「昔話の本質と解釈」カテゴリーアーカイブ

生きている人形4🏃‍♀️

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第5章生きている人形ー伝説と昔話 最終回

アーモンドと砂糖と小麦粉で理想の男性を作ったお姫さまのその後です。
鉄のくつを三足はきつぶす探索行にでかけます。
昨日はお月さまを訪ねていって、アーモンドを贈られましたね。

そのあと、太陽と太陽の母からクルミをもらい、星と星の母からハシバミの実をもらいます。
つづきは本文↓

小麦粉と砂糖の男のモチーフ

心理学的に言えば、お姫さまは自分の心の中で作り上げた理想像。自分の心に生じた甘美な心像にすぎないのです。
お姫さまは自分以外の誰かを愛しているのではなくて、自分自身を愛しているのです。

彼が盗まれ、お姫さまは鉄のくつをはきつぶし様々な困難と悲しみを経験し、自分のつくったものが見知らぬものとなったときにはじめて、それを取り戻すことができるのです。
そのときには、男は自立していて、お姫さまは、他者としての男を愛しているのです。自分自身を愛しているのではなくって。

この話は、甘いものを欲しがる幼児のような主人公が、他者を愛することができるまでに成長する話です。
結末で、もう一人のお姫さまの作った男は腐ってしまいます。このもう一人のお姫さまは、前半の主人公(甘ちゃん)のままで終わるとこうなるよというメッセージです。

ところで、もう一人のお姫さまの結末は、あのアルプスの伝説と似ていると思いませんか?
暗鬱な伝説は、人間は自分の作った物のとりこになり、自分の作った物によって破壊されうることを、手痛く感じさせる。
と、リュティさんはいいます。

けれども、昔話では、同じメッセージを、二人の人物に分け与えることで伝えています。重くって複雑な現実なんだけど、中身を抜いて、明確に分けて、非現実として表現する。軽やかです。

昔話というガラス玉には世界が反映している

伝説と比較して分かることは、昔話には、地理的な広がりがあるだけでなく、ちっとも驚かないで太陽や月と話ができる。登場人物は、羊飼いやがちょう番から王や王女まで人間界の様々な人々がいる。愛があれば裏切りがあり、殺人があり、戦争があり、救済がある。
ひとつの話の中にこれらがぎゅう詰めで出てきます。
主人公(だけでなくすべての要素)は、何とでも結びつくことができます。
なぜそれが可能なのか。
中身が抜かれているからです。

昔話をガラス玉に例えれば、その表面には、世界のあらゆる要素が映りこんでいる。そして、完全な球体として秩序をもって存在する。
人間もその秩序のうちに包み込まれる。
そこにあるのは美と希望じゃないかと愚考しております。

はい、おしまい。

暑い~~~

 

 

 

生きている人形3🏃‍♀️

いよいよ8月。
このあたりもすっかり梅雨が明けたみたいです。
がんがんの暑さに耐えなければ。

************

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第5章生きている人形ー伝説と昔話

きのうのアルプスの伝説「ゲッシュネンの牧場の洗礼を施された阿呆」、恐かったですね~
夜は読みたくないですね~
でも、今日は大丈夫。
お姫さまが、お菓子の男性を作る昔話。
ギリシャの昔話「シミグダリ氏または麦粉の殿」
ちょっと珍しい話なんだけど、抜粋を写真で載せますね。

 

「人形を作って命を与える」っていうのが、昨日の伝説と同じですね。
でも、ずいぶん雰囲気が違います。
伝説は暗くおどろおどろしく、昔話は明るい。
この違いはなぜなのか、ということをリュティさんは論じています。

まず、伝説では「人形を作って命を与える」ことは中心的テーマですが、昔話では、モティーフに過ぎない、ここから広い世界に向かってストーリーが始まるのですね。
伝説の出来事は現場から離れず、まるでうずくまっているかのように地域に結びついています。

作られた人形は、昔話では完璧な美しさをそなえていて、神様の恩寵によって命を吹き込まれています。
けれど、伝説では、人形は一種の不格好な固まりで、人を脅かすようにふくれあがっていきます。きゃあ~~~

人形を作る目的は、お姫さまの場合、明確です。理想の夫を作ることです。
昔話では、人が行動するときは、動機がはっきりしています。そして、その動機・目的に向かってまっすぐストーリーが進みます。
人里離れた牧夫たちには目的はなく、たまたま命が宿ります。自分たちの行為がどんな結果を生むのか少しも考えていません。どんな不気味な力が命を与えたのかもわかりません。きゃあ~~~

昔話の軽やかさ、自由さ、明るさは、内部をすべて外部に見せるところにあるのです。
伝説は、なんだかもやもやとしてるでしょ、だからいろいろ、気持ち悪く想像するでしょ。
昔話では、感情や努力は行為や身振りであらわされる。お姫さまの理想の夫を求める感情は神に祈るという行為であらわされていますね。そのための努力はアーモンドと砂糖と小麦粉で人形を作るという行為であらわされる。
神さまとの関係は、人形に命を与えるという贈り物で表されるし、月との関係はアーモンドという贈り物で表される。
行く道が遠くてお姫さまが苦労するということは、三足の鉄のくつをはきつぶすという行為で表されるのね。

きょうはここまで。

シミグダリさんとお姫さまがどうなったかは、次回、お楽しみに~

***********

午後から、おはなしひろばを更新します。

 

 

 

生きている人形2🏃‍♂️

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第5章生きている人形ー伝説と昔話

ここでは、生きている人形が主人公の伝説と昔話を比較して、その表現の特徴を考えます。

以下の写真はスイスのウーリ州のアルプスの伝説、全文です。

引用
伝説とは、恐ろしい出来事、不快な出来事に関する報告ー時としてまったく様式化されていない報告である。その点で物語の原型といえる。

たしかに、恐ろしいですよねえ。
どうしてこんな恐ろしいストーリーが伝わるのか。

白い霧とか、光の輝きとか、風のざわめきに、人が驚いたとする。

あれは、白い女だ、真っ赤な男だ、狩りの一行の物音だ、と解釈する。
これは、恐れを克服する第一歩。

白い女は救いを求める哀れな魂である、赤い男は傲慢を戒めている、狩りの一行は死者の群れである、とさらに解釈する。
その結果、説明されればある程度落ち着くことができるけれど、いっぽう、死者の世界と接触するんだから、さらに恐怖はつのることになる。

なるほどね。
じゃあ、この恐さは、文体の表現の面から見るとどう説明できるんだろう。

昔話は現実を抽象するが、伝説は現実的な想像を強いる。
この伝説の類話にこんなのがあるんだって。その最後の場面ね。
「(妖怪は)残った男の血まみれの皮を小屋の屋根に広げていた。それを見てみんなは恐れおののいた。それ以来、そこは屠殺(とさつ)の山と呼ばれている」
ね、現実的な想像を強いてますよね。
昔話ではどうでしょう。

ルンペルシュティルツヒェンはわれとわが身を引き裂きますが、紙の人形がまっぷたつになるイメージですよね。悪いお妃が四頭の馬に引き裂かれても血は流れない。狐の手と首を切り落としても血は出ない。リアルさがない。抽象的なのね。
昔話の平面性(こちら⇒)です。見てね。

あ、断っときますが、伝説って怖い話ばかりじゃないけど、ここでは恐い話を例に挙げてるのね。分かりやすいから。

次回は、生きている人形の出てくる昔話をみます。
リュティさんは、伝説から昔話へ戻ると、まったくほっとする、といいます(笑)

*********

きのうは、おはなしひろば、「三枚の鳥の羽」をアップしましたよ~
おはなしひろばも開設してそろそろ1年になる。コロナ騒動からほぼ毎日更新してたから、ずいぶん増えて189話になった。
今後、《おはなしひろば》の話を増やすのと、《日本・外国の昔話》の話を増やすのと、どっちがいいかなあと迷ってる。
今ね、《日本~》は83話、《外国》は76話。
暑いしちょっとペース落ちそうやし。

 

 

 

 

生きている人形🏃‍♂️

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第5章生きている人形ー伝説と昔話

グリム兄弟が『子どもと家庭のための昔話』を出版したのは、1812年でしたね。
そのあとじきに、『ドイツの伝説』を出版しました。1816年・1818年。
これ以降、世界じゅうで昔話と伝説が集められ、出版され、研究されるようになりました。これは、グリム兄弟の偉大な功績のひとつです。
そして、それは、世界の人びとにどんな影響を与えたのでしょう。
グリムの時代は、識字率が高くなり、口伝えがどんどんなくなっていって、本来の昔話の伝達方法(メディア)が衰退する時代、その中でのグリム童話の出版です。

リュティさんは、昔話が世代から世代へ口伝えにされることは、今日では、破壊されたに等しいといいます。
いまは、新聞雑誌、ラジオテレビの時代だからです。
あらまあ、それどころか、リュティさんより数十年後の私たちの時代は、ネットの時代ですね。本もネットで読める。

今はこんな時代ですが、グリムに始まる昔話集・伝説集の出版によって、昔話・伝説はよみがえっただろうか。と、リュティさんは問いかけます。
答えは、青少年にとっては、よみがえったといえると言っています。
口伝えがなくなったその隙間を埋めているのが、昔話集と伝説集だというのです。

親や教師が、子どもたちに昔話をするとき、本に書いてあるとおりに語ったり、読んだりする。そのための昔話集なのです。
大人が子どもに読む、子どもは聞く
そして、グリム童話は、世界じゅうで最も人気の高い昔話集なのです。
(みなさん、語りの森昔話集も、子どもたちに読んだり語ったりしてくださいね~)

伝説は、地域的な要素が大きいです。
昔話よりはるかに強く語り手と聞き手の置かれている環境と結びついている。
だからこそ、子どもは、真実性のある話として、伝説に夢中になるというのです。
子どもは伝説を読む。幼いころ夢中で昔話を聞いたように。

かつて『子どもと家庭のための奈良の民話』を再話編集した時、かなり多くの伝説を入れました。語り手も聞き手も、自分の土地の話として愛情を感じることができると思います。奈良の子どもたちに読んでほしいと思います。

おっと、話を戻します。

昔話や伝説を本にするというのは、子どもたちにとって大きな意味がある。
わたしたち、語り手はこのこと、よくわかりますね。
では、大人にとってはどうか。
リュティさんは、大人は昔話は子どものものだと考ているし、伝説も衰えているといいます。
なんか、どうしようもないみたいです。悲観的ですね~

でもわたしはね、大人のわたしはね、昔話を読んでると、励まされるのです。
がんばろ~と思えるのです。
小説だって面白いし夢中になるし考えさせられるけど、昔話はストレートにダイレクトに、励ましてくれるのです。
みなさん、そんなことありません?
わたしが子どもっぽいのかなあ。

おっと、話を戻します。

ともあれ昔話と伝説は、数百年の間、語られ伝えられてきた。
昔話と伝説の違いを、具体的に見ていこうというのが、この章の目的です。
次回は、めっちゃ怖いアルプスの伝説を紹介します。

*********

きのうはzoomを使ったおはなし会でした。
楽しかったよ。
もちろん、語りが楽しかったの。
でも、zoomに入られへん、顔が写らへん、声が聞こえへんという騒ぎもおもしろかった。
ジェニィさんが報告してくださるので、お楽しみに~o(*^@^*)o

 

 

 

地の雌牛4🐄おしまい

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第4章地の雌牛ー昔話の象徴的表現 つづき

さていよいよ、昔話に出てくる動物が、何を象徴しているかということを考えます。

地の雌牛のお話の続きです。
ある日、姉のアンネちゃんが、マルガレーテちゃんをさがしに行きます。
森の中で道に迷い、地の雌牛の家にたどり着きます。
雌牛は留守でマルガレーテちゃんひとり家にいます。
ああ、禁令は破られるためにあるんでしたね~

マルガレーテちゃんはアンネちゃんを中に入れます。
つづきは、本文をどうぞ。

ある日、身分の高い男が通りかかり、りんごを所望する。
アンネちゃんにはりんごがとれない。マルガレーテちゃんがりんごを取ってやる。
マルガレーテちゃんは男の息子と結婚する。おしまい。

昔話に出てくる動物は基本的に二つの役割を持ちます。
ひとつは、人をほろぼす敵で、ひとつは、人を救う味方。
どちらも彼岸の存在だけどね。
前者は例えば竜。第3章でみましたね。
後者は地の雌牛。グリム童話の「金の鳥」のきつねとか、ロシアの昔話の灰色狼とか。

まず前者の敵としての動物。
竜との戦いは、人の無意識の世界に潜んでいる悪とか不気味な力との戦いを象徴している。つまり自分との闘いだというのです。
また同時に、現実の世界における悪との戦いをあらわしている。
この戦いに勝つことが、人は王者となりおひめさまを手に入れるという象徴で表されるのです。

では、後者の援助する動物。
地の雌牛や人を助ける動物は、わたしたちの心の中にある意識されていない力の象徴ではないか、とリュティさんはいいます。
つまり、知性によってまだねじ曲げられていない、生まれながらの情感的な魂が、わたしたちを養い、導くことができる。

でもね、そのままの姿ではだめなんだって。
地の雌牛は殺されてりんごの木に再生してはじめてマルガレーテちゃんを幸せにできるのです。
かえるの王さまは、壁にたたきつけられてはじめて王子となり、姫は幸せになる。
きつねは、首と手を切られてはじめて人間になり、王の幸せは完全になる。

雌牛もかえるもきつねも、そのままでは次元の低い天性にすぎない。でも、それが高い次元の天性に変わると、幸せに到達できるというのです。
そして、変わるためには、悩み苦しみ、残酷な行いも省くことはできない。
そのための残酷な行為なのね。つまり極端な苦しみ。

引用
持って生まれた性質がどんなに身を守り養ってくれるにしても、それにまかせきってはいけない。生まれつきの傾向はいたわられ、甘やかされてはならない。精神の剣によって変化させられるというか、魔法を解かれ、救済され磨きをかけられなくてはいけない。

深いなあ(^///^)
昔話が伝えようとしていることは、道徳とかお説教ではないね。
もっと深い人の魂に関わることやね。

はい、おしまい。

**********

今日は月曜日。HP更新の日ですよ~
《日本の昔話》に、恐~い話をアップしました(❁´◡`❁)