マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む
第3章「金の毛が三本ある悪魔」まだつづくよ~
昔話は高い芸術性をそなえているということでしたね。
きょうは、「金の毛が三本ある悪魔」の枠組みから考えます。
この話の枠をなしているのは、最初の福運の予言と最後の厳しい試練です。
まず、冒頭で主人公の誕生があります。この主人公は幸運の皮をかぶって生まれます。それで、占い師が「王さまの娘と結婚するだろう」と予言しますね。
ところが、予言とは裏腹に、主人公にはつらい苦しい運命が重なって、前半は、かかわった者みんなにとってわけのわからない結婚式で終わる。
後半は、主人公は積極的に課題を引き受けてやり遂げるんだけど、クライマックスの地獄での試練は、冒頭の予言に対する不気味な答えだとリュティさんはいいます。どきどきしますね。
このきちっとした枠組みは、無駄がありません。
文学的に節約することで、緊張感を高めます。
ところで、この話には、ふたつの民間信仰が入り込んでいます。
ひとつは、「幸運の皮をかぶって生まれる」
生まれるとき胎膜の一部をつけたまま出てくる子には、特別な人生が割り当てられている、幸福と富があらかじめ約束されているというのです。
なるほど。
ふたつめは、「髪の毛は力のありかである」
悪魔は髪の毛を三本奪われると力を失って、その力は、新たな毛の所有者に移るんだって。悪魔の知識も、毛を手に入れた者のものになる。その知識っていうのは、悪魔は生命の働きを助けないように気を付けていたんだけど、新たな所有者は、人を助けることに使うんですね。
髪の毛が力のありかだっていうのは、『旧約聖書(またです~!)士師記、16』のサムソンの物語のなかにある。
大力のサムソンから、愛人のデリラが力のありかを聞きでして、髪の毛を7房切り取るんです。で、サムソンは力を失ってとらわれてしまう。
ただし、リュティさんは、このような信仰は、昔話の中では本来の重さを失っているといいます。ストーリー展開のなかでのひとつのモティーフになってしまっているのです。
だから、サムソンの話を知らなくても、「金の毛が三本ある悪魔」は十分に理解できるし楽しめる。
リュティさんは、『ヨーロッパの昔話』の中で次のように言っています。
あらゆるモティーフは、世俗的なものであろうと奇跡的なものであろうと、昔話のなかにとりいれられ、昔話によって昔話的に形成され、昔話流にとりあつかわれると、たちまちにして『昔話モティーフ』となる
これを、純化作用といいます。こちら⇒《昔話の語法》
で、サムソンの物語を知らなくても、この毛を抜く場面おもしろいですよね。
髪の毛に力が隠れているって知らなくても、地下の世界の暗闇の中に神秘的な宝物が光り輝いており、主人公はそれを地下の世界から奪い取ることに成功するのですから。
はい、おしまい。
次回は、類話を少し見ますね。
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きのうは、おはなし入門講座の最終回でした。
ききみみずきんさん、お疲れさまでしたあ。
6人の語り手が生まれた (∩^o^)⊃━☆
みんな続けて勉強会に来てほしいなあ。
また、ここで報告があるのでお楽しみにお待ちください。
”冒頭の予言に対する不気味な答え”、なんですね。
ただ、楽しんでましたが、リュティ先生のおっしゃる通りでございますね。
おはなしの構成を教えてもらうと語るときの気持ちがすっきりしますね。
それと、幸福の皮をかぶって生まれるというのがよく分かりませんでしたが、そういうことだったんですね。
昔話には、”かぶる”というのが時々出て来ますね。
うばっ皮とか、千枚皮とか。
かぶることに意味があるのと、この話のように、民間信仰が取り込まれているのがあるのですね。
ありがとうございました。
教えてもらわないと、自分では気づかないことを、リュティさんは教えてくださいます。ありがたいです。
ううむ。「かぶる」というモティーフも調べてみたいo(*°▽°*)o