「勉強会」カテゴリーアーカイブ

2月のプライベートレッスン

こんにちは(*’▽’)
2月のプライベートレッスンの報告ですが、ブログを書いている今日がちょうどお雛祭りの日なので、イラストはお内裏様とお雛様にしてみました。
10年以上出されない我が家のお雛様…。申し訳ございません<m(__)m>

2月のプライベートレッスンはお二人でした。
お一人目は語りをされました。
「鬼の面、お福の面」語りの森HP日本の昔話 → こちら
そしてもうひとりは、テキストを日常語に直す勉強をされました。
「わらしべ長者」『語りの森昔話集5桃太郎』

「わらしべ長者」の話には観音様が出てきますが、観音様のしゃべり方というか、観音様らしいしゃべり方でかつ自分の日常語にテキストを直すというのは難しいということを話していた時、ヤンさんが「知らずして語るのはおこがましい。」と言われたのが胸に刺さりました。
昔話のなかには超自然の登場人物が出てきます。
観音様、神様、小人、妖精などなど。
白雪姫の7人の小人は有名ですが、有名すぎて自分の中ですでに映像が出来上がっていて「小人とはかわいいもの」と思っているのではないでしょうか?
でも、調べてみると、事典に出てくる小人は決してかわいいものではありません。
どんどん調べるとどんどん奥にはまっていくような、そんな奥の深~い登場人物が多いですね。
だから、「なんとなく植え付けられているイメージだけで、それらしく語る」というのではなくて、「知らないならば色を付けずに普通に語ったほうがよくないですか? そのほうが、聞き手にゆだねられて聞き手のイメージ形成を邪魔しなくてよくないですか?」ということでした。
わたしは、「白雪姫」を語りますのでドキッとしました。
ディ〇ニーのイメージがわたしにもありましたから、かわいいものと思っていましたΣ(・□・;)
いつまでたっても、学ぶことって多いですね~~

語りとテキスト、一度に二つの勉強ができるのは楽しいですね。
それぞれに楽しくて勉強になりました。
また、次回を楽しみにしています(^O^)/

「ホレばあさん」昔話の語法感想集3⛄⛄⛄

三寒四温とはよく言ったもので、先日まで暖かかったのに、昨日今日の寒いこと!
明日くらい、あたたかくなるかなあ。

遅くなりました<(_ _)>
先日のオンラインでの昔話の語法勉強会。そのご感想が集まりましたので、ご紹介~~~

Hさん

このお話を初めて聞かせてもらった時に、『世界民話童話翻訳シリーズ④イギリス民話集Ⅱ・ヤラリーブラウン/J・ジェイコブズ著、木村俊夫・中島直子訳』にある「婆さん魔女」の類話だという事に気づきました。
そして語法の勉強をしながら、この2つのお話の違いについて考えさせられました。
まずは、ホレばあさんは自然を司る”女神様”で、婆さん魔女は”魔女”という事です。そこが真逆なゆえに「ホレばあさん」ではパン窯やりんごの木は”テスト”として出てきて、ふたりの娘の性質の違いをくっきりと見せてくれている存在ですが、「婆さん魔女」では、魔女に追いかけられて逃げる時に助けてくれる”援助者”の役割もしています。
基本的な登場人物は同じでも、役割が違っているのがおもしろいし、どちらもちゃんと「昔話」らしい。そして同じ話型でも、そこに込められているメッセージには違いが出ていると思いました。
お話を選ぶ時に、類話を比べてみることも面白いし、大事だなと感じています。

ホレさん

本日は語法の学習会を受講できうれしく思っています。
ペースもよく、何とかついていくことができました。
特に、ままむすめなのかむすめなのか、気になっていたことでしたので、
村上さんのご意見をうかがうことができて、とてもありがたかったです。
〜性を説明されるとき、たくさんの昔話(グリムも日本の昔話も)を例にひいていただきましたことも、
よくわかり、納得できました。
質問の時間もたっぷりあり、参加の方からのお話がうかがえたのも有意義でした。

Iさん

昔ばなしの世界をまた広げてもらったように思います。聞き手のために貫かれている語法は語り手の愛なんですね。この贈り物、人類の記憶(記録)をそっと手渡し続けることで、子どもたちは正しい行いを自然と選び、行動するようになるんだなと思います。いくつか、印象的だったことがあります。「母親は…みにくいなまけものの自分のむすめにも、同じ幸せをつかませてやりたいと思いました。」ここに平等性を感じました。自分の中にあるみにくいなまけものな部分があっても、姿形が違っても、人種が違っても、命の重さや幸せは平等である。そんなメッセージを感じました。
そして、私のイメージの話ですが、異界の道は、一本道で聞いていました。パン焼き窯、リンゴの木、ホレばあさんの家が一本道でした。「草原」となっているので、平面的な広がりがあるのでしょうけど。昔話を聞きだしてから、イメージの仕方が変わったのかもしれないんですが、分かりやすいように自分でしているのかなとも思います。聞き手に任せてもらえるから、自由ですね。子どもたちや、みなさんの想像するものはどんな世界なんでしょうね。何でもできちゃう世界。自分の将来も、自由に想像して(創造して)、そうやって行きたい方へ行ってほしいなと思わずにはいられないこの頃です。今後はもっと、語法を活かして語りをしたいです。ありがとうございました。

Kさん

ありがとうございました!今回もやっぱり受講して良かったです!ハッとさせられました!(何度も教えていただいているのに😅)
昔話の語法ってほんとうに素晴らしいですね!耳で聞いてわかりやすい!聞き手に対する愛に溢れています!あ〜自分はそんなふうにできてるかなぁって!そして今回何よりハッとさせられたのは、昔話は行動に対する報酬は、その行動に正確に対応する!です!親切な少女と不親切な少女!行動を見れば報酬はそのとうりですね!となりました!昔話の語法の勉強をするたびに語り続けてくださった方々の愛の大きさにおののくばかりです!

みなさん、いま直面している課題と関わらせて考えてくださっていますね。
ともに学ぶことができて、わたしもうれしいです(*^▽^*)

つぎは4月4日、オンラインで「三匹の子ブタ」をとりあげます。
ぜひ参加してくださいね~
それまでに『昔話の語法』小澤俊夫著/福音館書店 をよんでおくと、もっとよくわかると思いますよ~

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夫「ふたりの男がな、旅しててな、ひとりがう〇こ我慢していくのと、もうひとりは二人分の荷物背負っていくのと、どっちが勝つかって話知ってる?」
わたし「しらん」
夫「古典やったと思う」
調べた結果、『播磨国風土記』に出てた( •̀ ω •́ )✧
大国主命と少彦名命のエピソード。
風土記って、地名由来ばかりで、なじみのある土地のことはへ~って思うけど、そうでないとあまり面白くない。
けど、こんな話もあるんやね。再話してみようと思う。
ちょっとしばらくは、風土記を読むことになりそう(*^▽^*)
あ、そうそう、枚方って渡来人が移り住んだ村だったそうです。播磨の国風土記に河内の枚方のことが書いてあるのもちょっと驚き~

ところで、上記の話、どちらが勝ったと思いますか?

 

 

第23回昔話の語法勉強会「ホレばあさん」🐓

毎日寒いですね。
寒波だ、雪だとアタフタしているうちにもう2月になっています!
1月に対面で行われた語法勉強会ですが、2月はオンラインで開催され、遠方の方のご参加もありまして各地の様子を聞くこともできました。

勉強会は、「ホレばあさん」の話の構造をまず最初に抑え、それから細かい語法の指摘となりました。
話型としてはATU480親切な少女と不親切な少女です。
前半の親切な少女の部分の語法が、後半の不親切な少女の部分と対応しています。
今回の語法の勉強の中で特に心に残ったのは、昔話の平面性の説明の中で〝昔話では、行動に対する報酬はその行動に正確に対応する〟という内容でした。
これは、今までにも何度も教えてもらっていることなのではありますが、たぶんヤンさんが説明の言葉をいろいろ考えていろいろな言い方で言ってくれているからだと思いますが、何度も聞いているはずなのに心に刺さりました!
「ホレばあさん」の話の中ですと、おしまいに悪いほうの娘は大鍋いっぱいのコールタールをかぶります。
これが、行動に対する報酬です。
反対に、いいほうの娘は黄金の雨が降ってきます。
黄金の雨とコールタール、それぞれが行動に対する正確な報酬です。
見事な対比になっています。
同じように考えると、「こぶとりじいさん」「舌切りすずめ」「がちょう番の娘」など、最後に罰を受ける話はたくさんありますが、行動に対する正確な対応だとすると、それだからこそ聞き手を満足させるのだろうと思いました。
イソップ物語の「アリとキリギリス」を思い出しました。
あれは、教訓のためかもしれませんが、行動に対する報酬なんだろうなと思います。
これらの結末を厳しすぎるとか残酷だと思うのか、人生はそういうものだと思うのかは、各人の考え次第だとは思いますが、語り手としての自分は語法を学びながら昔話は残酷なシーンを伝えているのではないということをしっかり心に刻んでいきたいと思いました。

ということで、実りあり、楽しさあり、みんなの顔も見られていい時間を過ごさせてもらって、とっても良かったです(*^。^*)

「ホレばあさん」昔話の語法感想集2❄️❄️

全国的に大寒波が到来したようです。
みなさまのところは、大きな被害はありませんでしたか?
京都府南部のこの辺りは、降水量が少ないので、寒くはなっても雪が降ることはめったにありません。ところが、ゆうべ、一瞬のうちに雪が積もりました。
まだ、寒波は居座るもよう。みなさま、気を付けてくださいね。

さて、1月17日の語法勉強会の感想の続きです。
みなさま、ありがとうございました。

ひよこさん

先日は、貴重なお話ありがとうございました。
聞き心地が良いのは、色々な仕組みがあるんだなぁと改めて感じました。
先がわかっているのに何度聞いても面白い、子どもになった気分です(笑)
これからも、少しずつではありますが、勉強させて頂こうと思っております。

Dさん

ホレばあさんの語法講座、ありがとうございました。
今回の講座を受けて、おはなしと児童文学は別のもの、別の楽しみなのだということがわかりました。今頃?(笑)
長い時間をかけて語り継がれてきたおはなしは、子どもが耳で聴いて楽しめるような語法に則っている。このことをわかったつもりだったんですが、情景や心理の描写が細やかな児童文学とか小説が好きで、昔話にちょっと物足りなさを感じていました(^_^;)

でも、今回受講して、初めて語り部の昔話を聴いたときのワクワクした感じを思い出しました。近頃おはなしを聴くときも、勉強モードになってしまっていて…聴く側の気持ちになれていなかったと思います。
読んでもらう楽しさ、自分で読む楽しさ、聴く楽しさ、楽しみはいろいろ。とても当たり前のこと言っていますが、自分でちゃんとわかるのって時間がかかりますね。
スッキリしました。ありがとうございました。

Eさん

語法の勉強会に初めて参加しました。
ストーリーテリングの世界に入ってから、昔話に対して感じていた疑問や違和感などがありました。

何故主人公はいつでも美しいのか?
何故美しい者が幸せになり、醜い者は不幸せになるのか?
話が残酷過ぎないか?
等々

それが、今回の語法会ですっかり解決しました。

今までストーリーテリングの世界に、何か神聖さを感じていたのですが、それよりも、昔話は昔話の役割があって、分かりやすいこと、覚えやすいこと、聞き取りやすいこと、イメージしやすいこと、そこを突き詰めるとあの形になるのだ、ということを学びました。

昔話の残酷さについては、もっと勉強したいので、春からの講座が今から楽しみです!

Fさん

語法の勉強会、ありがとうございました。 
今まで絵本の読み聞かせとストーリーテリング、その差は何かをなんとなくでしか分かっていませんでしたが、語法のことを知ったことでそもそもの根底?成り立ち?が全く違うのだなと思いました。
たまたま脳の使い方の勉強をしているのですが、耳で聴く時と目で見る時では脳の使われる場所が違うこと。
そして耳で聴く時はそれまでの経験や語彙によって受け取り方や想像力の広がりが変わることを知り、ストーリーテリングが歴々と繋がれていることの意味を感じましたし、絵本が充実した現代の中でもこれからも繋げていきたいものだと思いました。
描写をしないことでの広がり。
スピード感。
子どもたちが、もっともっとと次を期待する眼差しが目に浮かびます。
端的でもあり、画一的とも捉えられそうな物語は、世界中で同じようで少し違うものに溢れているのを知り、大人が子どもに伝えたいことというのは国が違っても変わらないのだなと、面白く感じました。

しばらくは物語を読むたびに語法を気にすることになりそうです。
ありがとうございました。

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それから、前回のCさんの感想のなかで、どうして娘は家に帰ることを選んだのだろうということを指摘してくださいましたね。

ちょっと考えていて、気がついたんだけど、昔話では、彼岸へ行った主人公は必ず帰ってきますよね?
浦島太郎でも、仙人の教えでも、ヘンゼルとグレーテルでも、七羽のカラスでも、世界の果ての井戸でも、旅の仲間でも、ジャックと豆の木でも、かしこいモリーでも、竜神さまと花売りでも、さきぼそがらすの神でも、・・・
昔話にそういう大きな法則があるんじゃないかなあ?どうやろ?
「ホレばあさん」の娘も、理由はどうあれ、その大きな法則に動かされてるんじゃないかなあ。

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今週は、《日本の昔話》を更新しました。
青森県の「化け物と踊った話」です。
語ってくださいね~

 

 

「ホレばあさん」昔話の語法感想集1❄️

1月17日の会場での勉強会、感想文が集まりつつあるので、順次ご紹介しますね。

Aさん
限られた時間の中で盛りだくさんのことを教えて頂いて、ありがとうございました。
ホレばあさん以外のおはなしも例に上がると楽しかったです。
なるほどと思ったのは、人の性質を
登場人物に割り振って、二つ並べて見せてあるということ。
こんな類話がたくさんあるのは、世界中で好まれていて、心と行いによって人生はいろんなふうに変わるんだよと昔話を通して言ってるのかなと思いました。
そして、心の支えになるものが昔話に答えがあるということ。そういう昔話が自分にどれだけ語れるだろうかと思いながら、おはなしを選んで語っていきたいと思います。

Bさん
今まで何度か語法の勉強会に参加させていただきましたが
今回も新しい発見や納得ポイントがあって、とても興味深く
聞かせていただきました。
(単に前回のことを忘れているだけではないと思いたいですが💦)

勉強会の終わりに、昔話の残酷性について少し触れられました。
登場人物(動物)が残酷な死を遂げるお話がある昔話を
子どもたちに語るのはどうなのか、という意見について
私も考えさせられました。

自分の子どもについては、年齢的に成長していること、
また「ひょえー!こっわ!」で済ましてくれるという信頼があるので
そういったジレンマはありませんが、
残酷なお話を敬遠される方の気持ちもわかりますし、
繊細な子どもたちには配慮が必要かなと思います。

しかし昔話が単なる子どもたちのエンターテインメントというだけでなく
生きる知恵や逞しさを伝える手段として人類が受け継いできたもの。
そう思うと、死というテーマが所々に散りばめられていることは
ある意味で昔話の優しさなのかもしれないなと思いました。

なにしろ昔、あるところにいた、自分には全く関りのない知らない誰かさんのお話です。
それを聞く子どもたちは安全地帯から「死」を少しだけ見ます。
ある登場人物が途中で死んだとしても、血を見るわけでも、苦しんでいる様子を見るわけでもなく
お話は淡々と幸せに向かって続いていきます。

先生が言われた通り、人生や現実世界はもっと残酷です。
昔話という架空の世界にしっかりと守られながら
残酷さを消化する術を学ぶことができるのかもしれないですね。

ふと、先生がお知らせくださったユリ・シュルヴィッツさんの「チャンス」を思い出しました。
(まだ読んでいません!が、実は去年ホロコーストの生存者の方のお話を
直接お聞きする機会があり、こちらの本もぜひ読んでみたいと思いました。)

ユダヤ人が民族的に受け継いできた聖書のお話には
それこそ残虐な出来事が満載です。
何千年もの間、祖国をもたず、世界中で迫害を受けてきたユダヤ民族が
現在でも独自の言語と文化を保ちつつあらゆる分野で活躍しているその強さに
「残酷な出来事もあるけど最後には希望が残っているお話」の存在が
貢献してきたのかもしれないなぁ~

Cさん
ホレばあさんの語法勉強会に参加して
♡長い年月を経て残ってきたおはなしはやっぱりいいなと思いました。
♡昔話に出会うといつも楽しくてほっとする理由が語法にあると再認識。
♡他のおはなしの具体例をたくさんあげてくださるのでわかりやすいです。
♡子どもたちの反応や語りのヒントなども教えてくださるので説得力が千倍。
♡何といっても“余談”が楽しいです。
♡もういちど一次元性の世界で生きてみたいです。
♡毎日ちゃんとお掃除して食べ物をたいせつにしようと思いました。

Q.美しいむすめは、ホレばあさんの家で幸せにくらしていたのに、なんでこわいまま母がいるうちがこいしくなって帰りたいなんていうんでしょうか?ストーリーを先に進めるために、つらかったことは忘れているのでしょうか?

Cさんの疑問、わたしもそうだなあと思います。語法的にもよくわからない。
でもね、むすめが「うちが恋しくなりました」っていうと、ホレばあさんが「それはいいことだよ」っていいますね。人って、そんなものかも知れないと思います。だから、ヤンは、ホレばあさんのこのことばを心をこめて語るんです。

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いっき読みの2冊目、やっと書けました。
ヤンの読書日記に入れましたよ。
『小さなことばたちの辞書』
あ、小説です。
『オックスフォード英語大辞典』の編纂に関わった女性の物語。
わたしたちが使っている今の辞書は、俗語とか話し言葉とかも載せてあるのが当たり前ですよね。
でも、この作品の時代は、書物に書かれたことばだけが価値あるものだったんです。そこからはじかれた俗語や、庶民の話ことば、女性だけが使うことばなどを、主人公は集めます。
時代や、運命に翻弄されながらも、自分には何ができるのかを考える主人公。
つぎどうなるかしらと、ドキドキしながら、あっという間に読みました。
読み終えて、ことばとは何か、世の中の在り方とどうつながっていくかを考えさせられました。