先月、再話法勉強会があり、受講者のうち実際に再話してみたいというかたが8人おられました。
その8人のかたに加えてわたしももぐりこみましたので、受講生9人で〝再話入門講座〟が始まりました。
講座は3回セットです。
今回の1回目は、再話法勉強会で教えてもらった通りに原話を探してきて持ちより、みんなの前で読み上げて再話するときの注意点や問題点を挙げてヤンさんにアドヴァイスをもらいました。
2回目は、各自が再話してきたものを検討します。
3回目は、再話を修正して完成形に近づけたものを持って来て最終の検討です。
9話の原話が持ち寄られたのですが当然いろいろな種類の話があります。
再話するときの一般的な注意点として、ヤンさんから以下の説明がありました。
☆長い話は、一本筋の通った話にする。
☆原話の内容に齟齬があるときにどうするか考える。
☆人称を統一する。
☆土地言葉は正確に理解する必要があるのでその努力をする。
他にも細かい注意点はありますが、それは話にもよりますのでまずは以上のことを注意しながら各自が選んだ原話を再話して第2回の勉強会に持って行きます。
みんなどんな再話を持ってこられるか楽しみです(*^▽^*)
それと、本の奥付についてちょっと書かせていただきます。
再話の勉強会で原話を持ち寄るときに、本の奥付をつけるのはとても重要と言いますか、わたしは欲しいとおもっています。
自分が再話の勉強を始めたときに奥付は必ずつけるようにと指導されたのでそのようにしていました。
奥付にある情報が、そのうちに蓄積されてきますと原話を探したり再話したりするときの助けになることが分かってきました。
外国の昔話のシリーズ本ですと、監修者・訳者・編者など複数の名前が載っている場合があります。
それらの人が昔話の研究者なのか、児童文学者なのか、言語の研究者なのか、研究者なら師弟関係の人なのかとかそういうのを勉強会で他の人の原話資料を見せてもらうときに奥付があれば(なんとな~く)分かってきます。
そういうふうにして知った研究者や再話にむくであろう訳者の本を自分で調べることもできるわけです。
自分一人では無理な量の情報を知ることができるので、本のすべての情報が入っている奥付が見たいのです。
わたしはヤンさんから奥付という言葉を初めて聞いたときに何のことか知りませんでした。
これは結構恥ずかしい事なんでしょうね(笑)
しかし今はとっても必要だと思います。
いっしょに勉強するみんなで、貴重な情報を共有し、蓄積したいとこの日改めて思いました(*^^)v
ジミーさん、早速に報告をありがとうございました。
奥付のこと、そうなんですよね。
わたしもたまにははっきり言わせてもらいますけど(笑)、
受講者の半数が奥付をつけていなかったことに、ショックを受けています。
ジミーさんが書いてるように、実際的な必要性が、まずあります。
そしてそれだけでなくて、二つの点でがっかりしているのです。
ひとつは原話資料への敬意が薄いじゃないか!ということ。原話、ひいては語った人、それを記録した人、それを公刊した人、その人たちがいてこそ今私たちはその話を知ることができるわけだからね。原話に対する敬意を欠いては再話する資格がないと、常々思っているのです。そこまで考えなくてもいいんやないって思う人もいると思うよ。でもね、せめて、わたしのとこで学びたいっていうなら、原話への敬意は不可欠って思ってもらいたい。
二つ目は、なんで奥付のコピーが必要か理解できなくても、自分の判断で行動しないでほしい。指示が出てるんだから、その指示はちゃんと意味があってのことなんだから、守ってほしい。指示を出した私を信頼してほしい、って思ったの。
ちょっと、いろいろ考えさせられた勉強会でした・・・
ヤンさん、コメントありがとうございます。
はっきり書いていただいてよかったです。
原話に対しての敬意!
そうでした。
再話の勉強会では何度も聞いていたはずなのに、奥付のことを書いているときには意識できていませんでした。
自分にがっくりです_| ̄|○
興味の追求のために大事なことを忘れて、何かをすり替えて納得していたのかもしれません。
気付かせてもらってありがとうございました。
増上慢な上に無知で怠惰な愚か者であったこと、覚悟が足りなかったことを自覚しました。ここで懺悔と反省をさせてもらいます。
落ち込んでしっかり反省して、行動・語りで示し、これからも学んでいきたいです。
ジミーさん、優しく手を引いて導くように書いていただきありがとうございます。
ヤンさん、クラスをお願いした者として恥ずかしい限りです。先生として生徒のみなさんを導くべく、当日は思いを抑えて講義をなさっていたんですね。この場で、はっきり言ってくださることで、自分に問い直し、昔話、再話に向き合う意志が湧いてきました。ありがとうございました。
ウーカーさん、コメントしてくださってありがとうございます。
最初は、今までの勉強会の延長線上にあると思うのは当然だと思います。
私の感覚では、原話が特別な物なんですよね。
それは、わたしが今まで再話を勉強してきた経緯が、この講座のみなさんと違うからというのもあると思います。
でも、いまだに再話の勉強をしているということでもわかる通り再話は難しいと思います。
少なくともわたしには難しいです。
だからいっしょに勉強する人がいるのはうれしい(*^▽^*)
勉強するからには、ヤンさんの教えてくれる形をしっかり守らなくては始まらないと思った次第です。
ウーカーさんのように意欲のある若手が出て来てうれしいです。
いっしょによろしくお願いしますね(^^♪
いつも、あとにつづく方がたがとっても熱心なのを嬉しく感じています。
それでも、なかなか、思いや考えが伝わらないものだなあとも感じています。
その責任は、主に、伝える側にあると考えています。でも今回は、わたしひとり反省してもあかんなと思ったのです。
たかが奥付ですが、このことでみなさんが、襟を正して、学ぶ意味を考えてくださったら嬉しいなと思います。再話入門のかただけでなく、これを読んだ、おはなしを学ぶみんながね~
原話への敬意、昔話を伝えてくれた伝承の語り手さんたちへの敬意、採話して資料として残してくれた人たちへの敬意、胸に刻みます!
再話クラスの後、プライベートレッスンで再話クラスの話になりました。
ヤンさんが「(再話)できますか?」と聞かれたのですが、どういう意味の「できますか」だったのか、あれからずっと考えていました。そして、その答えがこちらのコメントにありました。
ジミーさん、いつもわかりやすく書いて下さって、色々な立場から言葉を選んで下さってありがとうございます。「興味の追求のために大事な事を忘れてはいけない」肝に銘じます!
ヤンさん、整えられた再話を自分の日常語にする事すらまだままならないのに、国や時代を超えて語り継がれたり、訳されたり手直しを繰り返されてきたであろうお話に自分が手を入れる事、未熟ながらも「襟を正して」誠実に臨みたいと思います。
フルーツさん、コメントありがとうございます。
自分への戒めのために書いたことですが、共感してくださったのならうれしいです。
再話に限らずですが、心構えとデータの蓄積をきっちり最初に教えられたとおりにやり続けるのが、あとあと考えると一番自分のためになると思います。
いっしょに頑張りましょうね~!(^^)!