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語りの森を作った魔女

コンサート⛪

毎年、今頃は、第九の本番に向けて追い込みの真っ最中。
毎週、大阪の雑踏と街の賑わいに浸りながら通ってたのになあ。

第九っていうのは、とにかくひたすらフォルテでしょ(笑)
一年の間に色んなことがあっても、最後にすかっと吹き飛ばせるのね。
Mのあたりでいつも思わず涙ぐむのよ。そこからずんずん高揚していく。
ああ、歌いたいなあ。
200人で声を合わせたい\( ̄︶ ̄*\))

きっと、来年は歌えるだろう。
歌ったら、なんか本気で泣きそうや。
元気で生きていよう。

さてさて。
歌えなくても、よい音楽を聴くと、心が満たされるよね。
ババのメンバーから、チャペル・コンサートのお誘いをいただきました。
残念ながら会場での参加はもう締め切られたんだけど、YouTubeで聴けるの(❤´艸`❤)

11月29日(日)13:30~14:50

ここから入ってみて。素敵なホームページです。
こちら⇒チャペル・コンサート チェンバロ~いやしの響き
演奏予定の曲目もあります。
チェンバロのコンサートだよ!
ライブ中継なんだけど、聴きのがしてもホームページから入っていけるんだって。

でね、会場は、福音協会。
うちの近くなのよ。
ウォーキングがてら行ってきました。


これは、アンネのバラ。
一輪だけ咲いてた。もう秋なのに。ラッキー。


近くの川べりのイチョウの木。


こちらは桜。

とっても楽しみ。
教えてくださってありがとう。
毎日がんばって、がまんしているみなさん、ともにいやされましょう(✿◠‿◠)

 

 

 

昔話の解釈ー白雪姫6👸👸👸👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫 つづくよ~

「白雪姫」は、倒錯のテーマが貫かれている、ということでしたね。
善が悪に転化するだけでなく、それにつりあうように、悪が善に転化する。
前回は、悪であるこびとが善をなす、ということでした。類話的に見ると、こびとは、盗賊だったり人食いだったりするのでしたね。
つまり、捨てられた白雪姫は、なんとか命は助かるものの、悪者のところに逃げ込んでしまう。
「捨てられる」=悪
「命は助かる」=善
「悪者のところに逃げ込む」=悪
「悪者が白雪姫を保護する」=善
ってことです。

あ、そうか、だから、ディズニーとかのアニメや絵本で、七人のこびとが愛らしく描かれるのは、ぜんぜん「白雪姫」的じゃないんだ!!!
悪者なのに、よいことをするのが、白雪姫のテーマなのだ(づ ̄ 3 ̄)づ

さらに悪→善の具体例を示していきます。

「白雪姫」の全体の枠は、娘を殺そうとする母親の苦心です。ところが、白雪姫は、生きて、王子と結婚する。つまり母親は、欲しかったものを手に入れる代わりに、正反対のものを手に入れる。これ、倒錯です。悪が善に転化しています。
白雪姫側から見ると、追い出され毒を盛られる=悪、王子に見つけられて結婚する=善。ということです。
でもね、毒を盛られるからこそ、白雪姫は王子に発見されるのね。悪があったからこそ、白雪姫は幸せになる。白雪姫は毒殺されなかったら王子と出会わなかった。

白雪姫がガラスの棺に入れられて運ばれるところ。
グリムの七版では、召使がつまづいて、棺が揺れて、毒りんごが口から飛び出して、生き返る。
不手際(=悪)が善になる。

この場面、グリム初版では、こんな感じです。
王子はいつも棺とともに行動する。召使は年じゅう棺を担いでいなくてはならない。あるとき、腹を立てた召使が、棺を開けて、「こんな死んだ娘のために、一日じゅう骨を折らされるなんて!」といって、白雪姫を起こして背中をたたく。すると、口から毒りんごがとびだして生き返った。

めっちゃ笑えません?
ちっともロマンチックじゃない。
でもね、召使の悪意が白雪姫を生き返らせた(=善)のですよ。
倒錯です。

あ、だから、王子がキスをして目覚めさせるのは間違いなんだ!

アルバニアの類話では、白雪姫は指輪のせいで仮死状態になるんだけど、女中が、白雪姫の指から指輪を抜く、盗むんですね。それで、白雪姫は生き返る。
悪→善ですね。

悪から善が生じうること、悪い意志や不手際が救いとなりうること、これは、この種の話に繰り返し示されているもうひとつの転倒、善から悪への転倒と対をなすものであると、リュティさんは言います。

でね、この倒錯を描くことにどんな価値があるかってことなんだけど、人生では、良かれと思ってやったことや、だれもがよいと価値を認めているものが、よくないことになる、悪い結果を招くことってあるでしょ?
逆に、悪意があったのに、結果がよいことになることもあるよね。ああもう最低やって思っていたことが、素晴らしい結果を生むことも、あるでしょ?
それを言ってるんじゃないかなあ。
まあ、結論は先に置いて、もう少しこの章は続きます。

きょうはこれでおしまい。

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かぶさんが、神峯山寺(かぶさんじ)に行ってきました。
神峯山寺は、大阪府高槻市にある開闢1300年の天台宗のお寺。日本で最初に毘沙門天をまつったという山岳信仰のお寺です。
紅葉の名所。
かぶさんが写真をくれたので、貼り付けますね~

 

 

 

 

昔話の解釈ー白雪姫5👸👸👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫 つづき

「白雪姫」は人間の自己倒錯を描いている、ということでした。
何もかもがさかさまになっている。

グリムの「白雪姫」では、主人公が森の中をさまよって、七人のこびとの家に着きます。そこで白雪姫は保護される。
でも、類話の多くは、こびとではなくて、強盗とか人殺しの家に行きついているのですって。こびとの場合でも、人食いこびとだったりする!
一難去ってまた一難ですね~
こんな類話もあるそうです。
女王は、森の中に七人の小人が住んでいて近づいてくる娘をみな殺すということを知っている。それで、白雪姫を、七人の小人の洞窟の前に連れて行って「中へ入っていけ」といって置き去りにするんですって。

これのどこが倒錯かっていうとね、その強盗なり人殺しなり、人食いこびとなりが、見捨てられた主人公の保護者となり、援助者となるのです。
悪が善に転化しているのね。転化というか、倒錯です。
悪であるはずのものが、善をなす。

ポーランドの類話はこんなのです。
強盗たちが家に帰ってくると、白雪姫が倒れている。いくらさがしても、こんどは死の原因が分からない。でも、あまりにも美しく死んだようには見えなかったので、強盗たちは、白雪姫は聖者なのだと思う。そして、ガラスの棺を注文して、そっと白雪姫を入れて、その棺を高い松の木の上にしばりつける。強盗たちは、それからは心を入れかえて、修道院に入ってお坊さんになった。

強盗(悪)がお坊さん(善)に転化している。
リュティさんは、ここまでくると、もうついていけないといいます。こっけいだって。

ともあれ、この悪から善への転化は、前回見た善から悪への転化と、つり合いが取れています。ほら、母親が「まま母」になるとか、命の象徴だったはずのりんごが死をもたらすとか、転化というか倒錯があったでしょ。こんどはそのさかさま。悪者がよいことをする、という倒錯。

悪から善への倒錯、他にもあるんだよ~
それは次回へ。

きょうは午前中、おはなし入門講座で、その足で秋をさがしにウォーキング。
楽しかったけど、疲れちゃった。

だからきょうはこれでおしまい。

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見つけた秋。
上手く写真とれなかった。
そのうちいいスマホ買わなくちゃ。

 

 

 

 

 

 

昔話の解釈ー白雪姫4👸👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫

自分はいったい何者なのかという根源的な疑問が、まま母話の多い理由でしたね。
わたし、この人の子ども?
わたしはいったいだれ?
成長の過程でぶつかる哲学的な難問です。
その難問を与える役割を担うのが、子どもを拒絶する親。
実母でも継母でも養い親でもいいのです。

主人公は、捨てられた劣った者が最後には王者となる、幸せになる、という力学が昔話にはあります。
でも、白雪姫の女王の立場からこの話を読めば、これは悲劇であると、リュティさんは言います。
母親が「まま母(法的な継母ではなく、心理的葛藤を抱えた母なる者)」になりうること、愛する者が憎む者になること、子どもに命を与えたその同じ女が子どもを死へ追いやろうとすること、これは悲劇である。

人間って、得体の知れないものですねえ。
母親側から考えると、「白雪姫」は、人間の自己転倒、倒錯を描いたものだとリュティさんは言うのです。

でね、「倒錯」、これが「白雪姫」のキーワードなんだって。
グリムの「白雪姫」だけでなくこれの類話全体に共通するキーワード。
倒錯っていうのは、「逆」とか「さかさま」っていう意味ね。

おっと、話型番号と話型名、書いておくね。調べたい人は類話探して読んでね。
ATU709「白雪姫」

どのへんが倒錯しているかというと。
母親が「まま母」になる。
鏡は自分の美しさを示すはずなのに、他の人間の美しさを示す。
りんごは昔から命の象徴なのに、死のりんごとなる。
装飾品(くし、かざりひも)は生を高め整えるためにあるのに、死(仮死)をもたらす。
靴は足を保護するものなのに、足を傷つける。

根本のテーマがなんとよく話全体を貫いていることかと、リュティさんは言います。
倒錯というテーマが、話の個々の部分にピタッとはまっているというのです。
なるほど~
一貫しているんだ!
そんなこと、まったく気づかなかったなあ(ToT)/~~~

でね、様式が一貫していること、部分と全体がぴったり呼応していることは、一般的に、高度な芸術のしるしとされています。
つまり「白雪姫」はまずこの点ですばらしい芸術作品なんだヾ(•ω•`)o

女王が実母でなく「まま母」の場合もこの一貫性はくずれません。
良い母親が死んで、代わりに悪い母親があらわれる。
昔話では、人の相反する性格は、ふたりの人物に振り分けられるのです。
これは、昔話の平面性で説明できるって、気づきましたか?こちら⇒《昔話の語法》外的刺激

さて、「白雪姫」にはほかにも重要な「倒錯」がありますが、それは次回へ~
きょうはこれで、おしまい。

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今日は《外国の昔話》を更新しました。
小さい子向けのおはなし。
クリスマス会に向けて、どうぞ~

 

 

『とりあえずまちましょう』🏰

一昨日、木曜日のことです。
市内の絵本サークルの勉強会で、講演(のようなもの)をしました。
たった1時間だし、三密を避けて内部だけの開催だったので、のようなもの(笑)

これまでは、石井桃子、渡辺茂男等々、現代日本の児童文学を拓いた人がテーマだったんだけど、今回は、五味太郎さん。
私の好みで選びました(笑)

それがあだになった。
なんと400以上の作品があって、うちの図書館所蔵は300冊。
300+アルファ冊読んだ。
おもしろかった。
それはいい。
どうやって、1時間にまとめる?

結局、約70冊準備してもらって、紹介したのはその半分。

でね、終わってから気づいたんだけど。
五味太郎に限らず、絵本は好きだけどね。
わたしにとって絵本を楽しむ醍醐味は、他の人と共有することにあるんだってわかった。
ひとり静かに読むのもいいけど、読んで聞いてもらうことが楽しい。相手が子どもでも大人でも。

それで、今回も、聞いてもらった中で、特に反応があって楽しいなと思った本を、ここに紹介します。許可なくても表紙を載せてもいいよっていう出版社さんのは、表紙も紹介しますね。

『ヒトニツイテ』1979年/CBSソニー→絵本塾出版

『仔牛の春』1999年/偕成社
仔牛の春

『秋』1981年/絵本館

これは、『春』『夏』『冬』もある。

『みんながおしえてくれました』1983年/絵本館

『からだのみなさん』2001年/福音館書店

これは、かがくのとも。かがくのともには五味さん作品たくさんある。最初の作品『みち』1973年もかがくのとも。これは手に入らなくて他館から借りてもらった。当日紹介できなかったので、ここにのせるね。

『いました』2013年/ブロンズ新社
表紙:いました

『とりあえずまちましょう』2020年/絵本館

これは、今年の9月発売。一番新しい本。
コロナの時代に、とっても癒された本です。
『とりあえずごめんなさい』『とりあえずありがとう』に続く第3弾!
五味太郎さんからのメッセージを貼り付けますね。
「なんだかいつも忙しくて、バタバタ、ウロウロ、イライラしているみなさん、ここはひとつのんびり、ゆったり、ぼんやりと、焦らず待ってみるのもけっこういいものですよ、というあたりで、とりあえず まちましょう、です。
すぐにお読みにならなくても構いません。
いつかお読みいただきたいと思います。お待ちしています。」

それから、絵本じゃなくて、おすすめは、これ。

『じょうぶな頭とかしこい体になるために』1991年/ブロンズ新社
『勉強しなければだいじょうぶ』2010年/朝日新聞出版→集文社

みなさん、読んでみてね。ほっこりしますよ。

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きのうはおはなしひろば更新。
ノルウェーの昔話「ガラスの山のお姫さま」だよ~