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第16回昔話の語法勉強会「がちょう番の娘」

毎日暑いですね。
みなさん、お元気ですか?
第16回昔話の語法勉強会がありましたので報告しますね。

今回取り上げられたおはなしは、グリム童話「がちょう番の娘」[KHM89]です。
この話の中でわたしが一番勉強したかったのは、血のついた小ぎれをどう考えるかでした。
魔法のアイテムのように思えるけれども、主人公を助けることはしないのであいまいなイメージしかもてませんでした。
それなら小ぎれをどうイメージしたらいいのかが今回分かりました(^_^)

主人公のお姫さまが結婚することになり、母親の女王と別れるとき、女王は自分の指を切って白い小ぎれに血を三滴落とします。
その小ぎれを持ってお姫さまは腰元をつれて花婿のところへと旅に出ます。
旅のとちゅうで、お姫さまが腰元に水をくんで来てくれとたのむと腰元は拒否します。
すると、血のついた小ぎれは「あなたの母親がこれをお知りになったら、心は、はりさけてしまわれるでしょう」といいます。
このことがもう一度繰り返され、2回目の終わりにお姫さまは小ぎれを小川に落としてしまいます。
腰元は小ぎれをなくすとお姫さまの力が弱くなることを知っていたので(これでお姫さまをいいなりにできる)と思います。
お姫さまは腰元に立場を逆転させられてしまい、王子のお城に向かうことになります。

大事なのは、お姫さまが母親の思いが詰まった小ぎれを川に落としてしまった。
この時のお姫さまの「ああ、大事なものを落としてしまった」という気持ちをイメージして語る。
そして、血の小ぎれをなくすことによってお姫さまと腰元の立場が逆転するというストーリーが進んでいくことが大事だということ。
当初わたしが思った、「魔法のアイテムなのにあとあとお姫さまを助けることなく流れて終わってしまうのはいいの?」ではなくて、ストーリーが進んでいくための一要素として登場しているのだということ。
語法的には、白い小ぎれに赤い血がぽとぽとと三滴落ちるという鮮やかなイメージが、ストーリーをよりはっきり聞き手に印象付けるということ。

昔話の中に出て来る〝血〟や〝涙〟は、その場面の状況を生々しく語るのではなくて、必要な時にだけ出て来る(平面性こちら)もので、何に必要かというと、昔話は中身を抜いて語るので心情表現をしない代わりに、象徴として〝血〟や〝涙〟を出てこさせるのだということです。(純化作用こちら

語法の説明は、ほかにもいろいろ出てきますがいつものように書ききれません。
それなので、主だったものだけしか紹介できませんが、語りの森HPの「昔話の語法」ではヤンさんが「がちょう番の娘」を例にとって「エピソードの孤立性」を説明してくれています。→こちら
「がちょう番の娘」の終わりのところで腰元が自分で自分に罰を下すという「自己への判決」の場面の語法のことが書かれていますので読んでおいてください。
(丸投げともいう…笑)

「がちょう番の娘」はとっても好きな話なのに手が出ませんでした。
どう語ればいいのか考えても自分では分からないままで、あるいは理解しているつもりでも「この話はもっと何かあるはず…」という予感というか不安がいっぱいあって、そんなんでは語れなかったからです。
そしてついにこの語法勉強会で取り上げられて、ああもうスッキリ、これで覚えられると思いました(^O^)/
今回はオンラインのみでした。
まだまだコロナは予断を許さない状態ですから仕方ないですね。
語りの森では、勉強会のオンデマンドを試験中なので録画しています。
それでわたしは試験配信してもらって何度も見ているんですが、家事をしながらイヤホンで聞けるのでこれってとっても便利です!
昔話の語法は難しいので、何度も繰り返すことが大事ですしそのたびに勉強になります!
便利な時代になりましたね(*^^)v

8月はゆく~🎐

やっと高校野球が終わった。
パラリンピックはまだ続く。
せめてテレビ番組欄だけでも日常に戻ってほしいと、コロナ下で思う。
べつに好きな番組がある訳ではない。
ただ、スポーツをテレビで観戦するのは、うるさいから嫌い。
しかも、コロナの感染拡大の今、神経を逆なでされる。

しばらく井戸端会議を書く気になれなかった。
なんとか昔話集第5巻のめどがついた。
けど、肩がこる、目が痛む。暑い~~~
あ、目が...(_ _)。゜zzZ

昔話の解釈ー昔話に登場する人と物2🦄

じゃあじゃあと、雨、降りすぎですo((>ω< ))o
ごてごてと、コロナ対策、遅すぎです(╬▔皿▔)╯

けど、勉強します。

マックスリュティ『昔話の解釈』報告です。

第7章昔話に登場する人と物

前回、昔話に登場する人物は、お姫さまとか王子さまとか、象徴的な意味で、高貴で光り輝く太陽のような人物が出てくる、ということでしたね。
その人物像は、人びとが、心の中で、自分もそうなりたいなあと思うような理想像でもあります。
人は、「わたしはこう生きたい」という思いがあって、それが昔話に反映されているということだと思います。それは、語り手自身の思いでもあるし、聞き手に対する思いでもあると思います。
わたしたち語り手は、おはなしの中にそれを見つけて、次に伝える役目があります。
だから、勉強しましょう。
いつかきっと、語りが生きる時が待っていると思います。
いえ、今でも、知恵を使って努力をすれば、語りは生きています。

はい、では、リュティさんですよ~(●’◡’●)

高貴なもの、美しいものこそ危険にさらされ、おびやかされ、保護を必要とし、助けが入用なのである。
たとえば、王さまが不治の病にかかるとか、お姫さまが竜にさらわれるとか、です。

リュティさんは、グリム童話のKHM60「二人兄弟」を例に挙げて説明しています。
グリムの「二人兄弟」は読んだことありますか?
おもしろいよ~
めちゃおもしろくって、もう何十年も語りたくて仕方がなくているんだけど、長いの。「恐さを習いに旅に出た男の話」の倍ほどの長さがある。
思い切っておはなしひろばにUPしようかなあ。

この「二人兄弟」のなかの、竜退治の部分について、言及しているのね。
竜退治は、ATU300として、ひとつの話型をなしている。
この話型、どんな筋なのか、リュティさんによる粗筋があるから、引用しますね。

若い主人公は、たいていの場合、クマだの獅子だのめっぽう強い犬だのの助けを借りて竜に勝ち、姫は竜のいけにえにならずにすむ。けれども、姫はまだ救われたわけではない。もう一度おびやかされることになる。不実な侍従長とか厚かましい炭焼きが、むりやり姫に「この人が私を救った」といわせる。そして、てがらを横取りしたやつと姫との結婚式が行われる当日になって、つまり最後の瞬間になってはじめて、ほんとうの竜殺しが現われ、姫をもう一度すくうことになる。

どこかで聞いたことのある話でしょう?
日本なら「しっぺいたろう」とか「しんぺいとうざ」。
『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に語れるテキストを掲載しています。

はい、きょうはここまで。

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月曜日の更新は、《日本の昔話》「命のろうそく」。
語ってくださいね~
今日は、《おはなしひろば》「いぬときつねの旅」を夕方にUPします。
聞いてくださいね~