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語りの森を作った魔女

昔話の解釈ー白雪姫 最終回🕯

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫
今日で終わりだよ~

「白雪姫」は、
年を取ることにがまんがならない女の話、そのために苦しめられる若い人間の話、というだけではない。
ねたみとやきもちは悪の一番太い根であることを明らかにしているだけではない。
じゃあ、なにか?
それを越えてさらに人間存在の根本的な特徴をいろいろと見せている
と、リュティさんは言います。

人間存在の根本的な特徴って?

つまり
事物が反対物に転化する驚きと素晴らしさ、
死んだと思われている人間が復活する不思議、
われとわが身に苦しむこと。

われとわが身に苦しむっていうのは、女王が自分のやったことのせいで最後に滅びることを指すんだけど、それだけではないのです。白雪姫自身も、われとわが身に苦しむんですね。ほら、きれいなくしが欲しいとか飾りひもが欲しいとか、りんごが食べたいとか、いっときの欲望に従ったがために殺されるのです。

でも主人公白雪姫には、救済があり、見捨てられた人間が段々と成長してゆく有様が見える。
その救済はどこから来るかというと、こびとという自然界の存在、王子という精神の光を代表する存在、猟師のようにふつうの人間、によって救済されるのです。

思い出してください。
この章の最初で、白雪姫は受け身の主人公だと確認しましたね。みずから行動する主人公ではない。こちら⇒
人の世の息がつまるほど緊張した状態の中で、白雪姫のこの素直さは、魂を象徴しています。
人の魂は、世の中へ出て、そのつらさをなめ、その助けや恵みを受けることによって、一段ずつ成長していくのです。
上への道は、深淵を通るしかなく、光への道は、苦悩と闇を通っています。
そういう魂を、白雪姫は象徴しているのです。

これが、最初の課題、数ある昔話の中で、「白雪姫」のすがたが特に明るく輝いているのはなぜかということへの答えなのです。

昔話は単なる遊びではない。昔話は聞き手の目を人間存在の本質に開かせるものである。

ううむ。禍福はあざなえる縄の如しっていうけどね、「白雪姫」は、そんなふうに転化、倒錯の連続の人生であることを教えてくれるんだ。そして、輝くハッピーエンドが待っているから、救われるんやね。

はい、おしまい。

うまくまとめられたかは???だけど。

次回からは、KHM29「三本の金髪をもった悪魔」について、類話比較しながらテーマを探ります。

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きょうは、おはなしひろば、熊本県のみじか~い伝説をアップしました~
聴いてね~

 

 

昔話の解釈ー白雪姫7👸👸👸👸👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫 まだつづく

白雪姫って、あまりにも有名で、絵本やアニメで知らない人がいないほどで、しかもほとんどが改ざんされてるので、ちゃんと知ることが大切やと思います。
で、もう少し、続けますね~

前回までで白雪姫のテーマが「倒錯」っていうこと、分りましたね。
それは、さまざまな類話を比較することから、分ってきたんでしたね。類話を多く見れば見るほど、話の内容と意味はますますよくわかるようになると、リュティさんは言っています。

さて、きょうは、創作、というか、白雪姫を素材にした改作の紹介です。

ムゼーウス(ヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウス)の白雪姫。
ムゼーウスは、グリム兄弟の前の時代の人で、小説家。ドイツの民話を改作して世に出しています。翻訳が手近なところにないので、作品を確認せずに孫引きします。ごめんなさい。

白雪姫を迫害するのは「まま母」になっています。リヒルデと名前がついています。
ムゼーウスは、このリヒルデのまま母性を極端に前面に押し出しています。
描写が詳しく、まほうの鏡の由来や、最後にリヒルデが履かされる靴を、小人たちがどうやって作ったかとか、およそ昔話らしくない叙述があるようです。
リュティさんは、昔話の流儀を離れ、見掛け倒しの作品を作り上げたと批判しています。
リヒルデが、真っ赤に焼けた靴を履かされて踊るのですが、その苦しみを詳しく描いています。

ぜんぜん、昔話らしくない、おもしろくない改作なんだけど、それでも「倒錯」のテーマは生きています。

バジーレ(ジャンバッティスタ・バジーレ)の白雪姫。
バジーレは、イタリアの詩人、16-17世紀の人、『ペンタメローネ』を書いた人ね。
白雪姫は、リーザという名前です。リーザが生まれると、親切な仙女たちがお祝いに駆けつけて、素晴らしい贈り物をします。ところが、ひとりだけ、遅刻しそうになって、あわてて足をくじいてしまうのね。そして思わず呪いの言葉をはいてしまう。「リーザが七歳になったら、母親が髪をとかしてやっているときに、くしをリーザの頭に忘れてしまって、それがもとでリーザは死ぬ」って。
で、その通りのことが起こる。母親は悲しんで、リーザのなきがらを七重のガラスの棺に納めて、屋敷の一番奥の部屋に入れて、部屋の鍵を肌身離さず持っています。

ううむ。全部書くのは、手がつらい(/▽\)

煎じ詰めれば、お祝いに行こうとして呪いをはいてしまうとか、やさしく髪をとかしていて殺してしまうとか、やっぱり善から悪が生じている、ということなんです。
嫉妬したおばが、死んでいるリーザの髪を手荒く引っ張ったために、リーザは生き返る。これは、悪が善に転化しているのね。

このように、改作されていても、テーマは変わらない。
善が悪に、悪が善に転化するというテーマは、白雪姫という素材に込められていて、それが驚くようなやり方で繰り返しあらわれ出てくるように見えると、リュティさんは言います。

次回は、白雪姫最終回。倒錯のテーマが持つ意味を考えます。

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今日のホームページ更新は《日本の昔話》
「たからのひょうたん」だよん。

 

 

コンサート⛪

毎年、今頃は、第九の本番に向けて追い込みの真っ最中。
毎週、大阪の雑踏と街の賑わいに浸りながら通ってたのになあ。

第九っていうのは、とにかくひたすらフォルテでしょ(笑)
一年の間に色んなことがあっても、最後にすかっと吹き飛ばせるのね。
Mのあたりでいつも思わず涙ぐむのよ。そこからずんずん高揚していく。
ああ、歌いたいなあ。
200人で声を合わせたい\( ̄︶ ̄*\))

きっと、来年は歌えるだろう。
歌ったら、なんか本気で泣きそうや。
元気で生きていよう。

さてさて。
歌えなくても、よい音楽を聴くと、心が満たされるよね。
ババのメンバーから、チャペル・コンサートのお誘いをいただきました。
残念ながら会場での参加はもう締め切られたんだけど、YouTubeで聴けるの(❤´艸`❤)

11月29日(日)13:30~14:50

ここから入ってみて。素敵なホームページです。
こちら⇒チャペル・コンサート チェンバロ~いやしの響き
演奏予定の曲目もあります。
チェンバロのコンサートだよ!
ライブ中継なんだけど、聴きのがしてもホームページから入っていけるんだって。

でね、会場は、福音協会。
うちの近くなのよ。
ウォーキングがてら行ってきました。


これは、アンネのバラ。
一輪だけ咲いてた。もう秋なのに。ラッキー。


近くの川べりのイチョウの木。


こちらは桜。

とっても楽しみ。
教えてくださってありがとう。
毎日がんばって、がまんしているみなさん、ともにいやされましょう(✿◠‿◠)

 

 

 

昔話の解釈ー白雪姫6👸👸👸👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫 つづくよ~

「白雪姫」は、倒錯のテーマが貫かれている、ということでしたね。
善が悪に転化するだけでなく、それにつりあうように、悪が善に転化する。
前回は、悪であるこびとが善をなす、ということでした。類話的に見ると、こびとは、盗賊だったり人食いだったりするのでしたね。
つまり、捨てられた白雪姫は、なんとか命は助かるものの、悪者のところに逃げ込んでしまう。
「捨てられる」=悪
「命は助かる」=善
「悪者のところに逃げ込む」=悪
「悪者が白雪姫を保護する」=善
ってことです。

あ、そうか、だから、ディズニーとかのアニメや絵本で、七人のこびとが愛らしく描かれるのは、ぜんぜん「白雪姫」的じゃないんだ!!!
悪者なのに、よいことをするのが、白雪姫のテーマなのだ(づ ̄ 3 ̄)づ

さらに悪→善の具体例を示していきます。

「白雪姫」の全体の枠は、娘を殺そうとする母親の苦心です。ところが、白雪姫は、生きて、王子と結婚する。つまり母親は、欲しかったものを手に入れる代わりに、正反対のものを手に入れる。これ、倒錯です。悪が善に転化しています。
白雪姫側から見ると、追い出され毒を盛られる=悪、王子に見つけられて結婚する=善。ということです。
でもね、毒を盛られるからこそ、白雪姫は王子に発見されるのね。悪があったからこそ、白雪姫は幸せになる。白雪姫は毒殺されなかったら王子と出会わなかった。

白雪姫がガラスの棺に入れられて運ばれるところ。
グリムの七版では、召使がつまづいて、棺が揺れて、毒りんごが口から飛び出して、生き返る。
不手際(=悪)が善になる。

この場面、グリム初版では、こんな感じです。
王子はいつも棺とともに行動する。召使は年じゅう棺を担いでいなくてはならない。あるとき、腹を立てた召使が、棺を開けて、「こんな死んだ娘のために、一日じゅう骨を折らされるなんて!」といって、白雪姫を起こして背中をたたく。すると、口から毒りんごがとびだして生き返った。

めっちゃ笑えません?
ちっともロマンチックじゃない。
でもね、召使の悪意が白雪姫を生き返らせた(=善)のですよ。
倒錯です。

あ、だから、王子がキスをして目覚めさせるのは間違いなんだ!

アルバニアの類話では、白雪姫は指輪のせいで仮死状態になるんだけど、女中が、白雪姫の指から指輪を抜く、盗むんですね。それで、白雪姫は生き返る。
悪→善ですね。

悪から善が生じうること、悪い意志や不手際が救いとなりうること、これは、この種の話に繰り返し示されているもうひとつの転倒、善から悪への転倒と対をなすものであると、リュティさんは言います。

でね、この倒錯を描くことにどんな価値があるかってことなんだけど、人生では、良かれと思ってやったことや、だれもがよいと価値を認めているものが、よくないことになる、悪い結果を招くことってあるでしょ?
逆に、悪意があったのに、結果がよいことになることもあるよね。ああもう最低やって思っていたことが、素晴らしい結果を生むことも、あるでしょ?
それを言ってるんじゃないかなあ。
まあ、結論は先に置いて、もう少しこの章は続きます。

きょうはこれでおしまい。

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かぶさんが、神峯山寺(かぶさんじ)に行ってきました。
神峯山寺は、大阪府高槻市にある開闢1300年の天台宗のお寺。日本で最初に毘沙門天をまつったという山岳信仰のお寺です。
紅葉の名所。
かぶさんが写真をくれたので、貼り付けますね~

 

 

 

 

昔話の解釈ー白雪姫5👸👸👸👸👸

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第2章 白雪姫 つづき

「白雪姫」は人間の自己倒錯を描いている、ということでした。
何もかもがさかさまになっている。

グリムの「白雪姫」では、主人公が森の中をさまよって、七人のこびとの家に着きます。そこで白雪姫は保護される。
でも、類話の多くは、こびとではなくて、強盗とか人殺しの家に行きついているのですって。こびとの場合でも、人食いこびとだったりする!
一難去ってまた一難ですね~
こんな類話もあるそうです。
女王は、森の中に七人の小人が住んでいて近づいてくる娘をみな殺すということを知っている。それで、白雪姫を、七人の小人の洞窟の前に連れて行って「中へ入っていけ」といって置き去りにするんですって。

これのどこが倒錯かっていうとね、その強盗なり人殺しなり、人食いこびとなりが、見捨てられた主人公の保護者となり、援助者となるのです。
悪が善に転化しているのね。転化というか、倒錯です。
悪であるはずのものが、善をなす。

ポーランドの類話はこんなのです。
強盗たちが家に帰ってくると、白雪姫が倒れている。いくらさがしても、こんどは死の原因が分からない。でも、あまりにも美しく死んだようには見えなかったので、強盗たちは、白雪姫は聖者なのだと思う。そして、ガラスの棺を注文して、そっと白雪姫を入れて、その棺を高い松の木の上にしばりつける。強盗たちは、それからは心を入れかえて、修道院に入ってお坊さんになった。

強盗(悪)がお坊さん(善)に転化している。
リュティさんは、ここまでくると、もうついていけないといいます。こっけいだって。

ともあれ、この悪から善への転化は、前回見た善から悪への転化と、つり合いが取れています。ほら、母親が「まま母」になるとか、命の象徴だったはずのりんごが死をもたらすとか、転化というか倒錯があったでしょ。こんどはそのさかさま。悪者がよいことをする、という倒錯。

悪から善への倒錯、他にもあるんだよ~
それは次回へ。

きょうは午前中、おはなし入門講座で、その足で秋をさがしにウォーキング。
楽しかったけど、疲れちゃった。

だからきょうはこれでおしまい。

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見つけた秋。
上手く写真とれなかった。
そのうちいいスマホ買わなくちゃ。