勉強できるのか楽しみにしております(^O^)/

ねずの木🌳

グリム童話の「ねずの木」
子どもには語ったことないんですけど。
かなりショッキングな話なので、ちゃんと伝えられるか自信がなくてね。
でも、わたしはふしぎと心ひかれるのです。

お母さんがぼくを殺し
お父さんがぼくを食べた
妹のマルレーンがぼくの骨を絹につつんで
ねずの木の下に置いた

「ねずの木」は、『グリム童話集」の初版から入ってるんですね。
残酷だと批判された話は、グリムさんは削除したりほかの話と入れ替えたりしているのに、「ねずの木」は、ちゃんとそのまま入れている。

なんでかな?

グリムさん自身は、口伝えの話の理想形だって考えていたらしいんだけど。

それにしても、みんなから批判されなかったのかな?
こんなんひどい話や!って。
当時の人たちは、この話をどう受け止めてたんやろか?

と、好奇心に突き動かされて、調べました╰(*°▽°*)╯

昔話には類話ってもんがある。類話が広く伝わっていれば、それは人気がある証拠やね。「ねずの木」はどうやろか?
・・・・あるある!
いっぱいある!
しかも歌だけ独立して伝わってたりする!
日本にも、類話じゃないけど、お母さんに殺されて、鳥に生まれ変わって、殺人を暴露する歌を歌う話、全国にいっぱいある!

なんで、なんで?

主人公は殺されて骨になり、妹の愛によって生まれ変わる。
生まれ変わる?
調べていったら、古代エジプト神話にまで行きついたのよ。

おもしろい!

ブログでは書ききれないです。
今月27日の勉強会にぜひ、来てください。
暑いけど。
詳細はこちら⇒

「ねずの木」だけじゃなくて、時間があれば、奈良の民話「ホトトギスのきょうだい」も語るので、聞いてね。

 

 

 

ヘンゼルとグレーテルの語法その後その1👦👧

子どもたちに人気のグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」
先日の勉強会のあと、参加者のみなさんから感想をいただきました。
人の数だけ語りがあるわけですが、勉強会で受け取ったことも、おひとりおひとりが違っています。
その違うところが、興味深いし、とっても大事だと思うので、いつもここにご紹介する次第でございます。

では、いってみよー

Uさん
この度も、深い学びの時間をいただきありがとうございました。
結論は「自分を拠り所にする」ということですね!
広く読まれるメルヒェンとして、グリム童話が今も残っているという事は、グリム兄弟の編纂のおかげなんだなとも思われました。その時代の人々に受け入れられることを拒んだら、誰にも好まれず、なくなっていたかもしれません。
エーレンベルク稿が本来の語りのテキストなのですが、それから200年以上の時を経た人類の精神的な在り方が全く違うものになっているので、その限られた言葉の中で、当時の聞き手が受け取っていた同質のものを、今の私たちが受け取ることは不可能なんだと思います。現代人に合った言葉に変えたり、付け加えたりするための再話のヒントが昔話の語法にあるのだという事が、深く納得できたように思います。人類にとって普遍的な大事な事を、再話の力で繋いでいく可能性を見出せるのだと思います。
また、語法の勉強と共に、2版と7版の比較をして頂いたことで、言葉による表現の違いで、受け取るものが大きく変わってくることも感じる事が出来ました。特に人物の心情描写は聞き手の感情を引っ張ります。悲しい、腹立たしい、嬉しい、そういう感情は、聞き手の中で自然と想起されることが、聞き手の自由なんだと言っていただいて、その通りだなと改めて思いました。聞き手の情操を育てる。それに適ったテキスト選びや再話が、とても大事なことだなと思いました。自分の好みを捨てよということではなくて、語法を知ったうえで、自分の感性や直観で選ぶおはなしを大事に語っていこうと思いました。

Sさん
まずは、語法の勉強会、ありがとうございました!
このお話には、あまり多くの語法が入っていないという事もあり、むしろ後半お話に出てきた、2版と7版の違いについての研究発表のように受け止めました。どちらにしても大変興味深く聞かせていただきました。
お話を当たり前のように「聞いて伝える」時代から、お話は「読むもの」として定着していく時代の流れの中、グリム兄弟も読み手の要求に合わせて文章に手を入れて行かざるを得なかったのだろうと推察します。しかしながら、何度も手を入れながらも、昔話そのものが持つ大切な事は決して損なっていないところはさすがと言えると思います。
「聞く事」と「読む事」の違いを改めて考えました。お話を聞く機会のないまま大人になった人が、語り聞かせを体験して「絵が見えた!」と目を輝かせる姿を何度か見せてもらいました。
自分の新たな能力に開眼する瞬間!その聞き手の能力を引き出す、つまりお話の中に聞き手をいざなうには
・語法にのっとったテキスト
・語法を理解した上での、語り手のお話への解釈
・語るに至るまでの積み重ねの時間
が必要なのですね。
人と人が作り出す事ができる、真に豊かな時間と言えますよね!

Eさん
「ヘンゼルとグレーテル」は、いちど3年生に語ったことがあるのですが、そのときは、整理されたテキストテキストを覚えたので、今回『語るためのグリム童話1』には余分な部分、特に登場人物の心理描写が多いと気づかされました。
今までの語法の勉強会と大きく違った点、2版と7版の比較、勉強になりました。(整理されたテキストがあるので、こんなふうに手を入れるんだと分かりました)
以前語ってた時の子どもたちの反応は満足のいくものではありませんでした。グレーテルが自分の力で魔女をやっつけ、そこから成長する姿はもっと元気よく語ればよかったと思いました。
来週、3年生のおはなし会に参加するので、今回の勉強会で学んだ事をふり返りながら、子どもたちといっしょに楽しみたいです。

7月のプライベートレッスン

ほぼ毎日猛暑続きなので、ZOOMで行うプライベートレッスンのありがたさを改めて実感します。
次々に開発される技術についていけないけれど、ヒイヒイ言いながらついていく苦しさも少しは報われたと思う瞬間です(笑)

7月のプライベートレッスンは2話でした。
語り
「黄色いリボン」『語られると怖い話』岡村綺堂、半藤一利他/著 赤木かん子/編 ポプラ社
アメリカ民話です。出典本に解説がありまして、〝語ってもらわないと面白くない話の典型です。朗読するだけでも面白くならないのです。〟とのこと。
ご存じない方のために、どういう結末かは書きませんが、怖い話特集のお話会にぴったりなおはなしです。
どういう風に怖く語るのがいいのかということをみんなで考えました。
怖い話を怖く語るのは当たり前で、声を低くするとか簡単に思いつくと思いますが、いざ一つの話に向き合うとそう簡単ではないというのがよくわかりました。
怖い話といっても、怖さがそれぞれ違います。
そして、始めから全部怖いのか、最後が落ちになっていてそこでド~ンと怖いのか、後半から怖くなっていくのか。
そして、語り手さんの声とかにじみ出る雰囲気がどんな効果をもたらすのか。
「はぁ~~、笑い話は難しいというけれど、笑い話のほうが楽なんじゃないの?」
と思うほど、どうしたらいいんだろうかと頭を使いました。
でも、語り手さんが練習の方向をつかんでくださる結果となりましたし、少人数のプライベートレッスンは、まさに頭を突き合わせて一緒に考えられるからこそできたことかもしれません。

テキストを日常語にする
「ちょうふく山のやまんば」『日本の昔話3ももたろう』おざわとしお/再話 福音館書店
この話、いいやまんばの話でわたしも好きなんでうれしかったです。
お月見が出てくるので秋に語るのにぴったりです。
ヤンさんから、「これからは、テキストを自分で日常語に変えて、覚えて、勉強会には語りから出してみてはどうか…」と語り手さんに提案がありました。
回を重ねられて自分で日常語テキストをつくる力がついてこられたということで、ヤンさんが提案された瞬間に立ち会えたことになぜかわたしが「おおっ、出ました通行手形!」と、感動したのでした。
やり続けることで進んでいけるというのを横で見られるということは、自分も頑張ろうと思えて元気をいただきました。

季節柄、セミの抜け殻とセミの死骸をよく見ますが、人によって平気か平気でないかが違うようで、両方絶対気持ち悪いとか抜け殻は大丈夫だけど死骸は無理とか…
わたしは両方平気なんで、死骸でも指でつまんでポイッと捨てますが、抜け殻か死骸かの会話に「ああ、夏やなぁ~」と思った次第です(笑)
ではまた、次回のプライベートレッスンで~(^O^)/