地の雌牛4🐄おしまい

マックス・リュティ『昔話の本質』報告

第4章地の雌牛ー昔話の象徴的表現 つづき

さていよいよ、昔話に出てくる動物が、何を象徴しているかということを考えます。

地の雌牛のお話の続きです。
ある日、姉のアンネちゃんが、マルガレーテちゃんをさがしに行きます。
森の中で道に迷い、地の雌牛の家にたどり着きます。
雌牛は留守でマルガレーテちゃんひとり家にいます。
ああ、禁令は破られるためにあるんでしたね~

マルガレーテちゃんはアンネちゃんを中に入れます。
つづきは、本文をどうぞ。

ある日、身分の高い男が通りかかり、りんごを所望する。
アンネちゃんにはりんごがとれない。マルガレーテちゃんがりんごを取ってやる。
マルガレーテちゃんは男の息子と結婚する。おしまい。

昔話に出てくる動物は基本的に二つの役割を持ちます。
ひとつは、人をほろぼす敵で、ひとつは、人を救う味方。
どちらも彼岸の存在だけどね。
前者は例えば竜。第3章でみましたね。
後者は地の雌牛。グリム童話の「金の鳥」のきつねとか、ロシアの昔話の灰色狼とか。

まず前者の敵としての動物。
竜との戦いは、人の無意識の世界に潜んでいる悪とか不気味な力との戦いを象徴している。つまり自分との闘いだというのです。
また同時に、現実の世界における悪との戦いをあらわしている。
この戦いに勝つことが、人は王者となりおひめさまを手に入れるという象徴で表されるのです。

では、後者の援助する動物。
地の雌牛や人を助ける動物は、わたしたちの心の中にある意識されていない力の象徴ではないか、とリュティさんはいいます。
つまり、知性によってまだねじ曲げられていない、生まれながらの情感的な魂が、わたしたちを養い、導くことができる。

でもね、そのままの姿ではだめなんだって。
地の雌牛は殺されてりんごの木に再生してはじめてマルガレーテちゃんを幸せにできるのです。
かえるの王さまは、壁にたたきつけられてはじめて王子となり、姫は幸せになる。
きつねは、首と手を切られてはじめて人間になり、王の幸せは完全になる。

雌牛もかえるもきつねも、そのままでは次元の低い天性にすぎない。でも、それが高い次元の天性に変わると、幸せに到達できるというのです。
そして、変わるためには、悩み苦しみ、残酷な行いも省くことはできない。
そのための残酷な行為なのね。つまり極端な苦しみ。

引用
持って生まれた性質がどんなに身を守り養ってくれるにしても、それにまかせきってはいけない。生まれつきの傾向はいたわられ、甘やかされてはならない。精神の剣によって変化させられるというか、魔法を解かれ、救済され磨きをかけられなくてはいけない。

深いなあ(^///^)
昔話が伝えようとしていることは、道徳とかお説教ではないね。
もっと深い人の魂に関わることやね。

はい、おしまい。

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今日は月曜日。HP更新の日ですよ~
《日本の昔話》に、恐~い話をアップしました(❁´◡`❁)

 

 

2 thoughts on “地の雌牛4🐄おしまい

  1. 援助する動物が、そのままでは援助できなくて、一度死んで生まれ変わらなければならないというのが切ないですね。
    助けるという行為は、生半可な気持ちではあかんぞと言われているような気がします。
    真剣とか、一生懸命とかそういうのではなくて、「知性によってまだねじまげられていない」必要があるので、生まれ変わるしかないということでしょうか?
    世俗まみれの自分としては、なんか怒られているようなきがします。

    話は違いますが、「地の雌牛2」の写真が、懐かしすぎます~~
    イベントで語りを聞くなんて、最初で最後でした!

  2. 持って生まれたままの天性ではいけない、より高い次元の天性に再生しないといけない。うん。厳しいと思う。

    地の雌牛2の写真?
    ああ、もう張り付ける写真がなくって古いの出してきたの。
    NHKのイベントに引っ張り出されたときのね~
    雰囲気あるでしょ。

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