「日記」カテゴリーアーカイブ

マスク騒動Ⅱ😷

ラインで家族に写真を送った。
自慢まんまんで。
あだになった!
娘家族と息子、8枚作ることに相成った。

ほしい!って、自分で作らんかい!

あ、いや、ここは年寄りの出番だ。

娘一家は東京都心住まいなので、というか、日本一感染者が多い区なので、怖がって、子どもの保育園も休ませて、一か月以上籠城している。
幼児の相手をしながら在宅勤務。
息子も、慣れないテレワーク。
息子「本社の隣の小屋で、ひとりテレワークやねん」
それって、在宅っていうの?ほかに深いわけがあるのとちがうの???

ともかく2日間で大急ぎで作って、送った。
いくぶん縫い目が荒いことには、きっとお気づきにならないでしょう(笑)

送った写真

昔話のこと🌈

ちょっと不具合があって、しばらく井戸端会議を閲覧できなかったんですよ~
あたふたしてて、児童文学のまとめができなかった。
ごめんなさい。

で、代わりに。

今朝新聞読んでたら、こんな記事があった。
落語家の柳家小さんが、弟子にね、
「おまえの話はムダが多い。それじゃあ何も伝わらない」って言ったんだって。
それで、弟子の柳家さん喬は、事細かな描写はやめて、
「ごらんよ、きれいな山だねえ」って話すようにしたんだって。

で、ヤンは、はたとひざを打った(笑)
落語も耳から。
私たちの語りも耳から。

「声による言葉」からイメージする。
ある言葉からイメージするものは、一人ひとりが異なっている。
あなたの山は比叡山かもしれないけど、私の山は天王山だからね、実際。
ヒマラヤやマッターホルンの人もいるだろうし。

一人ひとりが異なっていることを前提にして、昔話は語られる。
「山」って言えば、その山はその人独自のもの。唯一無二だよ。
それ以上の人間尊重って、ある?

語り手が伝えたいのは、「あなたは幸せになるよ」というメッセージだけ。
不特定多数の「あなた」のために、無描写にする。

昔話が、本来そっけない簡潔な文体なのは、あなたへの愛なのです。

こうやって、ヤンはときどき「昔話の語法」の尊さを、日常のなかで実感するのです。

新型コロナウイルスは怖いし、先の見えない自粛もつらいけれど、でもね、わたしたち、昔話を生きようよ。
昔話の主人公たちのように、生き抜いてみせよう。

早くお話会、したいね。
勉強会も、したいね。
みんなに会いたいよ~

おはなしひろば お引越し🚛

おはなしひろば、お引越ししました。
話数が増えたので、広いお家にお引越し。

前よりは見やすく、さがしやすくなったかな?

子どもたちに聞いてほしいなと思って始めたんですが、ぽちぽちですね。
この井戸端会議や語りの森ホームページほどの閲覧はありません。

やっぱり絵が動かないからね。
BGMもないしね。
大人の人の協力がないと自分からは手を出さないだろうなと思います。

それでもいつかは届くと信じてやっています。

トップページのメッセージ
ここにのせるおはなしから、あなたの心に響くものを受けとって、あなたの声で語ってください。
「 こんなすてきなおはなしを見つけたよ 」 って、愛する人に語ってください。

わたしたち、図書館や学校やらで語らせてもらってるけど、それは一つの手段に過ぎない。
おはなしひろばも手段に過ぎない。
ヤンがほんとうに夢見ているのは、家族や近所が語りの場になること。

コロナ騒動でおはなし会がなくなった今、原点に立ちかえって、考えています。
自分にできる事は何だろうって。
人類が営々と築いてきた語りの営みをさらに次につなげるために、私にできる事は何だろう。
え?偉そうにって?
どうして?
昔話を語りついできた人は、みな普通の人だったんだよ。私たちと同じ普通の人だよ。

さてさて、なにはともあれ、お引越ししました。
どうぞ、新居にいらっしゃってくださいませ。
たくさんのおはなしで、おもてなし致します(笑)

こちらからどうぞ、おはいり~!→

そして、はいったら、新しいURLをブックマークしておいてね。
古い家もまだあるけど、そっちは更新しないからね。

 

 

 

 

 

 

マスク騒動🐽

そろそろ家の使い捨てマスクの在庫が切れる。
ヒノキ花粉の飛散は目の前だ
どないしょ。

近所のスーパーもドラッグストアも、すんません入荷未定ですねん。
コンビニの兄ちゃんは、めっちゃ早朝でないと売り切れます。
冷たいなあ、どないすんねん。

しゃあない。作るしかないな。
使い捨て時代にどっぷりつかっていてはいけない。
私は曲がりなりにも使い捨て時代を考える会の幽霊メンバーだ。

家には医療用のガーゼがある。
ちょっと弱いなあ。
それで思い出した、ガーゼのタオル。
子どもが生まれたときにお祝いでもらった!
物持ちええなあ。かしこい!

花柄の二重ガーゼ。

夫「おれ、花の少ないとこな」

二重を更に二重にするか、三重にするかで議論が始まる。

夫「三重にしたら息でけへんのとちやうか」

ふたりで、二重にしたり、三重にしたり、四重にしたりして試験する。

夫「けど、ちょっと大きいで」
私「切るねんけど・・・」

顔全部覆ってどうする?
息でけへんって、目、見えへんやん。

夫「ギャザー入れるんやな?」
私「えっ!」

夫「鼻のとこ、針金やったらケガするで」
私「えっ!」

もう自分で自分の分作ることにしよ!

夫「今日の共同購入で頼んどいたマスク、当たるかもしれんで」

どうか当たりますように~~~!

続・続キャパシティの発見✨

一昨日のブログで書いた、私にとって環境の限界を超えさせてくれた本の一冊が、これ。
『クマのプーさん プー横丁にたった家』A・A・ミルン作/石井桃子訳/岩波書店刊
初版が1962年で、私が買ってもらったのは1963年。
長い人生で何度も何度も読みました。
プーと子ブタから、人生には友情と真剣さとユーモアが要るって、教わった。

さてさて
『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』の報告の続き。

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第1章 子どもに本を手渡すこと
その3 キャパシティの発見

この項はリリアン・H・スミスの『児童文学論』の書評でしたね。
今日紹介するのは、「児童文学論の歴史」のところ。

児童文学の最初に登場するのは口承文学です。
昔話や童歌が、今も昔も子どもにとっての基本的な文学だといいます。

次に来るのが、『ロビンソン・クルーソー』『がリヴァー旅行記』などの大人の文学を、子どもが自分たちのものにした時代。

19世紀に、子どものための本屋ニューベリーの登場。
グリム、アンデルセン。そして『不思議の国のアリス』・・・

20世紀の多様性を、スミスは次のように要約します。
(写真を張り付けるね)

こうした歴史から生き残った傑作にはりっぱな文学尺度があると、古典を読むことの重要性が書かれています。

みんな、古くさいとか、めんどくさいとか、重いとか言わないで、読んでみようね~