昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔6👿

ゆうがた、ウォーキングの帰り道、ふと、冷たいものが顔にかかった。
土の上に、白いものがおちて、消えた。
初雪!

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マックスリュティ『昔話の解釈』をよむ

第3章「金の毛が三本ある悪魔」つづき

前回は、後半で主人公を助ける悪魔のおばあさんの話が出てきましたね。
今回は、主人公自身のことです。

前半では、王さまに川に流されたり、盗賊の家に迷い込んだりと、おどしと救いの連続でした。(インドの類話では、このおどしと救いのモティーフがもっともっと続いているそうです。)
そして、それらの救いは若者自身が知らないうちにもたらされています。
それに対して、後半では、地獄へ行く途中で人に出会って、重大な問題の答えを悪魔からきいてきてほしいとたのまれます。若者は、自分自身の道を行くことによって、同時にほかの人に助けをもたらすことができるのです。
確かに命令されて出かけはするのですが、前半よりはるかに能動的で、目的を意識して行動していますね。

つまり、はじめ全てを運命にゆだねている主人公は、成熟して、他の人に救いをもたらすことができるようになっているのです。

地獄への旅路で出会った人たちは、どうして井戸が干上がったのか、どうして金のりんごがならなくなったのか、どうしていつまでも渡し守でいなくてはならないのかと聞きます。
類話によっていろいろあります。日本の「仙人の教え」では、どうして長者の娘の病気が治らないのか、どうしてみかんの木に実がならないのか、大蛇がどうしていつまでも天にのぼれないのかとききます。
どれも、治療や解放を求めています。
そして、若者は、地獄での冒険を経て、彼らに解決をあたえます。

次回は、地獄での冒険の意味です。
金の毛を抜くとき、ハラハラドキドキなんだけど、同時にめっちゃユーモラスなんですね。語るのも楽しいし、子どもたちが喜ぶ場面です。

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きょう、勉強会でね。ちょっと弱気な発言してしまった。
みんなはとっても熱心なのに、水差したかなあ。
わたし、新しい日常に慣れちゃったので、いま快適なのよ。このまま隠居って考えにひかれてるの。ひょっとしたら、わたし、もともと怠け者なのかもしれんな。
けど、さださんがいうてはる。
(^^♪ 休み疲れたら、また走りたくなる(^^♪
そうかもしれんし、そうでないかもしれん。
まあいまは「金の毛~」の前半の主人公のように生きようか。

 

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