昔話の解釈ー昔話に登場する人と物🦄

雨が降ってます。
おそろしいほどたくさん降ってます。
そろそろ日が暮れます。
早めに対策しましょう。

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マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。
第7章 昔話に登場する人と物

「昔話」って聞くと、どんな人物を思い浮かべますか?

おじいさん。おばあさん。庄屋の娘。貧しい若者。・・・・
って、これはとっても日本的ですね
民族によってさまざま、特徴が異なると思います。

リュティさんは、グリム童話をはじめ、ヨーロッパの昔話の研究者なので、あくまでもヨーロッパを対象にしています。すると...
王子、王女、王、妃、豚飼い男、がちょう番の女。・・・
が、真っ先にうかんでくると、リュティさんはいいます。

王子、王女、王、妃は、今では、日本の子どもたちも同じかもしれないですね。

この人物たちは理想像であり導きの星だと、リュティさんは言います。

人はだれでも、他人の中に「完璧な模範的人間」を求めているし、それどころか、自分自身の中に、それを求めているというのです。
「完璧な模範的人間」であることの証として、その人物は美しい姿をして現れます。
もちろん、「白雪姫」のおきさきのように、美しい人物が悪いことをすることはあるけれども、それは例外です。「美しい娘」というとき、その娘は心も美しいことが期待されています。

王子と王女、・・・といったような昔話を特徴づけている光り輝く人や物は、聞く人、読む人の心に「高貴なもの、王者のようなもの、太陽のようなものが誰の人生にも可能である」、それどころか、「人間は王者のような生き方を目指している」という期待を呼び覚ますものである。

たしかに、グリム童話や、ロシアやヨーロッパの昔話を読むとき、そういった高揚感はあります。
生き方を深く考えさせ、感じさせてくれます。

日本の昔話にも、同じことが言えるでしょうか?
これ、純粋な疑問です。
みなさんは、どう思いますか?

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今日のおはなしひろばは、インドネシアの昔話。
いたずら者の暴れん坊の話です。
悪いことをするんだけれど、笑い飛ばすエネルギーにあふれています。
いつもいつも良い人でなくてもいいのです。

 

 

そらみたことか🌈

あら、いえいえ。腹を立てているわけではありません(。・ω・。)
小冊子の名前です。

『そらみたことか~いろいろな気象光学現象』
長谷川熊三著/大阪市立科学館/2012年刊

気象光学現象って、なんじゃらほい。
太陽などの光が、空中の小さな水滴や氷の結晶にあたって、反射したり屈折したりして見える現象のこと。
典型的なのが、虹(にじ)

この冊子は大阪市立科学館の学芸員の長谷川さんが、みずから撮った写真で説明してくれています。子どもにもわかるようにね。

この本を手に入れてから、けっこう空を見上げて探すんだけど、全然見つからない。
どんな現象があるかっていうとね。

環水平アーク 空に帯のようにたなびく虹色が見える。
環天頂アーク 空の高いところに、虹の逆向きのが見える。
幻日(げんじつ) 太陽の右とか左とかに、虹のかけらのようなものが見える。
暈(かさ) 太陽の回りとか月の回りにかさをかぶったように見える。
タンジェントアーク 暈の上下だけ見えるとか、楕円形に見えたりするとき、そう呼ぶんだって。
彩雲(さいうん) 雲が虹色に色づいて見える。
光環(こうかん) 満月の頃、月の前を薄雲が通るとき、月の回りに見える少し色の付いた小さな輪。これは見たことがある!
光輪(こうりん) 太陽の反対側に見える小さな円い虹のような輪。飛行機が離陸して雲を突き抜けたときとかに見えるんだって。その輪の真ん中に飛行機が映って見えることもある。太陽と逆のほうに霧があると、自分のかげが見える、ブロッケン現象ね。写真でしか見たことないけど。その周りの輪のこと。

こちら、長谷川熊三さんのHP。⇒
夏休みの自由研究のヒントもありますよ~

断捨離の前に読んだんだけど。やっぱり、捨てるのもったいないなあ。

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きょうの更新は《日本の昔話》
昔話じゃなくて神話なんだけど、「海幸山幸」
『古事記』から再話しました~
1300年前の異類婚姻譚(●’◡’●)

 

 

断捨離その後🌻

ギリシャはきのう、最高気温47度を超えた所があったんだって
それで山が燃えて、大火災が発生してるんだって。
47度だよ!!!

ここ京都府南部もあつい。朝から33度もある。ギリシャよりは涼しい。
が、物が考えられない(;´д`)ゞ

それで、断捨離の続きをした。

雑誌を捨てよう(>’-‘<)
それが間違いのもとだった。
手が止まった。
いや、最初から動かなかった。
芸術新潮、こどもとしょかん、みんぱく・・・
読み始めたら止まらない。

しゃあないなあ。
一冊ずつしっかり読んでから捨てることにするか。

それで、雑誌は置いといて、美術館と博物館のカタログを捨てることにした。
あかん、もっと手が止まる。

こっちも一冊ずつ読んでから捨てるとしよう。

捨てる前に、井戸端会議にちょこっと記録しておこう。
みなさま、お付き合いくださいね。
あ、いや、暑いし、付き合っていただかなくてもけっこうですけど。

断捨離は、ジャンルを変えることにした。
花器とか衣類とか、押し入れやら物置きをあさることにする。

本は一番時間がかかるから、最後ね。

けっきょく、きょうは、クラシック関連の雑誌を捨てた。

 

 

昔話の解釈ー偽の花嫁と本当の花嫁、けもの息子とけもの婿10👸🤴

さてさて、きょうで第6章が終わります。
前回、ひとりぼっちで孤立しているからこそ、本質的なものに到達できる、それは、人生の真実であって、たんなる願望や希望ではない、ということでしたね。
それを信じていれば、たいていのことは乗り越えられる、その勇気を与えられると思います。
だから、わたしは、子どもたちに昔話を語りたいのです。子どもたちこそが昔話を必要としていると思うのです。
みなさん、お話を覚えるのって大変だけど、この暑さの中で練習するのも大変だけど、語りの場を見つけるのも大変だけど、かしこく、がんばろ~

はい、リュティさんです。
この章のまとめの部分。

偽の花嫁の話、けもの婿(息子)の話を見てきて、共通する大きなテーマは外見と実際です。
がちょう番の娘の外見の中に、お姫さまが隠れています。白クマの毛皮の中に王さまが隠れています。
象徴としてです。
この外見と実際っていうテーマは、ほかのあらゆる昔話を貫いていると、リュティさんは言います。

この大テーマに悪は善に至りうるという比較的小さなテーマが組み込まれてます。
苦しみは、幸せに至るための道の起伏にすぎません。

もうひとつの小テーマは、悪の自滅です。

もうひとつ小テーマがあります。人間は役の担い手であるということです。
王女が女中の役を演じる・女中は花嫁の役を横取りする・王子はけものの役を演じるなどなど。

この章で考察した話たちは、リュティさんの言葉によると、心を王者のように発展させ、高き存在に至らしめるよう呼びかけているのである。

わたしは、これを自分事としてとらえたいです。文字を持たない庶民が伝えてきたのは、ストーリーの背後にある自尊の心、人としての誇りなのです。
そして、それを、今を生きる子どもたちに伝えたいo(*°▽°*)o

ところで、マックス・リュティ『昔話の解釈』とは別に、異類との結婚の話、つまり異類婚姻譚(いるいこんいんたん)について、参考になる本を紹介します。
『昔話のコスモロジー~ひとと動物との婚姻譚』小澤俊夫著/講談社学術文庫

これは、小澤俊夫先生が、日本と世界の異類婚姻譚を比較研究された本です。考え方の基本はリュティさんと変わりません。ただ、ほんとにたくさんの昔話を比較して詳しく説明してあるので、とっても興味深いです。
ちょっと文明論のようでもあります。
ぜひ読んでみてくださいね。

え?ここで報告?
いやいや、自分で読んでおくれ(笑)

次回は第7章昔話に登場する人と物です。

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きのうのおはなしひろばはインドの昔話「村のおばあさん」
心があたたかくなるお話(o゜▽゜)o☆

 

 

7月のプライベートレッスン

今月のプライベートレッスンは3日間あり、合計で4話でした。
それぞれの話を詳しく学べたと思います。
さっそく報告しますね(^^♪

「さかべっとうの浄土」『語りの森昔話集2』語りの森
日常語のテキストになおしてこられましたので、なおすときに迷ったところやなおしにくかったところのチェックをしました。
文章の現在形と過去形について、現在形にする方が過去形よりも少し意味が強くなるということでした。
この微妙な違いは、教えてもらって初めて意識しました。
テキストを詰めていくという作業の中で細かいことに気付いて行きますね。
〝家〟と〝うち〟についてどう違うのか、どう使い分けたらいいのかという問題が出てきました。
家は家屋・建物のことで、うちは家屋だけでなく自分の家族もひっくるめての意味です。
基本的にはどちらでもいい言葉ですが、話の中で、この状況だったら聞き手にどちらがよく伝わるかなと考えたらいいそうです。
そういえば、ほかのおはなしのテキストに、家とうちが混在していたのを思い出しました。
わたしはそのまま覚えましたが、違いを考えたうえで再話されていたのかなと思いました。

「仙人のおしえ」『日本の昔話5』福音館書店
この話は語りの勉強でした。
プライベートレッスンでは、語られたかた個人に特化した講評になりますので、ここで書くことができませんのでご了承くださいね。
〝全体に力が入っているね〟ということだったのですが、その後具体的にどこをどういうふうに力が入りすぎていたのかを指摘してもらいました。
それは語り手さんとの一問一答みたいになりますから、語り手さんの疑問も含めてそうとう詳しく講評されました。
原話は『あめご八の話』細川頼重/自刊で、日本では類話はなくてこの1話だけだそうです。
同じ原話からこぐま社の『子どもに語る日本の昔話3』の中に「三つのねがい」として入っています。

「風にのったヤン・フェッテグラーフ」語りの森HP《外国の昔話》
ドイツ版浦島太郎とでもいう話です。
語りの勉強だったのでこれまた特化された内容になりまして詳しくは書けません。
〝全体に軽めに〟ということでした。
というのも、この話は異界の存在が次々に登場して主人公は相当な距離をあっという間に移動します。
すごい距離と時間を行き来しますし、最後には死神も出てきます。
壮大な、聞いた後に「はあ~、なるほどな」と余韻の残る話です。
ではあるけれども、主人公の若者はあまり深く考えるとか、がんばって挑戦するというふうではありません。
単純に「それなら行きたいな」「行ってみよう、オー!」みたいな軽やかな感じでして、そういう意味で軽やかに語る話だということでした。
主人公が〝単純だから強い〟とヤンさんが言った言葉が印象的でした。
ヤンさんは、この主人公の名前をもらったんですかね?

「ふしぎな子ねこ」『新装世界の民話14ロートリンゲン』ぎょうせい
こちらは再話の勉強です。
原話は、初めに長い前置きがあります。
主人公はおばあさんですが、おばあさんに娘がいて娘が結婚して孫が生まれて、でも娘とお婿さんが死んでしまっておばあさんはとても貧しくて苦労するという内容がえんえんとあります。
まずそこを大胆に短くするべしという指摘がありました。
そのほかは細かくことばの指摘や調整になりますのでこれまた書けませんが、わたしは最初、再話されてきたテキストを読んで、上手だなと思ったんですが、それでもヤンさんの指摘でかなり手を入れることになり、なるほどと納得するとともに、自分のことを深く顧みたのでございました。
原話選びがうまくできない状態だなあ~、いつ抜け出せるのかな~、と遠くを見つめました(笑)

つぎの募集は、8月の最後の週で申し込み開始はまもなくです。
家庭教師並みに指導してもらえるので勉強になると思いますよ。
では、また(^o^)/