「日記」カテゴリーアーカイブ

耳鳴り😵

耳鳴りと20年以上おつきあいしている。
たとえばいまブログを書いているこの瞬間も、右上のほうで蝉がシャーンと鳴きつづけている。
子どもに語っているときや、夢中で本を読んでいるときは、鳴りを潜めているけれど。あ、歌っているときもね。
気になりだすと、鳴いて鳴いてしようがない。

耳鳴りは初期に治せとか、一生治らないとか、命に係わるとか、情報が飛び交っていて、何がほんまかわからない。
そのうちお医者に行こうと思いながら20年すぎた。
ほかに行くべきお医者があったからね。
あと20年先も生きているかどうかわからないのに、いまさら、というあきらめもある。

健康といえば、それなりに健康に暮らしている。
内科、耳鼻科、眼科、歯科には通っているが。
死に病ではないので、健康なんだろう。
ありがたいことだ。
家族がふたりとも病人だなんてお話にならんもんな。(いつかはそんな日がくるんだろうが)

さてさて、生きていると、辛いことがたんとある。
わたしは普通の主婦だけれど、好きな事だけやっているように見えているけれど(たぶんね)、それなりに気は使うし、失敗はするし、裏切られもする。
でもね、それって、耳鳴りだと思えば、やり過ごせるのだ。

不安や悲しみや寂しさや無力感は、耳鳴りのように消えることはないが、そして、時には大きくなって押しつぶされそうにもなるが、またふっと小さくなる時間もあるのだ。

🐌人生って、そんなもんだ🌈

語りのアドヴァイス

ずっと以前、勉強会で、グリムの「かしこいグレーテル」を語ったとき、講師の先生に、「計算したわね」と批評されました。
確かに計算したけれど、それは、その場で、聞き手の反応を見て即座に間(ま)をとっただけで、前もって計算していたわけではなかったのです。
さらに、先生は、「前にこの話を語った人のを聞いたけれど、もっと素朴で、とっても面白かった。あなたもそんなふうに語ったほうがいい」とおっしゃいました。
そのとき思ったのです。
そんなふうにっていわれても、その人の語り、私は聞いてないし。どうしたらええねん?って。
「もっと素朴に」といっても、人により「素朴」の受け取り方が違うやん。どれくらい素朴やねん?って。

先生や先輩から言われたアドヴァイス、とっても影響をうけますよね。
みなさんはどうですか?
で、このことは、ずっと心に引っかかり、悩みました。何年もね。

そして、その時からというもの、私自身がアドヴァイスするときは、つぎのことに気をつけるようにしたのです。

まず、「前にほかの人が語ったときは・・・だった」は決して言わない。
その場にいなかった人には判断のしようがないんだからね。そういわれても、いわれたほうは、「ふうん」って思うだけで、まったく役には立たないのですよ。この言い回しは、楽だけど、講師(先輩)として無責任やね。

もうひとつ、「もっと〇〇に」と感覚的な言葉はつかわない。具体的に分かるような言葉を使うよう心掛ける。
たとえば、「もっと早く」ではなくて、「そのきつね、どれくらいのスピードで走って行ったん?何を思って走って行ったん?」と、考えてもらう。そうすると、早口でいうのではなくて、早く走っているように語れるわけね。しかもその速さは語り手のイメージによってちがう。

世間の先輩がた、ちょっと考えてみてくださいね。
あなたの言葉は、後輩にとっても影響を及ぼすのです。
世間の後輩がた、先輩の批評は、まるのみにしないでおきましょう(笑)

あ、「かしこいグレーテル」問題、解決しましたよ。
松岡享子先生に教えを乞うたら、ひとこと、「あの話は、演じないと面白くないものねえ」とおっしゃったのです。
ちゃんちゃん。

1月のがらがらどん🐐

今年最初のがらがらどんは、初めてのかたがお一人いらっしゃったこともありますが、それ以外はほぼいつものメンバー。
しかし、語られたおはなしはまるで幕の内弁当のようでした(笑)
さっそくメニューをご覧ください

ホレばあさん 『語るためのグリム童話2』小峰書店
酋長カイレ 『語りの森昔話集2ねむりねっこ』語りの森
かきねの戸 『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森 →こちら
命の水 『語るためのグリム童話5』小峰書店
海の水はどうしてからいの (出典不明)
聖帝の御代 『古事記』より
あぶら取り 『日本の昔話2』福音館書店
てぶくろ 同名絵本 福音館書店
「笑」という字 『子どもと家庭のための奈良の民話三』村上郁再話
この世の光 『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森 →こちら
新刊絵本の紹介

「ホレばあさん」ういういしい語りでした(^^)
「酋長カイレ」ベテランさんの語りで、深~いおはなしをきいて満足です(^^♪
「かきねの戸」わたしです。いいおはなしの後に、う〇ことおしっこの話で何だか申し訳なかったんですが、しかたありません。
でも、こんなの序の口でした。
「命の水」深いおはなしの世界にまた引き戻してくださいました。ありがとうございました。
「海の水はどうしてからいの」きっちりと語ってくださいました。
ふむふむ、類話がたくさんある話は、勉強になりました。面白かったです。
「聖帝の御代」ひじりのみかどのみよ、と読みます。古事記です。
難しい天皇の名前や、かっちりした内容と文体に(わたしがそう感じただけなのかもしれませんが…)、気持ちは、正座で襟を正して聞く感じでした。
難しい言葉を滑らかに語られ、初めての体験をさせていただきました。
「あぶら取り」出ました!
古事記の後は、太らせて逆さに吊るして油を搾り取る話です(笑)
この急展開がたまりません~
「てぶくろ」次は、幼児向けです!
油を搾り取ったと思ったら、かわいい手袋に次々と動物たちが無理から入っていく、楽しいおはなしです。
幕の内弁当感がヒートアップしてまいりました。
「笑という字」お年寄りの施設でされるので、おはなしの前後に日本と西洋の笑い方のアクティビティが入る、聞き手も参加するまさにステージです!
全員が一緒に手と口を動かすのです!
語り手さんはパワフルな声の方なので、みんなも負けじと声が出ます。
もう、満漢全席です!!
そんなステージの後で、ヤンさんが「この世の光」を何事もなかったかのように語られて、これも一種の力業かと思いました。
一言もつなぎの言葉を入れることなく語りを始められ、聞き手のざわつきは一瞬にして消えました。
まことにもって、おみごとでした。
そして、絵本を紹介してもらいましたが、いつも以上に絵本に癒されたのはわたしだけだったでしょうか(笑)
ああ、疲れた。
ああ、面白かった!(^^)!

今週のおはなし会🎈

今週は、回数も少なかったのですが、おはなしの神さまがちょっと向こうを向いてはった週でした(笑)

1月16日(水)
小学2年生 授業 一クラスずつ2回
おはなし「びんにつめられたおばけ」『語るためのグリム童話5』小澤俊夫監訳/小峰書店
おはなし「きつねの恩返し」『日本の昔話3』小澤俊夫再話/福音館書店 (日常語で)
おはなし「ミアッカどん」『イギリスとアイルランドの昔話』石井桃子訳/福音館書店
絵本『おうさまでかけましょう』寺村輝夫作
一クラスは、よかったんですよ。
もう一クラスがね、ちょっと考えられないくらいあばれましたね。
男の子5人ほどが、じっとしていられない。後ろの机の下に潜り込んだり、オルガンの中に隠れたり。
リラックスして聞いてくれている分には気にならないんだけど、「ねえ、ぼくを見て!」と発信されると、困る。
いやいや、あんたを見るのではなく、あんたが物語の世界を見るんやで。
クラスの運営は先生の仕事。おはなしのおばちゃんにはできない事でもあり、してはいけない事でもあると思うのね。
だから、ぐっとがまんしてるんだけど。そりゃあ顔や声に出るわね、怒りが(笑)
で、自己嫌悪👹
ああまた来月、どないしようかしらん。
でもね、子どもっておかしいよ。いい子になったり悪い子になったり、行ったり来たり。
来月行ったら、きっと拍子抜けすると思うよ😂

18日(金)
小学1年生 朝学習
おはなし「かきねの戸」『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』村上再話
おはなし「くさかった」村上再話
わたし「きょうのおはなしは、ロシアの昔話。ロシアって知ってる?」
子ども「知ってる!」「北の方の大きな国!」
わたし「よう知ってるねえ。そのロシアにね、ババ・ヤガーっていう魔女がいるの」
子ども「知ってる!」
わたし「知ってる???」
子ども「知ってる」「牛乳をおかゆにかける話!」「そう、黒こげのパンを食べる話!」
わたし「え?前にやったことある?」
子ども「あるう~」
というわけで、「がちょうはくちょう」は前にやったそうで。へんやなあ????
と思いながら、頭の中はフル回転。やったことのない話、何やったっけ!?
というわけで、急きょ上記の話に切り替えました。

ああ、おはなしの神さまあ~😱

語りの森に集う人たちと🏕

ババ・ヤガーの勉強会には、様々な年齢の人たちが集まります。
ヤンの娘くらいの人もいるし、10歳も20歳も年上の人もいます。
みんなヤンをセンセと思って来てくださってます(って、ほんまか?😂)

じつはヤンは若いころから、なぜか自分の年齢を意識することがなく歳を取って来ました。
最近は、物忘れとか足腰の痛みとか、物理的に、ああ年を取ったなと思いますけどね。
精神的には子どもの頃からちっとも成長してないと思う。
で、自分が還暦をとっくに過ぎてることにときどきびっくりします(笑)

ってことをいいたくて書き始めたのではなかったな😅
語りの森に来てくださる、年配の方への感謝の気持ちを書きたかったのです。

おはなし、とくに昔話は、人生を語ります。
だから、昔話のことを話し合い学ぶことは、人生を学んでいることではないかと思います。
ヤンは、センセ👵ですが、人生の先輩から、ヤン自身が学んでいると、強く感じます。
セイト👩‍🎓のなかには、ヤンより語り歴の長い人もいます。そんな人は、語りの経験が、ヤンよりずっと深いです。
戦争体験者もいます。その人の言葉は、命の深みからわき出てくるように感じます
そのかたたちは、そんな深い時間を共にするために、遠い所から1時間も2時間もかけて来てくださいます。

ありがたいです💖

人生の残り時間を考えると、焦ってしまうことがあります。
でも、先輩たちと話していると、勇気が湧いてきます。
きっと、自分の年齢を意識しないで歩いておられるんだなと思います。
そんな先輩がうらやましいし、頑張ろうって思うのです。

いまさら若い人をうらやましく思うことはありません。
むしろ若い人にうらやましいと思ってもらえる老人にむかって一直線に進んでいきたいです🏍

ねえ、若い人たち、まわりにいてくれる年配者の言葉に耳を傾けようね。
語りの森の勉強会、とっても貴重な場だと思うよ🎀