う、シビアな話題、と思ったあなた。
ご期待にお応えしましょう。
集団の中で孤立するというと、ひりひりするような感覚に襲われます。
はみ出しっ子になりたくない、無視されたくないと思うからです。
わたしは子どものころ、ときどき、孤立しました。
いつも、やりたいことへの情熱が強かったので、まわりの空気を読むゆとりがなかったからです。
気がつくとひとりになっていたってことが、ままありました。
大人になるにつれ、情熱はますます強くなりましたが、類は友を呼ぶ。いっしょにやると面白いという仲間ができました。
それに、表面上うまく付き合うすべも知りました。
いまは、やりたいことをやって孤立するのと、自分をごまかしてうまく人とつき合うのと、どっちを取るってきかれたら、迷わず孤立ですね~
いまHPで、「昔話の語法」で孤立性について書いています。読んでくださってますか? (→こちら)
昔話の主人公は孤立的存在である。だから何とでも結びつくことができる。
とっても逆説的な考え方だけど、わたしにはよくわかるのです。孤立した経験が多いので。
わたしはひとりの人間として自立しているって常に自覚していて、大事なことに直面すると、ぎゅっと凝縮されたように心が孤立するのです。
そんなときは、たとえば相手がどんな人であれ、自分と同じ平面上に立っていて、一対一で向き合うことができるのです。
孤立するのはつらいです。
でも本質的なものを手に入れるためには、ひとりにならなくっちゃ。