日別アーカイブ: 2020年11月19日

昔話の解釈ー白雪姫6👸👸👸👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫 つづくよ~

「白雪姫」は、倒錯のテーマが貫かれている、ということでしたね。
善が悪に転化するだけでなく、それにつりあうように、悪が善に転化する。
前回は、悪であるこびとが善をなす、ということでした。類話的に見ると、こびとは、盗賊だったり人食いだったりするのでしたね。
つまり、捨てられた白雪姫は、なんとか命は助かるものの、悪者のところに逃げ込んでしまう。
「捨てられる」=悪
「命は助かる」=善
「悪者のところに逃げ込む」=悪
「悪者が白雪姫を保護する」=善
ってことです。

あ、そうか、だから、ディズニーとかのアニメや絵本で、七人のこびとが愛らしく描かれるのは、ぜんぜん「白雪姫」的じゃないんだ!!!
悪者なのに、よいことをするのが、白雪姫のテーマなのだ(づ ̄ 3 ̄)づ

さらに悪→善の具体例を示していきます。

「白雪姫」の全体の枠は、娘を殺そうとする母親の苦心です。ところが、白雪姫は、生きて、王子と結婚する。つまり母親は、欲しかったものを手に入れる代わりに、正反対のものを手に入れる。これ、倒錯です。悪が善に転化しています。
白雪姫側から見ると、追い出され毒を盛られる=悪、王子に見つけられて結婚する=善。ということです。
でもね、毒を盛られるからこそ、白雪姫は王子に発見されるのね。悪があったからこそ、白雪姫は幸せになる。白雪姫は毒殺されなかったら王子と出会わなかった。

白雪姫がガラスの棺に入れられて運ばれるところ。
グリムの七版では、召使がつまづいて、棺が揺れて、毒りんごが口から飛び出して、生き返る。
不手際(=悪)が善になる。

この場面、グリム初版では、こんな感じです。
王子はいつも棺とともに行動する。召使は年じゅう棺を担いでいなくてはならない。あるとき、腹を立てた召使が、棺を開けて、「こんな死んだ娘のために、一日じゅう骨を折らされるなんて!」といって、白雪姫を起こして背中をたたく。すると、口から毒りんごがとびだして生き返った。

めっちゃ笑えません?
ちっともロマンチックじゃない。
でもね、召使の悪意が白雪姫を生き返らせた(=善)のですよ。
倒錯です。

あ、だから、王子がキスをして目覚めさせるのは間違いなんだ!

アルバニアの類話では、白雪姫は指輪のせいで仮死状態になるんだけど、女中が、白雪姫の指から指輪を抜く、盗むんですね。それで、白雪姫は生き返る。
悪→善ですね。

悪から善が生じうること、悪い意志や不手際が救いとなりうること、これは、この種の話に繰り返し示されているもうひとつの転倒、善から悪への転倒と対をなすものであると、リュティさんは言います。

でね、この倒錯を描くことにどんな価値があるかってことなんだけど、人生では、良かれと思ってやったことや、だれもがよいと価値を認めているものが、よくないことになる、悪い結果を招くことってあるでしょ?
逆に、悪意があったのに、結果がよいことになることもあるよね。ああもう最低やって思っていたことが、素晴らしい結果を生むことも、あるでしょ?
それを言ってるんじゃないかなあ。
まあ、結論は先に置いて、もう少しこの章は続きます。

きょうはこれでおしまい。

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かぶさんが、神峯山寺(かぶさんじ)に行ってきました。
神峯山寺は、大阪府高槻市にある開闢1300年の天台宗のお寺。日本で最初に毘沙門天をまつったという山岳信仰のお寺です。
紅葉の名所。
かぶさんが写真をくれたので、貼り付けますね~