こんにちは。6月だというのに気温30度の日もあり、真夏なみの暑さに家の中では山下清画伯のような格好でおります。
気温の話は置いといて、さっそく昔話の語法勉強会の報告です(^^♪
「白雪姫」の話は子どものころから知っていましたが、昔話大学を受講するころからグリム童話を真剣に読むようになって、自分の知る話とグリム童話の「白雪姫」がずいぶん違うことが分かりました。
語法勉強会は当然グリム童話の「白雪姫」ですから、まず違いを書いておきますね。
☆女王は実母のこと
一般に知られているのは、女王が継母で魔女なんじゃないでしょうか。でもグリム童話の初版と2版は実母です。2版の時に批判があったのでそれ以降は継母になっています。
☆七人のこびとのこと
グリム童話では各自に名前がありません。これは、7人だけれども昔話の語法的にはひとくくりに考えるからです。絵本やアニメは目で見ますが、語りを聞くときは耳だけですから各自に個性があるとややこしくて聞いていて分かりにくくなります。こびとが登場する場面では、ほかにもっと大事なことがあり、そちらに注目しなくてはなりません。
☆毒リンゴだけではないこと
白雪姫が殺されるのは1回ではなくて、毒リンゴの前に2回あります。1回目は絹のひも、2回目は毒のくし、そして3回目が毒リンゴです。凶器がクレッシェンドしています(笑) 語法通りです。
さて、上記を踏まえたうえで、今回の勉強会の中でジミーが勝手に選んだ(笑)超々大事なところだけのピックアップです。
「白雪姫」は、実母が子どもを殺そうとする壮絶な話というとらえ方をするのではなく、リュティ先生によると〝子どもの側からこの話をみる〟と理解しやすいです。
つまり、子どもにとって母とはいつもいつも優しい存在ではありませんよね。時には怖い存在ですし、理不尽なことを言ったりされたりする存在でもあります。子どもはいつかそういう母に向き合い、乗り越えなければならないわけです。
白雪姫の実母は、その理不尽な母の頂点に立っています。なんせ、自分が〝雪のように白く、血のように赤く、黒檀のように黒い髪の子ども〟が欲しいと思ってその通りになったのに、その子が7歳になったら殺そうとするんですから。こんな理不尽はありません。だから、最後には罰を受けなければなりません。自分を殺そうとする存在ですから、いなくならなければ身の安全は保障されないわけです。これが、ざっくりした「白雪姫」の全体像です。
次に3回の繰り返し、(絹のひも、毒のくし、毒リンゴで殺される)場面です。なんで3回もおんなじ失敗をするのか? 〝白雪姫は馬鹿なのか〟という説があったそうですが、リュティ先生は昔話の語法でそれを否定されました。この3回の繰り返しは、それぞれのエピソードが孤立的に語られることによって、それぞれ別物であります。それぞれのエピソードに連続性はないのです。同一犯による連続殺人ではないのです。女王も、それぞれ変装が違います。絹のひもの時は行商人のばあさん、毒のくしの時はまずしいばあさん、毒リンゴの時は年とった百姓女です。昔話では外観を変えればそれは別人という法則があります。いや、笑うところではなくて本当にそうなんです。だから、経験知がないのではなくて、1回1回が白雪姫にとっては新たな経験です。そして、白雪姫はこびとにその都度〝だれもうちの中に入れてはいけない〟と言われているので抵抗します。一生懸命言いつけを守ってけなげです。でも、とびらを開けて買ってしまうんです。欲しいから。この気持ち、よ~~く分かります。分かりますよね! ね!!(もうええって)
そして、3回目には本当に死んでしまいます。頑張ったのに残念です。が、やがて王子があらわれて白雪姫を生き返らせてくれます。あ、キスなんかしませんよ。たまたま、喉につかえていた毒リンゴが取れたんです。王子は大喜びで城に連れて帰って結婚します。昔話は主人公の幸せのために一直線に進みますから、語法通りに白雪姫は幸せになります。こんなにうまいこと行っていいのか? というのは愚問ですね。いいんですよね、昔話だから。
でも、白雪姫は3回も失敗を繰り返し、一度死んだからこそこの幸せがあったのだと読むこともできます。そうしましたら、やっぱりこの話は感動巨編ですね。
そうじゃありませんか? 死ぬような経験を乗り越えて幸せになるんですよ。言い換えると、どんなに苦しいことがあっても、最後に幸せになるのが昔話である! もう、王子さまでも王さまでもどんどん出て来てほしい気持ちになりますよね。
そして、悪者は最後はいなくならなければなりません。
あと、語るときに意識するべきなのは、いくつも出て来る一致です。狩人が白雪姫を逃がしてほっとした時にちょうど目の前にいのししの子がかけてくる場面、白雪姫が女王に殺された後に7人の小人が帰って来る。そして、留守の間に重大な事件が起こる不在のモチーフは、ストーリーを前に進めるための重要な役割を担っているということ。
他にもヤンさんの講義ではいろいろな語法の説明がありましたが書ききれません。最後に、ジミーが勝手に決めた(笑)ヤンさんの講義の今回の肝、「白雪姫」は何を語っているのか? について書いておきます。先にも少し書いたとおり、白雪姫は3回失敗しますが、その時々で精いっぱいの対処をします。目の前のことに精いっぱい対処してそれが失敗に終わったとしても、あとで考えるとそれは幸せへの過程であったことがわかることがあります。失敗だと思っていたことが、時間がたってみるとプラスに変換していたということがあります。その場合、その失敗があったからこそ今の幸せにつながった、失敗は必然だったということです。結果オーライです。カッコよく言うと、昔話は実人生や人類の歴史の根本的な骨組みを語っているということです。どうです? 一気に格調高くなりましたね?! まあ、格調高くてもなくてもどっちでも好きな方でいいと思うんですが、語るときはこのことを忘れずにいたいと思います。
わたしはこの話を語りますが、子どもたちはおおかたが3回の繰り返し部分の内容は知らないようで興味を持つようです。反対に、冒頭の実母であるところは特に反応はなくてすんなり聞いています。冒頭は聞き手も設定を頭に思い浮かべなければならないから、そんなことは気にかけてないかのようです。
今回語法勉強会でこの話の語法を押さえられ、とてもよかったです。今まで意識していなかった個所をいろいろ考えられるようになりました。話の長短は関係ありませんが、とはいえ長い話はまず滑らかに滞りなく語らなければならないのでそれに初めはとらわれがちです。でも、その先が本当は長い道のりなんですよね。今回勉強させてもらって、またその長い道のりを少しずつ歩いて行けそうです。
きれいにまとまったところで、報告を終わります(`・ω・´)ゞ
今後の昔話の語法勉強会は、夏にオンラインで「がちょう番の娘」、冬に対面とオンラインで「お月お星」、中止になった対面の「白雪姫」がいつできるかな~という予定です。またみなさんといっしょに勉強できる日を楽しみにしております(^o^)/