「勉強会」カテゴリーアーカイブ

5月のプライベートレッスン

なんにも考えないでいたら、一週間にブログを三つ続けてわたしが書いている…。
いろんな人が書くのがいいと思うのに、先のことを考えるのを忘れ、気付くのが遅すぎる。
自分の無計画さに直面しています(苦笑)

さて、今月のプライベートレッスンは2話
日常語による語り
「油かけ地蔵」 『大和の伝説増補版』高田十郎等/編 大和史蹟研究会
研鑽を重ねられて、自分の力で日常語によるテキストを作られ、プライベートレッスンでは語りを出されるようになりました。
素晴らしい!
毎月熱心に続けておられたことがこんな風に実を結ぶのだと見せていただきました。
この油かけ地蔵の話は奈良の伝説ですが、京都にも油かけ地蔵はあるそうです。
ですが、話の中身は違うそうです。
お地蔵さんに油をかける…
それだけ聞いたら謎ですが、内容を聞いてみたらそれぞれに面白いです。

語り
「オオナムチとスクナヒコの国作りの旅」 語りの森HP日本の昔話 → こちら
日本の神話で、オオナムチは大国主命の別の名前だそうです。
中学校で語るそうです。
日本の各地を二人…と言ってはいけない二柱でまわって国作りをしていくので、ストーリーには三回の繰り返しも、山場も特にありません。
そして、地名がたくさん出てくるという、ロードムービーのようで聞いていてとても楽しく、覚えるのは絶対に避けたい(とわたしは思った笑)話でした。
アイヌの話もそうですが、日本の神話もわたしにとっては一段高い所にあるような気持ちがします。
手が出ないわけではないけれど、ちょっとためらうという、こういうのをチキンな奴というのでしょうか(笑)
でも、面白い話がいっぱいあるし、いつかは日本の神話にも挑戦したいです(^O^)/

今月も楽しい勉強会でした!

5月の再話クラス🌧

5月28日の再話クラスの日は本当にひどい雨でした☔
まさに雨にも負けず、参加者全員で細かいところをつつきまわすという再話の勉強ならではの濃~い時間になりました。

今回は、再検討が2話です。
「天狗のうちわ」(原題:鳥うちわ)『丹波和知の昔話』稲田浩二/編 三弥井書店
本当に細かい箇所をひとつひとつ検討していって、楽しい笑い話として完成しました。
「おめでとうございます!」と言いたいです。
日常語で再話されましたので、主語だけ書いて述語は書かないという試みをされていましたが、テキストの時点では述語も入れてそれで覚え、何度も何年も語っているうちに主語も述語も抜いて会話だけにしたらいいということになったら、その時テキストを修正すればいい。
そのためにも、最初は主語と述語をきちんと入れておくほうがのちに考えるときの自由度が上がるということでした。
ほんとにそうだと納得しました

「狩人と三人の友だち」(原題:弓の名人と友だち)『ソビエト昔話選』宮川やすえ/編著 三省堂
こちらは、大変な苦しみを伴う再話の作業でした。
この話は、三回の繰り返しが2セットあるのですが、繰り返しの中身が違うのです。
みんなで一緒に三回の繰り返しの場面の言葉をそろえてみたのですが何しろ中身が違うのできれいにそろえることは難しいしもちろん内容は変えられない。
それでも、どうにか揃えられるところはないかと、みんな身をよじるような気持ちで悩みました。
長い話でもあります。
でも、耳で聞いて分かりやすい話にするためには、ストーリーだけを一直線に追えるように、かなり文章をそぎ落とさないといけません。
原話の半分近くまで短くすることを目標に、もう一度チャレンジすることになりました。
担当者さん、本当にお疲れさまでしたが、もうひと踏ん張り、みんなと一緒に頑張りましょう(^O^)/

次回は7月23日です。
みんな、元気でお会いできますように~~💛

5月の語りクラス

朝は少々冷え込みましたが、正しく五月晴れとはこのような日のことをいうのだろう、美しい青空の爽やかな日に5月の語りクラスが開催されました。
残念ながらヤンさんはお休みでしたので講評はなく、感想を言い合う会となりました。

<語り>
1.「あなのはなし」 『おはなしのろうそく4』 東京子ども図書館
2.「魚のなる木」 語りの森HP〈こちら→〉
3.「かにかにではれ」 『語りつぎたい日本の昔話2・浦島太郎』 小峰書店 

4.「アナンシと五」 『子どもに聞かせる世界の民話』 実業之日本社
5.「犬神山のおおかみ」 語りの森HP〈こちら→〉
6.「佐渡の白つばき」(日常語)『語りの森昔話集5』 語りの森

とにかくお話を聞く楽しさにただ、ただ浸らせていただきました!
聞き手をイメージしながら語り手としてお話と対峙するためには、聞き手となる経験も必要不可欠なのだと思います。

語りの時間の後には、語り手ご自身の疑問や課題や想い、そして聞き手のみなさんの感想やご経験を聞かせていただけた事も、やはりとっても貴重な時間となりました。

今回の私の学びは「目の前のテキストをいかに理解して臨むか」ということです。お話のテーマや山場をしっかりつかむ事ができていれば、覚える、言葉を立てる、間を取る、という「自分だけの語り方」は自然と決まってくるのではないかと。最終的な「理解する」に至るには、やはり聞き手の反応から多くを学ぶことなのでしょうけれど、聞き手の前に立つまでに、まだまだできることがあるのではないかという事に気づかせていただけました!決して技術の巧みさではなく、理解の深さはお話や聞き手を尊重することにつながり、その想いがあって「時間の贈り物」となる!

はい、心に刻んで精進いたします。

次回は6月11日(火)です。

 

お願いだから、テキストを大切に💦

おはなしに対するときは、「自分」を無しにしないといけないのです。
とくに、子どもに語り始めたら。
自分で楽しんでいるだけなら、好きにやってたらいいんですけどね。

選ぶ基準は、自分ではなくて「子ども」
選んでしまったら、自分は「テキスト」の主人になってはいけない。
謙虚に、謙虚に、テキストに対していくのです。
もし、テキストの中で自分に分からないことや矛盾を感じることやらが出てきても、それは、自分が未熟だからだと考えるのです。
そして、勉強する。
それでもなおかつ解決しないときは、先達に教えを乞う。

私自身は、テキストに手を入れます。
「子ども」のために手を入れる。
ただ、どう手を入れるかについては、これまでの語りの経験(同じ話を数えきれない回数語る経験)と、学んできた語法と再話の知識を総動員して手を入れます。

ババヤガーで学んでいるみなさま、どうか、気軽にテキストに手を入れないでください。
そのまえに、もっともっと勉強して、子どもに語る経験を積んでください。
経験というのは、言い換えると、失敗してくださいということです。
テキストに忠実に覚えて、自分にできる精いっぱいのやり方で語って、それなのに失敗する。何度やっても失敗する。その経験をたくさん積み重ねてください。
そこではじめて、テキストの不備が見えてくるのです。
そうしたら、手を入れてもいい。
その手を入れるときに昔話の語法と再話の知識を使うのです。(ババヤガーで語法と再話の勉強もしてるでしょ)
ただし、あまりにも手を入れる箇所が多い場合は、そのテキストは捨てる!

あああ。責任感じて、もう勉強会を本気でやめたくなってるヤンより

 

 

時間の贈り物🎁 またはメモ2

ゴールデンウィークの中休み(って言うか?)
ちょっと雨が降って、落ち着きます。
といっても、毎日がゴールデンウィークのヤンには、あんまり生活に影響ないんですが。
それでも暇なので、ちょっと真面目に考えたこと、書きますね。

おはなしを語ることは、時間を贈ることだと、以前にここで書いたの、覚えてますか?
忘れた人はこちら⇒時間の贈り物

さてさて。
ヤンはおはなし会のとき(=講師じゃないとき)はメモを取りません。
家に帰ってから、日記に、思い出しながらプログラムを書きます。
でね、ときどき、思い出せない話があるの。

これかなりシビアな話題なんだけど・・・書いていいかな???

たしか、もう1話あったんだけどなあ。
わたし居眠ってたんかなあ。

一生けんめい、参加者の顔を思い浮かべます。
そこでやっと、あ、〇〇さんが語ってはった!って思いだす。

何の話を語らはったかなあ。
やはり思い出せない。
その人が語ってる姿ははっきり覚えてるんだけど、話を思い出せない。

なぜか?

〇〇さんが語っているとき、わたしにその世界が見えてなかったからに違いない。
知っている話だと(この歳になるともうたいていの話は知っています)、あ、あれね、と思って聞きはじめはするんだけど、その世界にいざなってもらえない。語り手がテキストをなぞっているだけなので、語り手の心とわたしの心が共振しないのです。
これって、語りとは言えないです。
おぼえたテキストを右から左へと口に出してるだけだから、世界が見えない。
これで子どもに「聞け!」といっても聞けるはずがない。苦行です(笑)
子どもはえらい迷惑や。いやいや、おはなし嫌いになったら罪悪や。

きついこと言ってごめん。
でも、これ、ほんとのことで、自戒を込めて言ってるのです。

でね、たとえ仲間うちのおはなし会でも、たとえ勉強会でも、目の前に仲間=聞き手がいる限りは、語るということは贈るということです。
じゅうぶんに時間をかけてつくりあげたおはなしを、贈りあいたいんです。
それでこそ、語る意義がある。
語るということは相手がいるということです。
その相手に失礼にならないように、また、自分が恥ずかしくないように、ちゃんと時間をかけたものを手渡したいです。
上手じゃなくても、とちゅうで間違えても、それが贈り物かどうかは、聞く人が聞けばわかります。特に子どもは敏感ですよ。

え?
ヤンが思い出せないのは、歳のせいやって?
そうかもね~
というか、わたしの集中力の問題かも。

おまけ。
ヤンはいつのころからか、講演を聞いているときでも、よほどのとき(引用の書籍名とか)でなければ、メモを取らないでじっと講師の眼を見ています。
よいものを吸収するためにめっちゃ集中しています。
後ほど思い返して思い出せないようなことは、(今の)自分に必要ないことやからです。
この方法は、小澤俊夫先生から学びました。