『とりあえずまちましょう』🏰

一昨日、木曜日のことです。
市内の絵本サークルの勉強会で、講演(のようなもの)をしました。
たった1時間だし、三密を避けて内部だけの開催だったので、のようなもの(笑)

これまでは、石井桃子、渡辺茂男等々、現代日本の児童文学を拓いた人がテーマだったんだけど、今回は、五味太郎さん。
私の好みで選びました(笑)

それがあだになった。
なんと400以上の作品があって、うちの図書館所蔵は300冊。
300+アルファ冊読んだ。
おもしろかった。
それはいい。
どうやって、1時間にまとめる?

結局、約70冊準備してもらって、紹介したのはその半分。

でね、終わってから気づいたんだけど。
五味太郎に限らず、絵本は好きだけどね。
わたしにとって絵本を楽しむ醍醐味は、他の人と共有することにあるんだってわかった。
ひとり静かに読むのもいいけど、読んで聞いてもらうことが楽しい。相手が子どもでも大人でも。

それで、今回も、聞いてもらった中で、特に反応があって楽しいなと思った本を、ここに紹介します。許可なくても表紙を載せてもいいよっていう出版社さんのは、表紙も紹介しますね。

『ヒトニツイテ』1979年/CBSソニー→絵本塾出版

『仔牛の春』1999年/偕成社
仔牛の春

『秋』1981年/絵本館

これは、『春』『夏』『冬』もある。

『みんながおしえてくれました』1983年/絵本館

『からだのみなさん』2001年/福音館書店

これは、かがくのとも。かがくのともには五味さん作品たくさんある。最初の作品『みち』1973年もかがくのとも。これは手に入らなくて他館から借りてもらった。当日紹介できなかったので、ここにのせるね。

『いました』2013年/ブロンズ新社
表紙:いました

『とりあえずまちましょう』2020年/絵本館

これは、今年の9月発売。一番新しい本。
コロナの時代に、とっても癒された本です。
『とりあえずごめんなさい』『とりあえずありがとう』に続く第3弾!
五味太郎さんからのメッセージを貼り付けますね。
「なんだかいつも忙しくて、バタバタ、ウロウロ、イライラしているみなさん、ここはひとつのんびり、ゆったり、ぼんやりと、焦らず待ってみるのもけっこういいものですよ、というあたりで、とりあえず まちましょう、です。
すぐにお読みにならなくても構いません。
いつかお読みいただきたいと思います。お待ちしています。」

それから、絵本じゃなくて、おすすめは、これ。

『じょうぶな頭とかしこい体になるために』1991年/ブロンズ新社
『勉強しなければだいじょうぶ』2010年/朝日新聞出版→集文社

みなさん、読んでみてね。ほっこりしますよ。

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きのうはおはなしひろば更新。
ノルウェーの昔話「ガラスの山のお姫さま」だよ~

 

 

11月初級講座報告

窓を開けています。みなさん距離を取って座っています。心も体も冷えていきます…。人肌恋しいこの頃ですね!今日も元気に始まりました♪

1.この世の光 『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森

宮殿の主、幽霊の老人が持っている「文字が縦に書いてある分厚い本」とは何なのか、引っかかっているとのことでした。

ヤンさん…調べたけれども、分からなかった。意味があるから消さなかった。この話は、スペインの話だけれど、地中海の島ごとにある話。地中海はシルクロードの端にある、色んな民族が出入りする中継点。 聖書ではない、聖者伝?!    過去のブログ→聖なる書物 文字が縦に書いてある書物

また、語り手が幽霊の存在をイメージすると、自然と語り方が変わる。どんな幽霊か、自由に考えてイメージすると幽霊の話し言葉が変わり、そのイメージが聞き手に伝わる。そして、ストーリーが止まってしまう説明部分(p169)も、そのイメージが伝わることで(そうなのか~)と聞き手は納得して聞ける、とのことでした。

2.まほうの鏡 『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森

最初に覚えた、これからも語りたい好きな話。先月の初級講座の中で、テキストにおける3回の繰り返しについてのヤンさんの解説を聞いた。その時、まほうの鏡でもそれを自然と感じていた事が思い出され、今回選んだそうです。

助詞~に~へ、の使い分けがあると認識しているが、それでも語るときは迷ってしまう。~が~は、の違いも知りたい。

ヤンさん…                                ~に:その場所をピンポイントで示す ~へ:方向性ある、途中で何かがある

共通語で再話をするときには、意識してそうしている。小澤先生からは、大事なことです!と指導を受けた。関西人がしゃべる時には、特に使い分けていないようだとあとで分かったんだけどね。基本、テキストは正確に覚えましょう。

~が:各助詞 ~は:係助詞                        一人の狩人いました。 一人の狩人いました。(他にも誰かいたのか?)  狩人「いったい何をくれるんだい」ときくと、きつね(に関しては)いいました。                                   ※個人的検索 ~が:主語と述語などの文の関係を作る、           ~は:区別・強調の意味をそえる

また、言葉を立てているところが多い。大きな>魚と語っていたが、大事なのはの方。語法の勉強でも出てくるが、「昔話は物理学を無視している」ところからいうと大きさは大事ではない。…魚は、狩人を飲み込んでのどの中にかくすと、深い海の底へ潜っていきました。事柄の大きさをイメージさせる。子供はその手があったか!とびっくりする。

いすの<と語っていたが、大事なのはいすの方。おひめさまの一番近くに隠れた。その手があるか!とまた思う。どの言葉が大事かを考えると良い。

3.しおちゃんとこしょうちゃん 『おはなしのろうそく27』

繰り返し言う、「そう」の言い方が分からないとのことでした。

…二匹は、なにをやるのもいっしょでした。一匹が目をあけると、もう一匹も目をあけました。そう、二匹とも目をあけました。                一匹がお皿のミルクをなめられるようになると、もう一匹もお皿のミルクをなめられるようになりました。そう、二匹ともお皿のミルクをなめました。      一匹が自分のしっぽを追いかけはじめると、もう一匹も自分のしっぽを追いかけはじめました。そう、二匹とも自分のしっぽを追いかけました。

ヤンさん…「一匹が~、もう一匹も~」という説明によって事実を分からせて、「そう、~」は聞き手への確認になる。

繰り返し言う、「ニャー!ニャー!ニャー!」の言い方も。語り手さんの家に、猫が二匹迷い込んできたとのことで、その鳴き方に近付けたそうです。

「ニャー!×3」1回目、鳥に助けを求める。                「ニャー!×3」2回目、飛行機に助けを求める。              「ニャー!×3」お日さまが沈み3回目、夜の風に助けを求める。        ヤンさん…状況が少しずつ違い、猫たちの気持ちも少しずつ違うので、いい方も自然と変わる。その情景をイメージすると良い。

4.天福 地福『おはなしのろうそく14』

正直な爺さんとごうたれ爺さんの、シンプルな話で気に入った。家での練習は合間になってしまっていたので、いざ人前になると難しかったとのことでした。

ごうたれ爺さは「…」と、ききました。 「…」と、正直な爺さがいいました。「…」といって、ごうたれ爺さは~しました。

などの使い分け区別がつかないままで、自分に入りきらなかった。また、練習が進むうちに、2文字の言葉(くわ、いし、へび、いえ、など)のアクセントが普段の自分のアクセントと変わってきてしまって、自分の中で昔話口調が出来上がってきた。普段と違うアクセントでも良いのでしょうか。

ヤンさん…テキストが共通語でなく、土地言葉のようなものが混ざっているから、語り手の中で迷いが起きる。自分なりのアクセントを作っていって良い、聞いていて自然だったので良いと思う。みなさんそう、家でも大きな声を出して覚えましょう。テキストの問題は、また追々変えていけるようになるから大丈夫、とのことでした。

天福地福の意味が分からないかもしれないので、子供に語るときは少し大きな子に語るのがよいかもしれない。天福地福の説明はしないで済むなら、そうしたいね~

5.かしこいモリー『おはなしのろうそく1』

こちら私です。小学校の朝学習で語る予定。机を下げて前に集まる従来の形とは違い、子供たちがそのまま着席した状態で、開放的な空間で語るので、難しさを感じている。練習の仕方に工夫がいる。今まで以上の練習、人前でする練習などが必要と感じている。

ヤンさん…席が離れていて、子供たち同士の関係が取りにくいから、おもしろさ、理解が伝染しにくくなって、語り手の力がおよびにくい。かしこいモリー、お話自体に力があるから、子供の心を掴む、そのことにすがり付いて語る。それだけでやっても、半分の子供には伝わる、心に残る。自分が楽しんだら、子供たちも楽しむので、楽しんだら良い。語り手と集団、その子ら同士の関係性の大切さがあることを、この度思い知らされているね~。

また、テキスト:刀を手もとまでひきよせたとき、カチャッ(間)と~ ここの間を入れる。繰り返しにおける1回目の大事なシーンを子供たちに見せることは大事、とのことでした。

ヤンさん 手遊びとおはなし                        し~の~だ~のもりの~きつねがコンチキチン、コンコンチキチンコンチキチン (信太のきつね)                             さるかに合戦 (日常語)『語りの森昔話集4・おもちホイコラショ』語りの森

 

ノート式おはなし講座p31 おはなしの語りかた (抜粋と聞き書き)

そのお話を選んだときの思いや、覚えるために時間を費やして努力したことに自信をもって語る。語る時にいちばん大切なのは、聞き手と語り手が共にそのお話を楽しむことです。聞き手が、語り手の言葉を受け止めるというのは、言葉からイメージを作り出す、言葉から見える、瞬時に想像することです。聞き手が明確にイメージしてこそ、お話の面白さが伝わるのです。おはなしを語るというのは、聞き手にストーリーを手渡すことです。ストーリーを膨らませるのは聞き手です。たとえば、大げさにオオカミらしく語ったりすると、聞き手はむしろ現実に引き戻されて、ストーリーから離れてしまいます。(おばちゃんの面白さに気がいく!)語り手は媒体。子供たちは受け止めて感じたものを、瞬時に返してきます。それを語り手はまた瞬時に受け止めて、次の言葉を発するようにしましょう。子供たちの目が分かっていない~ということを発していたら、説明を入れます。短い説明を前もって準備しておき、語りの途中で挟む練習、その後、語りにすぐ戻る練習をしておきます。 語り手が笑うと子供も喜ぶ。物語を通じた心のキャッチボール、これが語りの良さです。

間違えないように語るということを突き抜けて、余裕を持って楽しむ。孤独な練習の日々、おはなし5分、10分のために語り手はどれだけの時間を費やし、努力している事でしょう!でも、その先には子供たちの笑顔と素敵な未来がありますもんね。俄然やる気が出ます。甘いお菓子を休憩に挟み、練習を重ねます。語り手が笑うと子供も喜ぶ、その言葉が心に響きました。おはなし会は心地よい時間ですね。しみじみ。それと同時に、当たり前な事を自分に問い直す時間、何が大切かを考え、捉え直す時間を与えられたのだと深く思い、感じます。逆境を成長に☆ありがとうございました。

次回は12月8日(火)です。 1月・2月はお休みです。

昔話の解釈ー白雪姫3👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫

白雪姫の初版で、女王は、欲しくてたまらなかった子どもを授かるけど、その子が自分より美しかったので、森へ捨てて殺そうとした。
そのことの意味を考えます。

そのなかで、リュティさんは、「まま母」「まま子」という言葉を使っています。これは、法律上の継母・継子という意味ではありません。
実の関係・義理の関係にかかわらず、母と子の間に深い葛藤が生じるときの、母親の心理的状態、子どもの心理的状態を、カギカッコつきで「まま母」「まま子」と呼んでいることをお断りしておきます。

さてさて、七版では、女王は、白雪姫を生むと亡くなります。新しい妃は、美しい人でしたが、もっと美しい白雪姫への妬みが高じて、狩人に、白雪姫を森で殺すように命じます。殺した証拠として白雪姫の肺と肝を持ち帰るようにというのです。狩人は、哀れに思って、白雪姫を逃がし、代わりにイノシシの肝と肺を持ち帰る。

ところが、初版では、実母が白雪姫を追放します。ただし、七版のようにひどいやり方ではなく、森に置き去りにして野獣に食べさせようというのです。追放のやりかたは和らいでいますね。
でも、嫉妬に目のくらんだ女王が白雪姫の「まま母」でなく、実母であるというところが驚きです。
ここから物語の全体が見えてくるとリュティさんは言います。

というのは、白雪姫の類話を総攬すると、女王が実母である話が少なからずあるというのです。「まま母」のほうが多いそうですが。

美しい子どもを欲しがった、その同じ女が、のちにはその子をねたんで、厄介払いにしようとする。母親はだれでも、「まま母」になる危険をはらんでいると、リュティさんは言います。そして、その限りでは、「白雪姫」はまさに現実の世界を反映しているというのです。
母親はだれでも、「まま母」になる危険をはらんでいる

ミュンヘンの精神科医ヴィトゲンシュタインの著書にこんなことが書かれてあるそうです。
ヴィトゲンシュタインが子どもの頃、母親が彼のおもちゃを取り上げたことがあった。彼はまだ幼くて、法律的な意味で継母というものがあることを理解していなかったんだけど、その時、母親に、「あなたは私の本当のお母さんなの?」と尋ねた。
そして、ヴィトゲンシュタインは、母親は皆、よい意味で「まま母」になるべきだ、子どもの願いをはねつけることも必要だと説いています。

リュティさんは、母親は子どもの願いを拒絶することができなくてはならない、そして、そのとき、子どもは「本当のお母さんなの?」をいう考えがうかぶこともあるだろうといいます。
かつて、「わたし、橋の下に捨てられてたんとちがうやろか」と思ったこと覚えていませんか?あれです。

これが、なぜ世の中にまま母話があんなに多いのかということのひとつの答えなのです。まま母話は子どもばかりでなく、人間一般の根本感情に一致しているのです。それはつまり、自分の正体を疑う気持ちです。

子ども、特に思春期になると、多かれ少なかれ誰もが、自分は何者かという根本的な問題にぶつかりますね。そして、それは、おとなになるにつれて考えるのをあきらめていく。でも、あきらめない人たち、芸術家や哲学者たちがいますね。

そういえば、「白雪姫」にかぎらず、昔話は主人公の正体を問うて飽きません。
主人公は獣なのか王子なのか?
灰かぶりなのか光輝く王の花嫁なのか?
かさぶた頭なのか金髪頭なのか?
抜け作なのか選ばれた男なのか?

ううむ。そうだね…。

そして、最後は、さげすまれていた者や見損なわれていた者が、じつは王者であり、恵みを受けた者であることが分かるのです。
なぜなら、昔話は信頼の上に成り立っているから。

わたしは、大人になったいまは、自分の中の「まま母」性に目が行くけれど、子どもの立場に立てば、自分の「まま子」性に苦しんだことがあるのを思い出します。
そして、それは、自分の成長のために越えなければならない壁だったのだということにも思い当たります。

やっぱり、昔話は、すごい!o(*°▽°*)o

次回は、「白雪姫」の倒錯について~

はい、おしまい。

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昨日は、初級クラスの勉強会、楽しかったよ。
ウーカーさんの報告をお楽しみにね~

一昨日は、高校生の絵本読み聞かせ、楽しかったよ。
でも、今年はこれで最後、ちょっと寂しい。

明日は絵本の会で、五味太郎の作品紹介をします。

 

 

昔話の解釈ー白雪姫2👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫

前回、初版の白雪姫の前半を紹介しました。
まだ読んでいない人は、先に前回のを読んでね。こちら⇒

私たちが普段読んでいる七版の白雪姫との違いについて、リュティさんの説明を紹介していきます。

まず、初版では簡潔で素朴な文体だったのが、のちには磨きをかけられてふっくらしていきます。
つまり、グリム兄弟は、口伝えの昔話から洗練された読む昔話を作り出した。そして、そのおかげで、グリム昔話集は世界を征服したのですって。

たとえば、白雪姫の冒頭。
初版「冬のことであった。空から雪が降っていた。」
七版「冬のさなかのことであった。雪のひらが羽のように空から舞い落ちていた。」

グリム兄弟、とくに弟のヴィルヘルムが主に改訂してるんだけど、文体に磨きをかけている、それは、時代の反映だとリュティさんはいいます。

当時のドイツは、ロマン主義と写実主義の間に挟まれたビーダーマイヤーの時代。ビーダーマイヤーというのは、地味な市民の生活態度と一致する簡素で細やかな調子が特徴の生活様式や芸術の概念です。そこでは、秩序と清潔、家庭的なくつろぎ、守られた状態と暖か味、自然と事物の人間化が好まれて、グリムさんたちも昔話集を読み物化するに際してそれらを取り入れていきます。
グリムさんも時代の子というわけね。

初版の雪は冷たい。七版の雪は羽のようだから、厳しくも冷たくもない。
みんなが思い出すのは、「ホレばあさん」で羽根布団をふるうと地上で雪が降るという俗信です。これで雪は親しみのある温かみのあるものになります。グリムさんは、そこをねらっているのです。
これがビーダーマイヤー調。

でも、比較しないで雪に冷たい感触を残している庶民的な元のテキストのほうが、現代の私たちにとっては、好ましいと、リュティさんはいいます。

そんな目でグリムを読んでみたら面白いかもと思います。
が、話は次に進む(笑)

女王の鏡への質問。
初版「鏡よ、壁の鏡よ、イギリスじゅうで一番きれいな人は誰?」
七版「鏡よ、壁の鏡よ、国じゅうで一番きれいな人は誰?」

どうして、グリム兄弟に白雪姫を語ったジャネット・ハッセンプフルークさんは、「イギリスじゅう」なんていったんでしょう?

じつは、当時、ヨーロッパ大陸の民間信仰とか伝説とか昔話のなかでは、イギリスっていうのは一種の彼岸の国だったんだって!
海を隔ててるでしょ。ほら、水は境界。
妖精のふるさとイギリス。

だから、白雪姫の物語は、もとは彼岸の物語なんですよ。話の出来事をすべて神話的な領域へ移している。

さて、いよいよもっと大きな問題です。
白雪姫を迫害するのは、実の母親ってところです。
びっくりしなかったですか?
母親は、子どもが欲しかったんですよね。雪のように白く、血のように赤いほおの、黒檀のような瞳の美しい子どもが欲しかった。で、思い通りの子どもが生まれた。それなのにですよ。がまんがならなくなって、野獣のうじゃうじゃいる森に捨てるんです。

これは、この物語のキモです。
次回をお楽しみに~~~(✿◠‿◠)

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ケストナーをぼちぼち読んでます。って前に書いたかな。
おすすめ本:『雪の中の三人男』創元推理文庫
笑ってすかっとしたいかた、おすすめ~
『一杯の珈琲から』より笑えた。

今は中村桂子さんおすすめの『空海』高村薫/新潮社を読んでます。
こっちもめっちゃおもしろ~い(^∀^●)

 

 

日常語入門3回目

オンラインでの入門講座。
ちょっと慣れてきたかな。みなさんも、私もね。

昔話を普段使いの言葉で語ることの意義についてお話ししました。

これは、私自身が語りを始めてから今までの経験と学びを振り返ることになります。
子どもたちとの関りから始めた日常語による語り。それに理論的な裏打ちができたのは、小澤先生に学んだから。経験を深められたのは竹原先生のおかげです。

コロナ禍で語りの場が減ったおかげで、将来のことが考えられるようになりました。
人はいつまでも同じペースで動けるものじゃない。としたら、何かにしぼって充実させていかなくちゃ。何に?

そう考えてると、なんとなく幸せです。
ちょっとわくわく。

みなさん、なぜ自分は語るのか、あらためて考えてみようψ(._. )>

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昨日はおはなしひろば、更新したよ~
岡山の昔話「たからげた」
最近日本の話は呪宝譚を連発してるのに気がついたかい?