大人のためのお話会👻

8月も末になりました。
けれどもまだまだ暑さは続き、そして台風10号が日本列島に近づいてきているとのこと。
気が抜けませんね。
8月22日に行われた大人のためのお話会は、夏といえばこれでしょう!ということで、〝怖い話〟特集でした~

「金の髪」『おはなしのろうそく19』東京子ども図書館
「ミスター・フォックス」『語りの森昔話集2ねむりねっこ』語りの森
「ぼっこ食いあねさま」語りの森HP → こちら
「千人力」語りの森HP → こちら
「黄色いリボン」『ホラーセレクション(2)語られると怖い話』ポプラ社
「金の腕」『おはなしのろうそく22』東京子ども図書館

参加者は10人でした。
常連さんばっかりの安心感の中、一生懸命務めさせていただきました。
わたしたち語り手は、普段子どもたちに怖い話はほとんどしません。
できないというほうがより正確かと思います。
というのは、高学年でもクラスに一人か二人は本当に怖がる子がいるので、そうしますと語り手は怖さを緩めなくてはなりません。
たまに学校にやってくるだけのあまりよく知らないおはなしのおばちゃんが怖い話をするというのは、よほど注意しなければならないわけです。
しかし、大人のためのお話会ですから、いっさいの配慮は無用!!
ということで、怖い話を思いっきり怖~く語れるということでみんな張り切って当日を迎えました。
こんなチャンスは二度とないかもしれないですから。
でも、わたしとしましては、練習の段階で「金の髪」がいかに難しいかということを思い知らされ_| ̄|○、なかなかうまくできないことに恐怖を感じるという現実に直面していました(気づくのが遅い、遅すぎる…笑)

絵本なしでプログラムを組むというのは初めてでしたが、今回はこれでよかったかと思います。
みなさん、いろいろな怖い話を楽しんでくださっていたように思います。
「金の腕」も、大人のかたは驚いてくれるかどうか心配でしたが、この話を知らない人が二人くらいいらっしゃって、本当にびっくりされていて、「よっしゃ、成功~~、ラリホ~♪」と気持ちよく追われました。
ヤンさんは、まさかまさかの惜しくも病欠で残念でしたが、語り手3人で2話ずつ、みんなでがんばって、無事終わりほっとしました。
来年も、8月は怖い話特集やる?!

うり、初々しいいい匂い

 去年も、今年も、暑いですね😓 図書館おはなし会は8月17日土曜日はお盆でお休み、今日は遅くなってしまいましたが先週8月10日の図書館おはなし会の報告をします。一週間留守にしていた間に、蝉はツクツクボウシにかわり、夜には虫が鳴っているので帰ってきてビックリしているおらふです😊
 
 8月10日 子ども10人、おとな9人

手あそび くーるぽん
おはなし 「うりひめのはなし」『おはなしのろうそく12』東京子ども図書館
絵本 『ヴィンセントさんのしごと』乾栄里子 文/西村敏雄 絵/福音館書店
絵本 『どしゃぶり』おーなり由子 文/はなこうしろう 絵/講談社
絵本 『どんめくり』やぎたみこ/ブロンズ新社
手あそび さよならあんころもち

 おはなしに合わせて畑から自作の「ウリ」を持って来てくれたヤンさん。とってきたばかりだから、ウリの新鮮なにおいがいい匂い😊
 メロンが最高級品だった昔、庶民は「あんまりおいしくない」といいながら、マクワウリを大事そうに食べてましたよね。そのウリとは違うのでしょうか、ヤンさんは「お漬物にするウリ」と説明していました。形も丸ではなくて細長いシマのある緑のウリです。
 さて、ヤンさんの「瓜子姫」は、おはなしをはじめたころに覚えたものだそうで、ろうそくからのものですが、日常語です。その風景を見ていると、お家で子どもたちにおはなししているみたい。語り手と聞き手の距離がとっても近くて、子どもたちも自分のためにおはなししてくれてると感じるようです。
 ヤンさん「瓜ひめ、いるか」
 子ども 「!」
 ヤンさん「戸をあけてくれや」
 子ども「……だめ」
 ヤンさん「指のはいるほどあけてくれ」
 子ども「(うでをばってんにして)ダメ!」
 ヤンさん「手のはいるほどあけてくれ」
 子ども「(ばってんをさらに協調して)ダメダメ!」と、どんどんダメダメ言ってくれるんだけど、瓜ひめは頭の入るほどあけてしまって、子どもたちは「あ~」
 『おはなしのろうそく』の「話す人のために」記載されている「あまんじゃくが瓜ひめに戸を開けさせるまでのかけ合いが山なので」のとおり、もうそのまんま、見ているこっちは楽しいですが、聞いてる子どもたちは(またうまいこと女の子が多くて)ヒヤヒヤドキドキしていたことでしょう。あ~楽しかったです!絵本も暑さで弱った身体と心を和らげてくれました😊
 
 瓜子姫は子どもの頃に読んだ日本の昔話の中でも読む本によっていつも違うなぁと思っていたおはなしでした。青森から鹿児島まで全国に広く分布してバリエーションに富んだ話型とのことで、主に東北は瓜子姫は殺されてしまうし、岩手の方には姫の皮を剥ぐはなしもあるとか。でも、今回の長野県飯山の「瓜子姫」はハッピーエンドな形ですが、近辺の「おしらさま」には馬を桑の木にかけて皮を剥ぐというシーンもでてきます。マクワウリも美濃の国の真桑村がその名の由来とされているけど、各地で栽培されその土地のマクワがあるし、似ている言葉は出てくるけれど全然つながらない😓  昔話は奥が深くてとっても不思議です。とにかく8月27日の「ねずの木」とっても楽しみです!

 

風がはこんだ物語🐎

ジル・ルイス文/ジョー・ウィーヴァ―絵/さくまゆみこ訳/あすなろ書房

世界じゅうにたくさんの難民たちがいる。
平和の祭典であるオリンピックでもそれを思い知らされました。

この絵本に描かれているのは、故障してしまったボートで海を漂う人たち。
幼い子ども二人を抱きかかえている夫婦。
小さな白い犬を抱いた老人。
おとなになりかけの暗い影を顔にやどした二人の若者。
そして、胸に長いケースをかかえた、主人公の少年。
たまたま同じボートにのりあわせただけの、おたがいに見知らぬ人たちです。

戦争や紛争のために、日常を追われて逃げて来た人たちです。
ひとりひとりがその日常をぽつりぽつり語ります。

主人公の少年は、ケースを開けてヴァイオリンを取り出します。
そして、弾きながら、スーホの白馬の物語を語ります。
それは、自由の物語。

11月に赤羽末吉の勉強会をするんだけど、これは、その準備をしていて見つけた絵本なんです。
モンゴルの昔話「スーホの白い馬」の、がっつり深い解釈とでもいうのかしら。

8月15日、敗戦の日に、戦争はぜったい嫌!とのメッセージとして紹介しました。

 

ねずの木🌳

グリム童話の「ねずの木」
子どもには語ったことないんですけど。
かなりショッキングな話なので、ちゃんと伝えられるか自信がなくてね。
でも、わたしはふしぎと心ひかれるのです。

お母さんがぼくを殺し
お父さんがぼくを食べた
妹のマルレーンがぼくの骨を絹につつんで
ねずの木の下に置いた

「ねずの木」は、『グリム童話集」の初版から入ってるんですね。
残酷だと批判された話は、グリムさんは削除したりほかの話と入れ替えたりしているのに、「ねずの木」は、ちゃんとそのまま入れている。

なんでかな?

グリムさん自身は、口伝えの話の理想形だって考えていたらしいんだけど。

それにしても、みんなから批判されなかったのかな?
こんなんひどい話や!って。
当時の人たちは、この話をどう受け止めてたんやろか?

と、好奇心に突き動かされて、調べました╰(*°▽°*)╯

昔話には類話ってもんがある。類話が広く伝わっていれば、それは人気がある証拠やね。「ねずの木」はどうやろか?
・・・・あるある!
いっぱいある!
しかも歌だけ独立して伝わってたりする!
日本にも、類話じゃないけど、お母さんに殺されて、鳥に生まれ変わって、殺人を暴露する歌を歌う話、全国にいっぱいある!

なんで、なんで?

主人公は殺されて骨になり、妹の愛によって生まれ変わる。
生まれ変わる?
調べていったら、古代エジプト神話にまで行きついたのよ。

おもしろい!

ブログでは書ききれないです。
今月27日の勉強会にぜひ、来てください。
暑いけど。
詳細はこちら⇒

「ねずの木」だけじゃなくて、時間があれば、奈良の民話「ホトトギスのきょうだい」も語るので、聞いてね。

 

 

 

ヘンゼルとグレーテルの語法その後その1👦👧

子どもたちに人気のグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」
先日の勉強会のあと、参加者のみなさんから感想をいただきました。
人の数だけ語りがあるわけですが、勉強会で受け取ったことも、おひとりおひとりが違っています。
その違うところが、興味深いし、とっても大事だと思うので、いつもここにご紹介する次第でございます。

では、いってみよー

Uさん
この度も、深い学びの時間をいただきありがとうございました。
結論は「自分を拠り所にする」ということですね!
広く読まれるメルヒェンとして、グリム童話が今も残っているという事は、グリム兄弟の編纂のおかげなんだなとも思われました。その時代の人々に受け入れられることを拒んだら、誰にも好まれず、なくなっていたかもしれません。
エーレンベルク稿が本来の語りのテキストなのですが、それから200年以上の時を経た人類の精神的な在り方が全く違うものになっているので、その限られた言葉の中で、当時の聞き手が受け取っていた同質のものを、今の私たちが受け取ることは不可能なんだと思います。現代人に合った言葉に変えたり、付け加えたりするための再話のヒントが昔話の語法にあるのだという事が、深く納得できたように思います。人類にとって普遍的な大事な事を、再話の力で繋いでいく可能性を見出せるのだと思います。
また、語法の勉強と共に、2版と7版の比較をして頂いたことで、言葉による表現の違いで、受け取るものが大きく変わってくることも感じる事が出来ました。特に人物の心情描写は聞き手の感情を引っ張ります。悲しい、腹立たしい、嬉しい、そういう感情は、聞き手の中で自然と想起されることが、聞き手の自由なんだと言っていただいて、その通りだなと改めて思いました。聞き手の情操を育てる。それに適ったテキスト選びや再話が、とても大事なことだなと思いました。自分の好みを捨てよということではなくて、語法を知ったうえで、自分の感性や直観で選ぶおはなしを大事に語っていこうと思いました。

Sさん
まずは、語法の勉強会、ありがとうございました!
このお話には、あまり多くの語法が入っていないという事もあり、むしろ後半お話に出てきた、2版と7版の違いについての研究発表のように受け止めました。どちらにしても大変興味深く聞かせていただきました。
お話を当たり前のように「聞いて伝える」時代から、お話は「読むもの」として定着していく時代の流れの中、グリム兄弟も読み手の要求に合わせて文章に手を入れて行かざるを得なかったのだろうと推察します。しかしながら、何度も手を入れながらも、昔話そのものが持つ大切な事は決して損なっていないところはさすがと言えると思います。
「聞く事」と「読む事」の違いを改めて考えました。お話を聞く機会のないまま大人になった人が、語り聞かせを体験して「絵が見えた!」と目を輝かせる姿を何度か見せてもらいました。
自分の新たな能力に開眼する瞬間!その聞き手の能力を引き出す、つまりお話の中に聞き手をいざなうには
・語法にのっとったテキスト
・語法を理解した上での、語り手のお話への解釈
・語るに至るまでの積み重ねの時間
が必要なのですね。
人と人が作り出す事ができる、真に豊かな時間と言えますよね!

Eさん
「ヘンゼルとグレーテル」は、いちど3年生に語ったことがあるのですが、そのときは、整理されたテキストテキストを覚えたので、今回『語るためのグリム童話1』には余分な部分、特に登場人物の心理描写が多いと気づかされました。
今までの語法の勉強会と大きく違った点、2版と7版の比較、勉強になりました。(整理されたテキストがあるので、こんなふうに手を入れるんだと分かりました)
以前語ってた時の子どもたちの反応は満足のいくものではありませんでした。グレーテルが自分の力で魔女をやっつけ、そこから成長する姿はもっと元気よく語ればよかったと思いました。
来週、3年生のおはなし会に参加するので、今回の勉強会で学んだ事をふり返りながら、子どもたちといっしょに楽しみたいです。