まず言っときますが、
世紀の大発見では、決して、ない(笑)
初めに2話聞いていただきました。
「手なし娘」(7分)…『日本の昔話2』小澤俊夫再話・福音館書店刊
「手を切られた娘」(21分)…『語るためのグリム童話2』小澤俊夫監訳・小峰書店
外国の話と日本の話の類話の探し方をお話しました。(60分)
「昔話を語るとき、たくさん類話を読みましょう。そうすると、その話のテーマ
が見えてきますよ。
その上で、語りたいテキストを選びましょう。
じゃあ、どうやって類話を探すの?
こうすればいいんですよ」ということね。
それでまず、類話とは何かということから説明をしました。
そして、類話を探すための書物と資料集を紹介し、どうやって探すかをお話しま
した。
素人が探すのですから、利用できる資料に限界があります。それが悲しい……
「手なし娘」をもとに、集めた類話をどうやって比較すればいいのかを説明しま
した。(30分)
これ、細かいモティーフに分けて一覧表にするととってもわかりやすいんです
よ。それを見てもらいました。
たとえば、娘が口で採って食べる果物は、グリム2版以降は梨、初版はりんご、
青森はみかん……という具合に(笑)
4月12日のブログに書いた息子の存在も、この表で一目瞭然なんですよ。
そして、この表を使って、テーマと民族によるヴァリエーションを押えました。
これは上記のブログのヤンのコメントを見てくださいね〜
わたしがなぜあの2話を語ったかを説明しました(10分)
これはオマケね。
なにもみんながあれを選ばなくてもいいのですからね。
それで、ちゃちゃっと説明したので、よくわからなかったようです。ごめんなさい。
で、ここにちゃんと書きます。
グリムの手なし娘ががキリスト教的だということは読めばすぐわかりますね。
でも、類話を読むと、日本も含め世界中の手なし娘が、どれも宗教的な色合いが
あることが分かります。マリア、アッラー、弘法大師……
そしてそれらを比較すると、なかでもグリムの7版はダントツに宗教性が高い。
ではなぜ私は、その宗教性の高いグリムを選んだのか? クリスチャンでもない
のに。
昔話は人物の心情表現が極端に少ないですね。(これ、昔話の平面性ね)
でも、神に祈るとか神様のお恵みという表現が多用されることによって、運命に
耐える娘の苦しみと精神的な高さが強調される。
だから語るとき、とても感情移入しやすくて、特に会話文でその思いを表現した
くなる。
ね、聴いていた方、私にしては珍しく、演じていたように聞こえませんでしたか?
娘と王と義母の、愛や苦しみに共感して語ったのです。(決して演じてはいませ
んよ―笑)
これって、めっちゃ気持ちいい〜〜〜
じつは、この語り方だと、例えば目の前に聞き手がいなくても語れるのです。
自分に聞かせて楽しめる……語り手の自己完結ね。
ふだん私は子どもたちにこのような語りかたはしません。
だって、これでは子どもとキャッチボールできないもの。
では、日本の手なし娘は?
人物でローズアップされるのは、ストーリーの推進役である夫と継母です。
そして、語り手が感情移入する暇もなくストーリーが進んでいきます。
つまり、部分部分で語り手が感動できるグリムに対し、こちらはストーリー全体
で聞き手が感動する話なのです。
わたしは、ね、こんな話だよ、と物語を提示するだけ。
そして、その物語の主人公になって聞いている聞き手が、自ら感動できるように
語る。
これが、子どもたちに語るときのわたしのふだんの姿勢です。
この再話を選んだのは、父親ではなく継母自身が娘に手をかけたことがひとつ。
手が生えるとき、神や仏の力ではなく、もっと原初的な人間の愛の力によること
がふたつめの理由です。
同じテーマとストーリーを持つ話でも、こんなふうに語りかたまで変わるんです
よ、と言いたかった。
分かっていただけましたでしょうか?
ああ、そのために時間かけて2話覚えた。
でも、たのしかった〜
byヤン