昔話の解釈ー死人の恩返し6💀

今日の京都府南部は風が強い。
洗濯物がはたはたと飛んでいきそう(ToT)/~~~

新型コロナ
地震
大雪・大雨・熱署

世の中が恐怖と不安でひっくり返ってるときに、希望のかたまりであるはずの五輪で、いったいなにがどないなってんねん。

さておき、昔話に人間の生きる知恵を見つけよう。

最近、ブログがめっちゃまじめやねんな。
膝が痛いので乗って行った自転車をスーパーに忘れて、重い荷物をぶら下げて帰ったこととか、書く気になれへんねんな。
「薬飲んだか?」が唯一の会話になりかけてる老夫婦の話とか。

六年生男子に呼び止められて、「おはなし会楽しみやったのに」と何度も訴えられたこととか。修学旅行も運動会もまともに無くて、それでもおはなし会が楽しみやった、なくて残念やったと言ってくれる子ども。ありがとうね。

さてさて、昔話に生きる知恵を見つけよう。
マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第4章「死人の恩返し」つづき

死人の恩返しの類話は死人が助けられる前半と、死人に助けられる後半に分かれていましたね。
今日は、その後半のテーマが「救済」であることについて。
援助者である死人が、主人公に代わって(あるいは、主人公とともに)お姫さまを救い出します。主人公はそのお姫さまと結婚して幸せになるのね。

ノルウェーの昔話「旅の仲間」では、お姫さまは、自分自身から、取りついている悪霊から、解放されなくてはなりません。
お姫さまはトロルの呪いに取りつかれていますね。死人はそれを見破り、トロルの首をはねます。
でもそれだけではまだ救済にはならなくて、主人公はお姫さまの体にくっついているトロルの皮をはぎ、お姫さまの体をむちで打ち、ミルクで湯あみさせます。
この過程は、魂の浄化の過程です。浄化されるという心理的真実が、目に見える形であらわされているんですね。
昔話は、心の真実をストーリーやモティーフであらわします。
登場人物の行為は残酷に見えるかもしれないけれど、人の心の救済という重い真実に比べれば、バランスがとれていると思います。

類話によっては、お姫さまの体の中に巣食っている蛇から解放しなくてはならない話もあります。

おーい、お偉いさんがたに巣食っている女性蔑視という蛇も退治してやれよ~
(失礼(ಥ _ ಥ))

はい、ここまで。
つぎは、旧約聖書外典の「トビト書」と昔話の関係についてです。

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今週はHP更新《外国の昔話》
イタリアの古~い昔話「ペトロシネッラ」
語ってくださいね~
「ラプンツェル」と読み比べるとおもしろいよ~

 

 

 

おすすめ📖点子ちゃんとアントン

去年の秋にエーリッヒ・ケストナーの『ふたりのロッテ』『五月三十五日』『わたしが子どもだったころ』について書きました。
え?ほんま?と思う人は、「ケストナー」で検索してみてください(笑)
そののちも断続的にケストナーを読んでいます。
ほとんど子どもの頃に読んだので、再読ね。

『エーミールと探偵たち』『点子ちゃんとアントン』と続けて読んで、大人の私がふと気になったのが、ジェンダー。
料理は女の子の役割というのが前提として書かれている。
エーミールのいとこのポニーも点子ちゃんも、自立心があって積極的で勢いのある少女なんだけどね。
お茶の用意をするのはポニーの仕事。
アントンが、病気のお母さんに代わって料理をしているのを見て、点子ちゃんが「あんたがお料理するの?」と驚きます。

そんな時代だったんですね。
『エーミールと探偵たち』は1928年刊、『点子ちゃんとアントン』は1931年刊ですから。
でも、ケストナーは、アントンが料理することについて、「病気のおかあさんがきちんきちんと食事できるように世話してやるのは、誇りとするにたるじゃないか」と書いています。

時代の風潮とケストナーの人生観・価値観がよくわかる一例でした~

それから、『点子ちゃんとアントン』の「はじめに」で、ケストナーは虚構について書いています。
じっさいあったかどうかということは、どうでもいいのです。その話がほんとうだということが、かんじんなのです。ある話が、じっさいにも、その話のとおりにおこるかもしれないなら、その話はほんとうなのです。わかりましたか。それがわかったら、みなさんは芸術の重要な法則を理解したというものです。また、わからなかったとしても、べつにさしつかえはありません。

以前にも書きましたが、ケストナーは、子どもを子ども扱いしない大人です。こんな文章を読むとうれしくなりますね~

昔話の解釈ー死人の恩返し5💀

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む
第4章「死人の恩返し」

ちょっと間が空いてしまった。
みなさん「死人の恩返し」の内容、覚えてますか~?
忘れた人は「旅の仲間」を見直してください。こちら⇒《外国の昔話》

「死人の恩返し」の話は二つの部分に分かれています。
前半:ひどい目に遭っている死体を買い受ける話。
後半:感謝する死者の助けによって、主人公が王さまの娘を妻にする話。

以前に紹介したスイスの話では、主人公は後半で死の危険を乗り越えなくてはなりません。これには彼岸の援助者がぴったり合うと、リュティさんは言います。そして、死人がうさぎになって出てきますが、他の類話では、きつねになって出てくる例もいくつかあるそうです。動物のすがたは、援助者も救済を必要としていることを示していると言います。
うさぎは、主人公を助けた後、「わたしはうさぎになって罪を償わなければなりませんでしたが、でも今はもう救われました」といって消えていきます。

このことから、「死人の恩返し」という話は、相互救済の話だといえます。
主人公は援助者を必要とするが、援助者もまた主人公を必要とする。両者は互いに相手を頼りにしている。どちらもひとりでは自分を救うことができない。

相互救済は、「死人の恩返し」に限らず、昔話にはたびたび出てくるとリュティさんは言います。
そこで思い出すのが、グリム童話の「金の鳥」。きつねが懲りずに主人公を助けるすがたに、愛を感じますが、きつねもまた救済が必要だったんですね。

ここには人間の実際の姿が映されている、と言っても言い過ぎではあるまい。

深いなあo(*°▽°*)o

 

 

津軽むがしこ❄

ふる~い昔話集を手に入れました。
『津軽むがしこ集』川合勇太郎編著/東奥日報社
昭和5年の発行です。

語りたい話を探していて、偶然見つけました。

著者は青森県のかたで、主に著者のご祖母さまが語られた昔話を集めてあります。
語りの文体は、簡潔で、土地言葉が少し混じっています。
素朴で、いい話が満載です。わくわくします。

序文も感動的です。
ちょっと紹介しますね。

まず、青森の自然。
冬になると海風がことに強く吹きあがってくるところであった。真っ黒いけわしい雪雲が海峡の向こうからあわただしく運ばれてきては、屏風のような八甲田と岩木の山脈にがっきりと支えられて、町の空一面に拡げられると、やがて向こうも見えないような綿雪が、ぼそりぼそりと降りつむのである。

ね、いいでしょ~

人びとの様子。
津軽の人たちが楽しい正月を迎えるころは、ことにはげしい吹雪の日が続いた。子どもたちは、ひょうひょうとするその寂しい吹雪の音を紙窓の外に聞きながら、うす暗い家のいろりばたやこたつの中で、ぽつねんとしたひねもすを送らねばならなかった。
津軽のムガシコは、そうした日に、きっと爺婆の口から語りだされるのであった。

ね、これが昔話(ムガシコ)が語られた背景なのね。

でね、昔話とは何なのかってことが書かれている。
どこかよその土地で語られていた話がはるばる山河を越えて伝わってきた、そんな話もたくさんある。
しかし、それがむきつけな津軽の言葉で『ムガシコああったぢぁね』と語りだされ、吹雪の夜の気分にぴったりとするまでには、子に対する素朴な親々の情けによって、いくども選択され、洗練されて、けっきょくその国土の人々の胸に愛でられ共鳴されたもののみが、語りつがれてきたのもであるに違わない。

ね、「子に対する素朴な親々の情け」が基本にあるのね。大人の子どもへの愛、その思いによって選ばれた話が、多くの人に繰り返し語られていく中で洗練されて、残っていった。
いま、わたしたちが一生懸命やってることとおんなじやね。

でも、今は子どもの生活ががらりと変わってしまって、昔話もあまり語られなくなったから、記録しておこうと思うと書いてあります。
まだ昭和初年ですよ。1930年!いまから90年も昔!!
この6年後に、柳田国男が全国的に昔話を集める研究を始めるんですよね。やっぱり、その頃、昔話が語られなくなってきたからなんですよね。

遠い親々のありがたい心遣いをふりかえって、さらに子や孫へその奇特な心掛けを長く伝えたいのである。霜柱のくずれるように、今はこの国土から消え去ろうとしているなつかしいムガシコのすがたを、ひとつでも多くとどめておきたいのである。

わたしは津軽人ではないけれど、著者の思いを受けとめて、次に伝えたいです。
日本の話も外国の話も、いつもそんな思いで語っているし、再話しています。
みんなで伝えていきましょうね。
ひとりの命は限りがあっても、伝えていけば物語は永遠に生きるのです。

表紙絵 芳賀まさをさん

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昨日のHP更新は《日本の昔話》
岡山県の「犬神山のおおかみ」
狼の恩返しの話です。

 

 

ムーミン谷🏞

お正月から少しずつ、少しずつ、楽しみに読みすすめてきたムーミン全集(全9巻)が、1月末で読み終わってしまった。
さびしい(⊙ˍ⊙)

子どもの頃のイメージでは、ムーミン谷は懐かしい理想のふるさとだったんだけど、今回まとめて読み直すと、自分の希望がそのままイメージになっていたことが分かりました。ホムサの想像するムーミンママのように。

愛すべき登場人物たちの人生は、けっして平穏ではありません。彗星の接近や洪水や、恐ろしい怪物の脅威や、自然との闘いが続きます。
ひとりひとりが、自分らしくそれに対していく。向かっていく者もいれば逃げる者もいるし、われ関せずの者もいる。
それを肯定する作者ヤンソンの愛情にあふれるまなざしに、いやされます。

第1巻から8巻までの流れも心憎いばかりです。
特に、第7巻『ムーミンパパ海へ行く』での絶海の孤島の体験。これは、ムーミン一家(ムーミントロール・ムーミンパパ・ムーミンママ・ミイ)と灯台守しか登場しないのね。そして、読んでいて、島の自然の脅威と孤独を感じるたびにムーミン谷が恋しくなる。ムーミンママが壁画に入っていくのと同じ。はやく、みんなムーミン谷に帰らないかなあと思いながら読んでました。
それに対して、第8巻『ムーミン谷の十一月』には、ムーミン一家が出てこないのです。一家が留守のムーミン谷に、スナフキン、ミムラ姉さん、ホムサ、ヘムレン、フィリフヨンカたちが、一家に会いたくてやって来ます。みんなの語る、また思い描くムーミン一家によって、この巻はむしろ、一家のいる谷を強く感じさせてくれます。
フィリフヨンカの影絵の場面では涙が出ました。
ムーミンたちの船が接岸する直前で物語が終わっているのも、ほんと心憎い。
物語の続きは、読者が紡いでいくんだとでもいうように。

ムーミンロスを何とかするために、いま、またケストナーを再読し始めています<(^-^)>

それと、インドの昔話を読んでるところ。昔話の起源にインド起源説っていうのがあるくらいだから、たくさんの昔話があるようです。でも、日本語に翻訳されている基本資料がなかなか見つからないのねえ。第三文明社『インド昔話抄』とぎょうせい『世界の民話ーパンジャブ』くらいです。今他に探しているところです。情報、お待ちしています~