日別アーカイブ: 2015年4月12日

「手なし娘」の息子  byヤン

先週のストーリーテリング中級講座、ご参加くださった方々、熱心に聞いてくだ
さってありがとうございました。
研究者なら、蛇の道は蛇で、もっと面白い発見があったと思います。
が、そこはそれ、しろうとの悲しさ、語り手の視点からのアプローチしかできな
かったのが、申し訳ない。
感想文に質問がありましたので、お答えします。
ひとつめ。
「手を切られた娘」グリム7版(2版も)の最後の場面で、王さまが顔からハンカ
チを落としますね。するとお妃が息子に、そのハンカチを拾ってお父 様の顔に
かけてあげなさいといいます。
ところが息子は「これは僕のお父さまじゃな」いと、口答えします。
類話を読むと、世界中の「手なし娘」の多くの話で、最後の場面に息子が登場し
ています。そして、誰に教えられたわけでもないのに「おとうさん!」 と駆け
寄ったり、お父さんですよと教えてもらって抱きついたりします。
子はかすがい、って感じ。
わたしの読んだ限りではグリム7版だけが、息子が反抗して父を認めないのです。
それはなぜか?
以下推論にすぎませんが私見を書きます。
じつは、ヨーロッパの「手なし娘」の類話の多くが、キリスト教の色合いを帯び
ているのですが、特にグリムは宗教性の高さでは断トツです。
「神さまのお恵みによって」「神さまにおいのりをしました」「神さまが支えて
くださっていました」等の表現が随所に出てきますし、天使が援助者と して娘
を保護してくれます。
息子の言葉もこれに連動するものです。
主の祈りの冒頭「天にましますわれらの父よ」をあげて、「お母様も言ったじゃ
ないの。ぼくのお父さまは天にいらっしゃる優しい神様だって」と息子 はいい
ます。
つまり、母はマリア、息子はキリストにたとえられているのです。
だから、人間の王さまが父親ではだめなのです。「この人は僕のお父さまなんか
じゃない」ということになるんでしょうね。
宗教的な啓蒙の意図があっての再話、と考えていいんじゃないかと思います。
ちなみに、初版では、息子が駆け出していって父親を招き入れ、母親と対面させ
ています。
ふたつめ。
むすめが切られたのは手なのか腕なのか?
また手を切るということに特別の意味があるのか?
グリムでは手首を切らせたとあります。
類話を見ると、指先だったり、腕だったり、いろいろです。たいていは「手」と
し書かれていません。
どちらにしてもショッキングですよね。
手を切ることが刑罰であった時代や民族もあるので、そのような社会的モティー
フが昔話に取り入れられて昔話モティーフになった例かなと思います。
耐える女性を語るとき、手を切られて捨てられるという状況は最も我慢が難しい
状況なわけで、効果的でしょうね。
耐えなければならない状況を極端に語っているわけです。
民俗学的、心理学的には、勉強不足で分かりません。何かありそうですけどね。
ああ、固い固い内容になってしまいました。
だれか何かコメントしておくれ。
  byヤン