昔話の中に出てくる残酷な場面。
たくさん出てくる残酷と思われる場面を、子どもたちに昔話を与える側の大人や語り手がどうとらえたらいいのかを探す勉強会の2回目です。
テキストとしている野村泫先生の『昔話は残酷か』(東京子ども図書館)は、前回の続きから「第3章文芸学の立場から」をおしまいまでと「第4章民俗学の立場から」を読んでいきました。
民俗学では、16世紀の魔女裁判や18世紀の「公定処刑料金表」の記録から、その時代に実際にあった処刑方法の一部が昔話の中に反映されているだけで、特に残酷な場面を描きたいがために新たに考え出したのではないことが明らかだということでした。
わたしは、韓国と中国のドラマに日ごろ大変お世話になっておりますが、時代物や宮廷物を数をこなしていきますと処刑場面が多々あり、まさに西欧の処刑と同じ場面を見ているのでとても納得しました(笑)
次に、今回はヤンさんが用意してくれた資料を基に、小澤俊夫先生が刊行されている雑誌『子どもと昔話』とヤンさんが昔ばなし大学で実際に残酷性の講義を受けられた内容を講義していただきました。
この、昔ばなし大学の講義がとても面白くてよかったですし、感動する内容でした。
小澤先生がおっしゃっているように、「昔話は、人生と生命をまるごと、あるがままに語る」ものなので、実母であれ継母であれ、ひどいことをする一面は必ずあります。
また、子どもたちの幼い理解力からすると、善と悪をはっきりさせたうえで最後には悪を完全に倒して亡き者にしないと主人公の身の安全は得られません。
昔話が中身を抜いて語ることによって残酷な場面をリアルさを消しながら必要だから登場させている。
そのことを語り手は心に落としておいて、人間の残酷さに目を背けないで語る勇気を持たないといけないということでした。
昔話を聞いた子どもたちがいつか大きくなって生きる力を奮い起こさなければいけない状況になった時に、残酷だと思われる場面を含む昔話をきいたからこそ「最後に悪は完全に滅びて幸せがやってくるんだ」と思ってくれることを祈ります。
大人が残酷な場面を抜いたり改ざんしたりしていると、子どもたちの生きる勇気になる材料を消してしまっているのかもしれません。
他にも、古代信仰の現れとか生き物はすべてが他の命をもらって生きているとか、いろいろな説明をしていただき、昔話のすべてを包括する奥の深さと面白さに改めて感動しました。
聞き手が「ああ、怖いぃ~~、もうやめて~」と感じたらそれは失敗で、「やっつけてほしい!」「(悪者が)死んでよかったぁ~」と感じてくれたら成功なんでしょうね。
どんな昔話にしろ、終った時に満足してくれているのかどうか聞き手の様子をよく見て次につなげる、ということをやり続けていかないといけないなあと思いました。
次回は最後の回となります。
「心理学の立場から」をお勉強します。
次回も楽しみです(^O^)/