月別アーカイブ: 2021年5月

昔話の解釈ー偽の花嫁と本当の花嫁、けもの息子とけもの婿5👸🤴

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。

第6章ー偽の花嫁と本当の花嫁

ちょっと空いてしまいましたあ。
グリム童話の「マレーン姫」です。
読みましたか?
ロマンチックでしょ?

「マレーン姫」は、同じく偽の花嫁の話「がちょう番の娘」に比べて話の仕組みが複雑です。
最初からお姫さまと王子は愛しあっていて、その二人の仲を裂くのは父王です。
マレーンひめの父親は、姫を塔に閉じこめてしまいます。いかにも昔話らしく全く光もささない(完全性)孤立した塔です。そこに、侍女とともに7年間閉じこめてしまいます。
7年たったらきっちり食べ物がなくなるんですね。昔話の抽象性が現れています。そして、何とかして自力で穴をあけて塔から出てきます。何でもっと早うに出てこん?と思いますね。いやいや、塔から出てきたら城も何もかも戦争で破壊されていたのです。もっと早く出て来ていたら、マレーン姫も戦争に巻き込まれていたでしょう。そうすると、「マレーン姫」とは違う話になってしまう(笑)
真っ暗な塔は姫にとってこらしめの場だったばかりでなく、保護の場でもあった。と、リュティさんは言います。そして、このことにも、悪が善に転ずるという法則が見られるのです。

さて、「がちょう番の娘」と同じく「マレーン姫」にも窮乏と成熟の過程が描かれます。
1,真っ暗な塔に閉じこめられること。
2,イラクサを唯一の食べ物とする長いさすらいの旅。
3,台所の下働きとしての務め。
と、3つの段階がありますね。

この長い窮乏の時があるというのは、この時期が人間の発展にどうしても欠かせないものであるということを感じさせます。
コロナ禍の今もその時なのでしょうか。私たちは、この時を成熟の時にしなくてはいけません。

さて、ストーリーは進み「転換」が起こります。というのは、姫が働いているのは、あの愛する王子のお城だったのです。しかも、王子は父の選んだ花嫁と結婚することになります。その花嫁というのが、いやな娘でねえ。自分の顔が醜いのがバレるのがいやだから、結婚式に行きたくないんですよ。それで、台所で働いているマレーン姫を身代わりに立てるんです。

マレーン姫が花嫁の衣装を着て王子と教会に向かいます。途中で、マレーンひめはつぶやきます。
「わたしはほんとうの花嫁じゃない」
王子が、え、なんていった?とたずねても、姫は何も言わないと答えるだけです。
ここ、微妙ですね。法的には本当の花嫁ではないんです。でも、魂の次元では、ふたりは愛しあっているから、本当の花嫁なんですね。
ここ、語るのが難しいと思います。とってもすてきだけど。

悪い花嫁は自分の結婚式をさぼります。そして、その人に与えようとしたひどい仕打ちを、自分が受けることになります。ここでも、悪は自滅するのです。

はい、「マレーン姫」はこれでおしまい。
ところで、偽の花嫁の出てくる昔話を、いくつか紹介しておきますね。興味のあるかたは読んでください。
グリム童話「兄と妹」「森の中の三人のこびと」「白い花嫁と黒い花嫁」「歌ってはねるひばり」「鉄のストーブ」
HP《外国の昔話》「三つのオレンジ」「オーバーン・メアリー」

次回はけもの息子の話です。

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緊急事態宣言が延長になりましたね。
語りの森HPはネットだから安全だけど、ババ・ヤガーの対面での勉強会は痛手をこうむっています。
痛手といっても、経済的なことではありません。
いま、世界はコロナの収束と経済の両立をどうするかで、悩んでいるように見えます。でも、世の中は、健康(身体的な命)と経済だけでできているのではありません。私たちの活動はそのどちらにも属さないというか、どちらにも属するというか、あいまいな存在です。でもそのあいまいが大事なんだと、わたしは思います。
おはなしを語ったり勉強したりということが忘れられることのないように、小さな灯をともし続けていきたいです。

5月度 中級クラス

今月の中級クラスは緊急事態宣言が発令中で図書館が閉館のため、zoomでの勉強会となりました。幸い中級クラスの参加者は全員zoomを利用できるため、開催できました。過去にzoomでおはなし会や語法の勉強会はありましたが、通常クラスの勉強会では初めてでした。

語りの発表の前に、ヤンさんから一言。「zoomのため、いつものような音声に関するコメントはできないかもしれない。そのうえで『理想の語り』をしてください。」

『理想の語り』とは・・・家での練習時、子ども達にはこんな反応をして欲しい、だからこんな語りをするんだ、とイメージしているかと思います。本番で思った通りの反応があった場合は、練習が完璧であったということでしょう。そんな語りのことです。ですから「やっと覚えた」ではなく、本番と同じ語りですね。

では、報告です。

(語り)

①ホットケーキ 『おはなしのろうそく18』/東京子ども図書館

累積譚で、ホットケーキが逃げ出し、おじさんやメンドリなど次々に出会いますが、その時の言葉が少しずつ違います。間違えないよう、そして楽しく語れるよう意識されました。

7人の子どもたちが順番に「ねえ、〇〇〇なお母さん」と言う場面、聞いている子ども達は何度もしつこいと思うだろうと軽く語られました。ヤンさんからは、子どもがおねだりするときの言い方をイメージして、自分が一番に食べたい気持ちを込めて語るとよい、とのアドバイスでした。

最後にホットケーキがブタに食べられて可哀想だ、と子ども達が思わないように語ることが大切です。そのためには、ブタが登場するところから、上手く間を取りながら「何か違うぞ」と子ども達に意識させる必要があります。「ブタがホットケーキをだましている」と感じてもらうと、ブタがホットケーキを食べたときは、思っていた通り「食べられた!」(予想が当たった!)と大いに喜ぶでしょう。

②金の鳥 『語るためのグリム童話3』/小峰書店

城とお城と二通りの言い方がでてきているので、統一されました。

「かわりに金の羽が一枚落ちてきました」とありますが、「鳥が落ちてくるかわりに金の羽が一枚落ちてきました」のように、言葉が省略されている文は、付け足した方がいいのでは?と質問されました。ストーリーは理解できるので不要、ただし、言葉は省いていますが、語り手は情景をしっかりイメージして語らなければなりません。

同じように、接続語も入れた方いいのでは?と質問がありましたが、耳で聞くときは、出来るだけ省くほうがいいです。特にこのおはなしのように長い場合は、ストーリーをどんどん前に進めていくためにも不要です。

テキスト→わたしのしっぽに乗ってください。そのほうがはやく村に行けますから語り→わたしのしっぽに乗ってください。そのほうが村にはやく行けますから

テキスト→ため息をついていると、目の前にきつねが現れていいました。        語り→ため息をついていると、きつねが目の前に現れていいました。

テキスト→だから、あなたはやすやすと馬を引きだすことができるでしょう。    語り→だから、あなたは馬をやすやすと引きだすことができるでしょう。

のように、間違って言葉を逆にして語られていました。その文が誰の視点でみているかは重要であり、よって逆になってはいけないのです。ただストーリーを伝えるのではなく、聞き手は心で聞いているので、イメージが自然に入っていくよう、どの言葉を立てるか、意識して語ることが大切です。

語り方のアドバイスとして、

〇きつねのキャラクターは軽く、明るく。

〇3回の繰り返し 「髪の毛が風になりました。」は軽やかに。丁寧に語る必要なし。

〇末の王子が失敗する度に言う、きつね(援助者)からの言葉(贈り物)の繰り返し 「あなたはいくら言ってもだめですね」はお母さんが子どもに怒っているときのように、真剣に語る必要はない。

③舌切りすずめ 『日本の昔話2』/福音館書店

ばあさまが自分のことを「おれ」や「わたし」と言い方が違っていたので、統一されました。自分の語りやすいほうにしてよい、とのことです。

ちょんこを探しにいく場面で、じいさまのときは主語と述語が書かれていますが、ばあさまのときは省かれて、会話文だけになっています。じいさまのときは子ども達にストーリーをしっかり理解してもらうよう、きちんと書かれています。後半は同じことの繰り返しと分かっており、それよりも、ばあさまがどうやってやっつけられるのかを知りたいので、ストーリーを前に進めるよう省いています。Hさんは主語述語を付け足そうとしましたが、不要です。

また、機織り機の音「キーッカッカン、トントン、」と書かれていますが、どのように語るかは動画で本物を確認し、リズムを再現するといいでしょう。

④マーシャとくま 同名絵本/福音館書店

大好きな絵本だが、読み聞かせには向いていない(絵に対し、文章量が多いため)ので、語りで子ども達に伝えたいと思い、このおはなしを選ばれたそうです。

テキストに手を入れたほうが良いところとして、

「切りかぶに こしかけて、 まんじゅうをたべよう!」・・・(くまの視点)

すると、つづらのなかから、マーシャがいいました。・・・(マーシャの視点) →すると、マーシャがつづらのなかから、いいました。

視点がくまからマーシャに変わるので、マーシャを先にもってきたほうがいいでしょう。

「見えるわ 見えるわ! 切りかぶに こしかけちゃ いけないわ。~」はマーシャは本当はつづらのなかにいますが、遠くから見て言っているように意識するといいでしょう。

⑤ジャックと豆の木 『語りの森昔話集1』/語りの森

覚えやすく、楽しみながら練習できたそうです。20分と長いおはなしですが、子ども達はよく聞いてくれますね。2年生に語られる予定です。

語り方のアドバイスとして、

〇3回の繰り返し 「ふん ふん 生きている人間の血のにおいがする~」は、練習の時は普通でよいが、本番では子ども達の様子を見ながら、面白がって怖がらせるような気持ちで語るといいでしょう。ただし、わざとらしくではなく、ストーリーが怖いので、本気で怖がらせてはいけません。1回目は説明するよう丁寧に、2回目は軽く、3回目は力を入れましょう。

〇最後は、ジャックが大男から逃げるスリリングな展開ですが、子ども達の反応を見ながら、ストーリーについてきていない子どもがいれば、スピードを落として語りましょう。ついてきているのであれば、早口気味にどんどん前に進めましょう。そのためにも、寝ても言えるぐらい言葉はしっかりと覚えなければいけません。

最後の場面はジャック、大男、お母さんと短時間で視点が次々と変わります。視点が切り替わることで、子ども達はジャックが大男に捕まるかもしれない、とよりスリリングを感じることができるのでしょう。

⑥ものをいうたまご 『語りの森昔話集4』/語りの森

原話も確認してイメージを膨らませられた、完成度の高い語りでした。ヤンさんは幼稚園でも語ったことがあるそうですが、イメージしづらい場面があり、1,2年生向きとのことです。

途中で一人の方の画像が見えなくなったりもしましたが、大きなトラブルもなく、無事終わりました。今回図書館が利用できないと分かったとき、勉強会をなしにするか、zoomでするか、ヤンさんは悩まれました。zoomの場合、ヤンさんは通常より労力を使われ、大変かと思います。が、参加者からはオンラインでも勉強会をしてもらえるのは有難いと言われていました。次回は6月15日、図書館でできるか分かりませんが、継続は力なり!オンラインでつながりながら、頑張りましょう。

昔話の解釈ー偽の花嫁と本当の花嫁、けもの息子とけもの婿4👸🤴

京都も梅雨に入ってしまいました。
しかも、近年よくある空梅雨じゃなくて、本格的に降り続いている。
まだ紫陽花が咲いていないじゃないか。
クチナシも香ってこないじゃないか。
早すぎ(╬▔皿▔)╯

って心が動くということは、だいぶ、体調がもどってきたな(*^_^*)

リュティさん行きます。
お待たせ、「がちょう番の娘」クライマックス!

第6章ー偽の花嫁と本当の花嫁

まず前回のところ読み直してね。
とっても感動的な言葉があったよね。
召し使いの姿に宿る尊厳
これは、多くの昔話の核心なんだけど、とくに「がちょう番の娘」に当てはまるんだったね。

さて。
私たちの中にある王者のようなところはときに弱くなり活力を失うことがある。

うんうん、わかる。
わたしだって自尊心はあるし、こうありたい自分ってものがあるし、けど、いやなことが続いたり病気になったりしたら活力がなくなる。まさに先週(笑)

たとえば「がちょう番の娘」では、王女は喉の渇きを抑えることができない。
ここが腰元にとってかわられるきっかけになるのね。
「のどがかわいたんなら自分で飲みな!」
ここで王女は自分の本当の力を失うのです。母の血の付いた小切れも流れて行ってしまう。
語る時、ようく気を付けようね。何気なく語ってはいけないよ。

たとえば、KHM11「兄と妹」では、兄がのどの渇きを押さえられなくて水を飲む。そして、本当の姿を失って鹿になってしまいます。

さて。
「がちょう番の娘」の口をきく血のしずくというモティーフ、口をきく馬の首というモティーフについて。
もともと古い魔法の教えによると、血は命の担い手として大きな力があったそうです。けれども、昔話の中では、魔法的な力は持っていなくて(中身を抜いて語るってあれです)、物語のいち要素にすぎません。そして、物語の要素というのは、ストーリーを前に進める役割と、物語の意味を支える役割を持ちます。
ここでは、「王女は、血のしずくとファラダを失うことによって、自分の力の一部を失う」という意味があるのです。

そして、ここから窮乏と成熟の時が始まる。

王女は、こっそりとしか金の髪をとかし風を左右する力を用いることができません。
ふつう、昔話では、苦しみの場面は描かれず、さっさと月日が経ってしまいますが、「がちょう番の娘」は違います。
「吹け吹けかぜよ~」の場面が繰り返されます。
そう、この場面が、窮乏と成熟をあらわしていて、物語のいちばん印象の深い部分になっているのです。
心を込めて語りましょう。
成熟を語るのがとっても難しいと思います。

王女がストーブから出され、王女の着る着物を着せられると、輝くばかりの美しさになる場面がありますね。
ほんとうの王女にもどるところです。さらっと語ってはいけません。
外見が破れ、人間が本質的なものへの道を見出す場面です。

外見が破れ、本質的なものへの道を見出すって、いいなあ。涙が出るよ。
これが、昔話が聞き手に描いて見せる物語の道筋であると、リュティさんは言います。
その底には、現実の世界においてもそういうことが起こってほしい、という希望が潜んでいる。昔話は、導きの星である。

昔話は導きの星🌟

いやいや、あたらしい宗教ではありませんよ。
体力が落ちていると感傷的になってしまって~~>_<~~

はい、きょうはここまで。
次回はKHM198「マレーン姫」を取り上げます。
マレーン姫も偽の花嫁の話。
読んでおいてくださいね。もしくは、おはなしひろばにUPしているので聞いてみてください。

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オンライン昔話の語法の勉強会を募集中です。
(対面の勉強会はすぐに定員に達しましたので、HPでは募集しませんでした。ごめんなさい)
「白雪姫」を取り上げます。
みんな知っているようで、実際にはおはなし会で聞くことは少ないと思います。
でもね、ほんとうの「白雪姫」って、めっちゃ哲学的なのよ。
わたし、初めて語法的に読んだときに、めちゃめちゃ感動しました。
遠くで語りの森を楽しんでくださっている方、思い切って参加されませんか?
お待ちしています。お申込みはこちら⇒

 

おぉぉ 熱が~😰

先週の火曜日のことです。
前日から節々がいたいと思っていたら、なんだか熱っぽい。
いつもは、風邪をひくときは喉から来るので、あれ?いつもと違うぞ、と思いながら体温を測ったら、36.8度。
平熱より1度高いと、し・ん・ど・い。
いや、それより、ひょっとして新型コロナにかかったか?
かかりつけのお医者さまに電話で相談したら、すぐにおいでって言ってくださって、すぐに行った。
車がないので、自転車を押して(あ、坂道なの)。
建物の外の自転車置き場で問診。
採血。

結果、白血球が増えてたんだけど、白血球にも種類があってね、好中球が増えていれば細菌感染が起こっていて、リンパ球が増えていればウイルス感染が起こっているんだって。
で、好中球が増えてた。
コロナでなくて一安心。これだけ感染者が増えたら他人ごとじゃないしね。どこでもらってくるやらわからんし。

抗生物質をもらって、おとなしくしていたが、熱は上がる一方で、しんどかったあ。
やっと一週間たったが、暇さえあれば寝ておる。

医療ひっ迫、医療崩壊の今、うかつに熱も出せない。
これはおかしい。
ワクチンをなんぼ輸入しても、予約方法が崩壊してたらどうしようもない。
はやく全員が安心できるように、どなたか頭のいいひと、システムを構築してくれえ~~~

そんなこんなで、おはなしひろばは貯金はたいて更新したが、昨日のHP更新はパス。
「長ぐつをはいたねこ」をUPするはずやったけど。

今日はZOOMで中級クラス勉強会。
何とか生き返っていてよかったです(笑)
対面とは違ったので、みなさんどうだったのか、今後のために感想を聞きたいです。よろしく~

今夜の岩合さんの猫歩きを楽しみに、ちょっと寝よう~(^人^)

 

昔話の解釈ー偽の花嫁と本当の花嫁、けもの息子とけもの婿3👸🤴

バーゲンセールで戦って、欲しいものを手に入れたためしがない。
行列のできるお店では、必ず横入りされる。
人気アトラクションでは、いつも人の頭ばかり見ている。
神社の餅まきでは、ひとつも拾えない。
一日から始まっているワクチン予約の電話が、まだつながらない。わたしはきっと、ワクチンが打てないのだろう。

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マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。

第6章偽の花嫁と本当の花嫁

「がちょう番の娘」

偽の花嫁が自分の悪事に自分で判決を下す。そんな実際にはありえないことを描くのは、悪は自壊するということを、わたしたちに象徴的に伝えるためでしたね。
そう考えると、この偽の花嫁のモティーフ自体が象徴的だということを念頭において読まないといけないわけです。

そこで、ユング派の心理的、人類学的な見方から、偽の花嫁を解釈しています。

偽の花嫁と結婚すること
=偽の価値が私たちを支配すること。人格の中心が曇らされること。
ほんとうの花嫁が姿を現すこと
=人格が復権すること。

これを昔話に当てはめれば、正当でない花嫁をうけいれるのは心が正当でない価値へ傾いていることを反映している。心の中の王者のようなところがないがしろにされていると、リュティさんは言います。

心の中の王者のようなところだってφ(゜▽゜*)♪

でね、ヴィルヘルム・グリム(弟のほう)が、「がちょう番の娘」のことをこう言っています。
この美しい昔話は、召し使いの姿に身をやつしてもなお失われることのない王者の尊厳を示しているが、その顔つきに飾り気がないだけいっそう深みを増している。
語り手にとって、めっちゃ貴重なコメントですね!

リュティさんは、「召し使いの姿に宿る尊厳」という言葉に傍点を付けて、シェークスピアのこんな言葉を引用しています。

私たちの中には誰にでも王者のようなところがある。

わたしたちは、自分の中の王者のようなところをおとしめて召し使いの仕事に用いていることが多いとリュティさんは言います。あ、もちろん象徴的にですよ。現実的に読むと職業差別になりますよ。

この召し使いの姿に宿る尊厳は、多くの昔話の核心をなしているけれども、とりわけ、「がちょう番の娘」にそれが当てはまるというのです。

さてさて、次回はいよいよがちょう番のクライマックスです。

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昨日は、初めて「おはなしひろば」の更新をわすれました。
ワクチン予約電話のせいです。
今日の午後、更新します。
予約電話はあきらめますo(≧口≦)o