マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む
第6章偽の花嫁と本当の花嫁、けもの息子とけもの婿
「けもの息子」は、「偽の花嫁」と展開の仕方が似ていると、リュティさんは言います。
具体的には...
けもの息子
1,主人公はけものとして登場
2,暗闇の中でけものの皮を脱ぐことができる
3,最後に日の光の中で人間の姿となることができる
「マレーン姫」
1,はじめに塔に閉じこめられる
2,荒れ野でイラクサを食べ、台所で灰にまみれて働かなくてはならない
3,最後に本当の花嫁であることが明らかになる
「がちょう番の娘」
1,腰元に身を落とされる
2,粗末な着物でがちょうの番をする
3,最後に本当の花嫁として素晴らしい衣装を身にまとい、王子の側に立つ
これらの話は、魂あるいは精神の発展の姿が描かれていると、リュティさんはいうのです。そして、子どもの心に信頼の念を吹き込むと。
何に対する信頼かといえば、
人間存在には発展とか成熟とか成就とかいうことが可能であり、自然でもある、そしてそれには欠乏や苦悩に耐えることが必然的に含まれている、という信頼の念
です。
思春期の子どもたちや若い人たちがこのような信頼を心に持つことができれば、現実社会のさまざまな理不尽に立ち向かっていく(ときには耐えていく)のがずいぶん楽になるでしょう。勇気をもつことができると思う。
「がちょう番の娘」や「かえるの王さま」は数限りなく語ってきたけれど、ここまでの意味があったなんて、ヤンは気づかなかったなあ。
「マレーン姫」や「ろばの子」を語られる方もたくさんいるでしょう。
なんとかして、子どもたちに伝えていきましょうね。
そんな思いもあって、《おはなしひろば》に「いのししの王子」を、《外国の昔話》に「ばらの花とけもの」を再話しました。きょうは、「世界のはての井戸」をアップします。
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リュティ先生の言われていることが、大人のそれも今になってこんなに心にしみるなんて…(笑)
苦労なくして成就はないととらえることも、苦労のあとには必ず幸せがあるととらえることも、人や時代や状況によっていろいろに受け止め方が違いますよね。
ほんとに昔話というのは懐が深いし、迷いや困難な状況の時に先に見える小さな灯りになってくれると思います。
小さいから捜しながらそれに向かって慎重に進んでいくイメージです。
ろうそくのような小さい火だから、より神聖な感じがします。
自分好みの勝手なイメージですが(笑)
ジミーさん、いつも読んでくださって、コメントくださってありがとうございます。ややっこしいリュティさんの文章、まとめがいがあります。
小説でも深く感動することがあるけれども、それは当たり前な感じがします。昔話は、表現が単純なのに、だからこその普遍性があって、読み解けると感動します。ただ、その読み解けるかどうかが難しいところだといつも思っています。