子どもと昔話

子ども達は今、運動会の練習が大詰めのようで、大変みたいですね〜
「ダンスが3曲もあるから大変やねん〜。他の競技の練習が全然できひんねん」
「運動場にひざ付いて座ったら石があたってめちゃ痛いねん。ひざに穴開いたもん」
などと、わいわい言ってます。

さてさて、以前にツバメの巣がネコに襲われてヒナたちがやられてしまった話を書きましたが、今日はその後日談です。
しばらくたったある日、
Aくんが「なぁ、あれからツバメのお母さんとお父さん、どうしてる?」と聞いてきたのです。
私「何回も何回も巣を見に来て、ぐるぐるぐるぐる飛び回ってる…
ヒナたちを探してるんちゃうかなぁ……」
Aくんはしばらく下を向いて考えていました。おそらく、ツバメのお母さんとお父さんの悲しみの大きさを想像していたんでしょうね。
下を向いたまま、ぽつりとこう言ったんです。

お母さん、今でもずっと
            全然寝られへんと思うで…

私、また泣きそうになりました。
ツバメのお母さんの悲しみがいかに深いかを、心の奥の方でしっかりと感じている。
そしてそれをこの子は、なんと的確な言葉で表現するんだろう…
子どもって本当にすごい。

大人だと、こんな風には言えない。
うちひしがれて とか
絶望して とか(語彙力なくてすみません…(;−;)
そんな薄っぺらい心情表現では足りない、お母さんツバメの「悲しみ」をこの子は
「ずっと全然寝られない」
という行動ひとつで言い表してしまった。

……ん? おや?
こ、これは………どこかで聞いた事があるぞ………
ま、まさに
昔話では、登場人物の心情表現はあまりしない。
         すべて行動で表現する
ではあ~りませんか!?

つまり「昔話=子どもの生きる世界をそのまま表現している」のでは?!
いや、そうなんです。そうなんですよね!

冒頭の子どものおしゃべりも、よ〜く考えてみると、
「他の練習が全然できひん」→100%もしくは、0%で語る(完全性)
( ほんとは「少しは練習してる」って言ってた)
「石が当たってひざに穴があいた」→物事を極端に語る(極端性)
(穴はあいてないけど、そのくらい痛かったのね)
昔話の語法』があちらにも、こちらにも…

と、いうことは……
「昔話は子どもが好きな形(求めている形)になっている」
昔話の形式意思
ではあ〜りませんか!!

ヤンさん!(おケガの具合はいかがですか?)
私、ものすごい発見したんじゃないですか〜?
大発見じゃないですか〜o(≧▽≦)o
あれ?常識ですか?
うれしくなってまたまた長文で投稿してしまいましたが、
ヤンさん、みなさま、
「常識 」もしくは 「ちょっと違うよ」いずれでも
ご意見、ご教授下さい〜。

お久しぶりの 長文かぶ

5 thoughts on “子どもと昔話

  1. じゃ~ん。
    ご指名にお応えして~笑~

    昔話の形式意志。
    小澤先生が「昔話の語法」等で説明されているのは、昔話の形式を守ろうとする語り手の意志のことで、子どもたちに分かるようにとの語り手の愛情だということだと思います。
    語り手は子どもたちの求める形で語りますよね。
    だから、かぶさんのおっしゃるように、子どもが好きな形になっている~
    でも、結果的にそうであって、「意志」はあくまで表現者である「語り手」の意志ですね。
    って、応えになってない???

    みなさま、どうですかあ?

      ヤン

  2. 昔話の形式意思は、語り手が子どもに分かりやすいように言葉を選んでいるということで、今回かぶさんは、子どもの発する言葉に同じ表現を発見し、形式意思の正しさを確認した、ということでしょうか?

    語り手の意思が、先なんですよね(?_?)

  3. う~んとね、「形式意志」というモノがあるのではなくって、正しいとか間違っているとかいうのでもなくって、後先の問題でもなくって、なんていったらいいのかな~
    そう、この形式どおりにやろうっていう意志。(意思じゃないよ~。意志)
    昔話自体に意志があるわけないでしょう?
    意志があるのは人間。
    昔話を語り伝えてきたたくさんの語り手たちの共通の意志なんです。だから変えてはいけない。

    で、もどりますけど、子どもの発する言葉、表現は、昔話の語法に則ってるって感じることたっくさんあります。
    かぶさんのおっしゃる「極端性」「完全性」なんかまさにね。
    「一次元性」や「平面性」もですよ。

    ただ、「子どもの言語様式イコール昔話の抽象的様式」ではない。
    語り手は、その様式(形式)を意志を持って選びとってるけど、子どもは自然にそんな表現をしてるだけですよね。

    だから、それをふまえたうえで、「昔話は子どもの好きな形になっている→昔話の形式意志」って考えたらいいんじゃないかなあ。

    小澤先生、教えてくださ~い。

      ヤン

  4. しょうとんどの鬼退治ならぬ、つばめの猫退治…う~ん、どんなお話になるだろうと考えてしまいました。
    それはさておき、
    昔話の語法がこどもたちを始め、万人が耳で聞いて分かりやすい形になっているから、大人も子どもも昔話を楽しめるんでしょうね。
    昔話を聞いて育っていて、まだもってまわった難しい言い回しを知らない子どもだから、無意識に昔話の語法に則った話し方になってるのかなぁなんて思いましたけど、どうなんでしょう。半分空想の世界に生きてますし。あれ、うちの子だけか?

    わたしも読んだ本の言い回しが感染ることってよくあるんですよね…。

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