みなさん。
今週、昔話の語法を更新したのはご存知ですよね~
こちら→外的刺激
読んでくださいましね。
わたし、リュティさんの昔話についての理論が、大好きです。
今週アップしたのは、特に好きな考えかたのところです。
「主人公は本質的なものと出会うために旅に出なければならない」
主人公って、わたしであり、あなたですよね。
♫じぶんの じんせいのなかでは だれもが みな しゅじんこお~♫
人生という旅をしていると、めっちゃリアルにいろいろな事件が起こって、心が奈落に落ちたりピヨピヨ空を飛んだりしますよね??
でね、そのあざなえる縄のごとき様々な出来事は、すべて本質的なものと出会うための必然なのだ、と考えてみる。
すると、泣いたり笑ったりした後で少し平静になって、つらい時は、「大丈夫」って思えるし、舞い上がりそうなときは、「OK、地に足つけよう」って思える。
前向いて生きられる。
わたしたち、ひとりひとり個々別々、違う人生歩いてますよね。当たり前だけど。
でも、昔話って内面を描写しないから、主人公に個々の顔がありません。でね、だからこそ、主人公はわたしでありあなたであり得る。
同時に、これはわたし、だけど、あなたでもある、って直観できます。
絶対的に平等なんです。
だから、孤独とは無縁なのです。
昔話の平面性。
これを発見した先生に、乾杯!
はい、きょうは哲学でした~
ヤン
いま、「親捨て山」を聞きました。
幼い息子の言葉に、何だかものすごく胸が きゅーっ として、まだ、どきどきしています…
私、最近、ご不幸が続いていたのと、
つい先日は、家のガレージで子育てしていたツバメちゃんが猫に襲われ、巣が壊され、4羽のひながやられてしまいました。
落ちて冷たくなってしまった2羽のひなを、涙をこらえて埋めてあげました。
見ててね、と親鳥に頼まれていたわけではないのですが、しょうとんどのお地蔵さんとシンクロしちゃって、実はあの時涙がこみ上げてきて、大変でした…
ニュースでは子どもが山に置き去りにされていたり、オバマさんが広島を訪問されたり、
最近、命について考えています。
すみません。暗くなっちゃいました。
あ、大丈夫ですよ。元気です(^.^)
かぶさん
さっそくに「親すて山」聞いてくださってありがとうございます。
命のこと、私も考えています。
「限りある命」のことと、「命のつながり」と。
わたしは残りの時間をどう使うことができるだろう、とか。
受けとったものをどうつぎへ渡していけるだろう、とか。
どうしても自分のこと考えてしまうお年頃です。
うん、暗くはないですよ~