さっき、学校図書館アドヴァイザーのかたの講演を聞いてきました。
読書量の多い児童は学力が高いという話でした。
だから、学校教育の中で本を読む子に育てましょうと。
❓❓❓
お勉強のできる子を作るために本を読ませるの❓
学力ってさ、学力調査でわかるんでしょ。数字で。これって、相対的なものだから、いわば競争でしょ。
読書体験って、競争するもの?
ま・さ・か!
ああ、だから何冊読んだかとか何ページ読んだかかとか競争させるんだ!
そのためには学校図書館を充実させて子どもにどんどん利用させましょうと。
うん、それはいいよな。
でも本を買う予算は❓
いうだけだったら誰でもいえるよな。
新美南吉、アーノルド・ローベル、などなど。ヤンは小学校でブックトークしてるけど、ほとんど市立図書館から借りてくるよ。学校の図書館にないんだもの。図書館司書も常駐していないし。あれもこれも無い中で、何とか工夫してやっている。ほんと、充実させてほしいよ。
お母さんボランティアの読み聞かせ、100年やっても子どもは本を読まないんだって!
それより先生が読めってさ。
先生の読み聞かせ、ヤンも子どものとき好きだった。
でもね、今の先生ってとっても忙しい。
良い本の選び方を学び、実際に本を選ぶ、その時間を確保することから始めないといけないと思う。先生のお仕事の環境作りからね。それなくして、先生読んであげてって、言うだけならだれでも言えるよな。
ボランティアの読み聞かせ、100年やっても意味がないんだって❓❓❓
親たちが子どもたちといっしょに本を読む。
それほどの良い読書環境が他にあるだろうか。
そして、親や地域の住人が学校に入ることの重要性は❓
地域ぐるみでの子育て。本の好きな人は本で関わる。その人と人の温かみが大事なんじゃない❓
本は、お勉強のためにあるのじゃない。
本は、物語であれ、知識の本であれ、人の全人格的な成長を促すものだと思う。
先生も含めまわりのたくさんの大人が関わる意味がそこにある。
そして、本質的に、読書は孤独な営みであり、同時に世界とつながるものであり、自尊の心を育てるものだと確信している。
なんか情けなくて泣けてくる😢
腹立ちまぎれに書きなぐってしまったよ~ 👹
なんとまた、すごい内容の講演会だったんですね。
それって、参加者を限定した会で、一般の人は入れないみたいなものだったんでしょうか?
ボランティアの読み聞かせが意味がないっていうんなら、ボランティア関係者は行ってないような…。
って、ヤンさん、完全にボランティアやってる人ですよね。
いろんな人がいろんな意見を勝手にいうのは仕方がないですけど、学力を高めたいんなら即刻子どもを塾へ行かせたらいいんじゃないかとわたしは思います。
「本なんか読んでる暇があったら勉強しろ」ってはっきり言えばいいのに…。
昔は、そんなに読書に力を入れてなかったから、本好きは勝手に読んでました。
だから「本なんか読んでる暇があったら勉強しろ」って言われて、ますます本にのめり込んだもんです(笑)
目先の目に見える成果をゴールにしてることが、読書やそれ以外のことにも時々あるように思います。
そんな時「違うんだよなあ~」と思います。
うまく言えないんですが、わたしは、子どもたちに目に見えない何かを感じ取ってもらいたいです。
本を読まない子がいたっていいと思っています。
ただ、お話会は貴重な時間なので、子どもの心に響くような内容の本やおはなしを持っていきたいと思っています。
でも、与えているのでなくて、多くのものを子どもたちから与えられていると感じます。
「100年やっても意味がない」って、いったいどういう内容なのか、聞いてみたいわ!
ボランティアが読むのは、ほとんど物語の本ですよね。ストーリーテリングはもちろん物語だし。
知識の本、調べ学習の本は、ボランティアはあまり読みませんよね。それは先生の指導の範疇だと思うのです。教科書にのっとっているんだから。
ボランティアが関わるのは、物語、つまり文学ですよね。
文学は、人間の生き方を描くものです。だったら、子どもの周りにいる多種多様な人間(兄弟や上級生も含む)が選ぶ様々な文学に触れるのがいいと思うのです。人間を通じてね。
そのためのボランティア養成が必要なんじゃないかな。ボランティアを排除するのではなくて。