マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む
第3章「金の毛が三本ある悪魔」まだつづく(^∀^●)ノシ
ウリヤの手紙の暗い陰謀が転化されて、お姫さまと結婚した主人公。王さまが黙っているはずがない。
後半戦に突入です。
この話、前後に分かれていて長いけれど、子どもたちはこの切れ目のところで決してダレたりしません。むしろ、いよいよこれからが佳境に入ることを期待して、楽しんで聞きます。
では、後半です。
王さまは、若者に、地獄へ行って悪魔の金髪を三本取ってこいと命じます。そうすれば姫との結婚を認めるって。
主人公はもう一度死の暗闇に送られるんですね。でも、悪魔には金の毛がある。
暗闇には光り輝く宝物が隠されているんです。
前回、苦悩や死との隣りあわせは高度な生への通路って言葉がありましたよね。それがこんなところにも響いているのです。
後半の主人公は、前半に比べて積極的です。
「はい、必ず取ってきます」と、自信を持って出かけて行きます。
類話によっては、途中で援助者に会って、
「これ以上先へは行くな。帰ってきた者はひとりもいない」と、さとされるんだけど、若者は冒険を求めて進みます。
地獄では、悪魔のおばあさんに助けてもらって、目的を達成します。
悪魔は、類話によって、巨人だったり、巨大な鳥、グライフ鳥、フェニクス鳥だったりします。
その怪物は、「人くさいぞ、人くさいぞ」という名高い決まり文句をわめきちらします。
すると、おばあさんは、悪魔を言いくるめて、人間がいることをごまかしてしまう。ちゃんと前もって隠してあるんですね。
悪魔のおばあさんは、怪物の妻だったり、さらわれた娘だったり。
このモティーフって、かしこいモリーとかジャックと豆の木とか、心臓がからだの中にない巨人とか、めっちゃあちこちにありますね(*^-゜)v
こんなふうに、彼岸の存在と一緒に暮らしている女性が、主人公の若者に好意を抱いて手を貸すっていうのは、他の話型でもいくらでもあるのです。これを、リュティさんは、人間はよるべなく悪にゆだねられるものではない、という信頼のあらわれだといいます。
強いアキレスには弱いけんがあり、不死身のジークフリートには肩甲骨のあいだに弱いところがあり、弁慶には泣き所があるように、悪にも、その内部にちょうつがいのはずれるところがある、それは女性の裏切りだ。おっほっほ§(* ̄▽ ̄*)§
ところで、悪魔のおばあさんには先輩がいます。
森の盗賊の家のおばあさんです。
わたしはこの場面、現世でもあの世でも同じことが起こるんやなあ、おもしろいなあと思って語っています。
はい、おしまい。
次回は後半の積極的な主人公についての説明です。
リュティ先生、なんで急に〝女性の裏切りだ〟が出てくるんですか?
確かにそう思いますけどね。
彼岸の存在といっしょに暮らす男性は、昔話の中にいないんですかね?
わたしは今までそんな話読んだことないですけども、やっぱりリュティ先生が書いておられるんだから、女性限定なんですかね?
でも、女性は裏切ってるように見えて、実は何十年も潜伏しているスパイみたいに見えます。
〝自分みたいになるな。おまえは逃げろ〟と言って逃がしてくれる場合もありますよね。
やっぱりそれは母性なんですかね。
「金の毛が三本ある悪魔」の類話を集めたらどれにも「女性の裏切り」があって、よく考えたら類話じゃなくても昔話には彼岸者と一緒に暮らす女性が彼岸者を裏切るよなあ、ってことなんでしょうね。
”自分みたいになるな”ってのは、ブータンの「シン・シン・ヤンドンマ」がそうですね。たしかに、母性のような気がしますね。