マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む
第2章 白雪姫 まだつづく
白雪姫って、あまりにも有名で、絵本やアニメで知らない人がいないほどで、しかもほとんどが改ざんされてるので、ちゃんと知ることが大切やと思います。
で、もう少し、続けますね~
前回までで白雪姫のテーマが「倒錯」っていうこと、分りましたね。
それは、さまざまな類話を比較することから、分ってきたんでしたね。類話を多く見れば見るほど、話の内容と意味はますますよくわかるようになると、リュティさんは言っています。
さて、きょうは、創作、というか、白雪姫を素材にした改作の紹介です。
ムゼーウス(ヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウス)の白雪姫。
ムゼーウスは、グリム兄弟の前の時代の人で、小説家。ドイツの民話を改作して世に出しています。翻訳が手近なところにないので、作品を確認せずに孫引きします。ごめんなさい。
白雪姫を迫害するのは「まま母」になっています。リヒルデと名前がついています。
ムゼーウスは、このリヒルデのまま母性を極端に前面に押し出しています。
描写が詳しく、まほうの鏡の由来や、最後にリヒルデが履かされる靴を、小人たちがどうやって作ったかとか、およそ昔話らしくない叙述があるようです。
リュティさんは、昔話の流儀を離れ、見掛け倒しの作品を作り上げたと批判しています。
リヒルデが、真っ赤に焼けた靴を履かされて踊るのですが、その苦しみを詳しく描いています。
ぜんぜん、昔話らしくない、おもしろくない改作なんだけど、それでも「倒錯」のテーマは生きています。
バジーレ(ジャンバッティスタ・バジーレ)の白雪姫。
バジーレは、イタリアの詩人、16-17世紀の人、『ペンタメローネ』を書いた人ね。
白雪姫は、リーザという名前です。リーザが生まれると、親切な仙女たちがお祝いに駆けつけて、素晴らしい贈り物をします。ところが、ひとりだけ、遅刻しそうになって、あわてて足をくじいてしまうのね。そして思わず呪いの言葉をはいてしまう。「リーザが七歳になったら、母親が髪をとかしてやっているときに、くしをリーザの頭に忘れてしまって、それがもとでリーザは死ぬ」って。
で、その通りのことが起こる。母親は悲しんで、リーザのなきがらを七重のガラスの棺に納めて、屋敷の一番奥の部屋に入れて、部屋の鍵を肌身離さず持っています。
ううむ。全部書くのは、手がつらい(/▽\)
煎じ詰めれば、お祝いに行こうとして呪いをはいてしまうとか、やさしく髪をとかしていて殺してしまうとか、やっぱり善から悪が生じている、ということなんです。
嫉妬したおばが、死んでいるリーザの髪を手荒く引っ張ったために、リーザは生き返る。これは、悪が善に転化しているのね。
このように、改作されていても、テーマは変わらない。
善が悪に、悪が善に転化するというテーマは、白雪姫という素材に込められていて、それが驚くようなやり方で繰り返しあらわれ出てくるように見えると、リュティさんは言います。
次回は、白雪姫最終回。倒錯のテーマが持つ意味を考えます。
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今日のホームページ更新は《日本の昔話》
「たからのひょうたん」だよん。