「児童文学を読む」カテゴリーアーカイブ

楠山正雄の「猿婿入り」🐵

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告つづき

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第4章昔話《昔話の再話について》
「楠山正雄の「猿婿入り」」1965年発表

え?それどなたって?
うう。うちにある辞典類には出てこない人ヾ(≧▽≦*)o
仕方がないから、Wikiから。

楠山正雄〈くすやままさお〉(1884-1950)
演劇評論家、編集者、児童文学者
鈴木三重吉が立ち上げた『赤い鳥』にも関わる。

瀬田先生によると。
大正時代の文学上の多能者。近代劇の移入、初期の百科辞典編集、児童文学での幅広い活動をした。

その児童文学の仕事のうちの『日本童話宝玉集』全2巻(1921年)について、瀬田先生は、子どもの頃、恩恵をたっぷりと受けたと言います。
日本文学について多岐にわたって知っている大人が、自分もおもしろがりながら、子どものために、過不足なく話を選んで語っている、そういう物語集だということです。
図書館が開いたら借りてみよう。

『日本童話宝玉集』に昔話の再話も載っている。
第1部 十大昔話
これは、巖谷小波にほぼしたがっている。
第2部 諸国昔話
『聞耳草紙』などの資料から直接再話。13話あまり。

ほ~。原話がはっきりしている再話ね!

巖谷小波とちがうところですね~

じゃあ、具体例「お猿のお嫁」引用
むかしあるところに、お百姓のおじいさんが、三人の娘といっしょにくらしていました。
ある日、おじいさんは裏の畑へ、ゴボウを抜きに行きました。すると、たいそう根が深いとみえて、どうしてもゴボウが抜けません。まっかになって、額からだくだく汗を流しながら、えんや、えんやと抜いていますと、どこからか一匹のお猿がちょろちょろ出てきて、
「おじいさん、ほねが折れるかい」と声をかけました。
「うん、骨が折れてしかたがない。えんや、えんや」
「手伝って抜いてやろうか」
「うん、ありがたいな、抜いておくれ」
「お礼をくれるかい」
「うん、やるとも、何でもやる。うちの三人の娘でもやる」
「ほんとうに娘をくれるか。よしよし、そんなら手伝ってやろう」
こういってお猿はそばへ寄ってきました。そしてちょいとゴボウに手をかけますと、わけなくすっぽり抜けました。
おじいさんは、
「ありがたい、おかげで助かった」
といって、ゴボウをもって、すたすた帰っていこうとしました。するとお猿はうしろから声をかけて、
「おじいさん、じゃあ三日目の晩に、おまえの娘さんをもらいに行くよ」といいました。
おじいさんは、「つい苦し紛れに冗談を言って、今更とりかえしのつかないことをした」と気がつきましたが、まさかお猿がほんとうにお婿さんになりに来もしまいと、無理に安心して、
「ああ、いいとも」
といって、急いで帰っていきました。

みなさんどうです?
ヤンは、売店でクルクル回ってる昔話絵本を思い浮かべました。
みなさん、けっこう慣れてません?
でも、おはなしおばちゃんとしては、これ、覚えて語ろうと思います?

瀬田先生は、これを口承と比較しています。
ストーリーは異なりますが、表現を見てください。

『南蒲原郡昔話集』(1935年)
あったてんがのしー。爺さがのォ、子ォ三人持ってのォ、粟の草取りいったといの。
粟の草取り行くと、まことに暑い日でどざんして、あんまり暑くなって、「この粟の草、だれか取ってくれたら、娘の子三人持っていたが、だれか一人くろが・・・。あァあ」とあくびかいたといの。
そこへ耳取山の猿が聞こいつけて来て、
「爺さ、爺さ、何言いやった」
「おら、なんにも言わない」
「いや言うた。うそ言うと、こそばし殺すぞ」
「あんまりこの草は生いて難儀だすけに、だれか取ってくれる者があったら、娘三人持っていたが、だれか一人くろっが、そう言うた」
「おら、ンだら取ってやる」言うて猿は、キッキッキ、サッサッサと取ってくいたといの。
「さあ爺さ、取り上げたすけね、おまえは上がってもよいが、娘の子いつ何日にもらい言ったらよかろう」
「17日だら、17日がよかろう」日決めしたといの。

ね、いかがですか?

瀬田先生の批評
『南蒲原郡昔話集』:音楽的ともいうべき流れの中に、空想が生き生きとかりたてられる。しかも、悠然として一つの無駄もない。
「お猿のお嫁」:擬音語や擬態語を多く差し入れて全体のリズムを壊している。言葉や扱いをモダンにし、心理的にし、描写を連ねて新しく深くつくりかえたつもりが、混乱し分裂している。
これを、中野重治の言葉を借りて、「いたずらな近代化」と評しています。

引用
再話とは、むしろ昔から伝えられてきた庶民の言葉の芯のつよさを生かしながら、もっと浄化し洗いさらして、よりシンプルで強いものにしていく。またこわれている物語を、ちょうど土器の破片を復元するような、細心慎重でもっとも必然的で自然な構成につらねていく作業が必要なのだと思います。

はい、きょうはここまで。

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今日のレパートリーの解凍
「あなのはなし」『おはなしのろうそく4』東京子ども図書館

巖谷小波の『花咲爺』🌸

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告

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第4章昔話《昔話の再話について》
「昔話の再話について」巖谷小波の『花咲爺』1965年

日本の昔話の再話の、近代から現代への流れが論じられています。
まずは近代の最初、巖谷小波の再話から。

あ、その前に、巖谷小波について、『日本昔話事典』から説明しておきます。

巖谷小波〈いわやさざなみ〉(1870-1933)
尾崎紅葉らの硯友社に所属。小説を書いていました。
1891年『こがね丸』日本の近代児童文学の初期の作品として評価を受ける。
これをきっかけに、児童書へと転身。
1894-1896年「日本昔噺」
1896-1898年「日本お伽噺」
1899-1908年「世界お伽噺」
昔話も創作も、児童文学すべてを「お伽噺」と呼ぶようになる。
お伽噺を児童の前で口演する「口演童話」や児童向けの劇「お伽芝居」を始める。
引用
彼の再話の原話については種々論議があるにしても、のち小学校国定教科書などに非常に大きな影響を与え、口承文芸の昔話とは別の小波的昔話の世界を、とにかく確立して、日本人の人間形成のうえに大きな役割を果たしたようである。(中川正文)

ふうむ。
私らみんなが、なんとなく知ってる桃太郎や花咲爺って、根源は巖谷小波にあったのか。

さてそこで、瀬田先生の論文を読んでいきましょう。

『日本文学大辞典』には、小波の再話が広く世に迎えられて「日本最初の昔噺の定本」となったとある。けれど、だからといって、文学的な評価が定まっていると言えないと瀬田先生は言います。ただ、「耳で聞く昔話とはちがった、眼で読んで知る児童文芸としての昔話の内容と形とを、はじめて提示して、以後の原型になった」と言います。良し悪しは別にしてね。

実際に『花咲爺』を読んでの批評。
1、表現
冒頭の表現はストレートで上手い。しかし進むにつれ、「常套的すぎ、しゃべりすぎ、すべりすぎる」。
例えばこんな文章
「(犬を)わが子も同然に。蝶よ花よとかわいがっておりました。」
「猫は三年の恩を三日で忘れ、犬は三日の恩を三年忘れぬとやら。同じ畜生のうちでも、犬ほど義を知る獣はありますまい。」
2、内容
例えば冒頭
岩手県紫波郡伝承:簗(やな)に掛かった根株を割ると、犬が現れる。
新潟県古志郡伝承:川を流れてきた香箱が火のそばで割れて、子犬が出てくる。
富山県上新川郡:ひろったももが臼の中で割れて、白犬が出てくる。
小波:爺と婆が、子どもがいないので犬を飼った。

ね、小波はつまらない。
他の作品を読めてないから何とも言えないけど、きっと似たり寄ったりなんでしょうね。

煎じ詰めれば、小波が何を原話にしたのか分からないというのです。だから、本来の昔話の持つストーリーの面白さ、力強さが脱落している。

日本民俗学研究の祖といわれる柳田国男が、関敬吾とともに『昔話採集手帖』を出して全国の昔話を調査し始めたのが1936年だから、小波の頃はまだ、口承資料がほとんどなかったんでしょうね。
民俗学の人々が口承文芸の生きている場所を求めて動き出す以前の人ですから、今日私たちが果たしうるように話材の取捨選択を自由にすることができませんでした。

でも、この小波の再話(といっていいのか?)方法が、のちの日本における昔話再話に尾を引いていくことになるのです。

ああ、そうだったのかX﹏X

昔話の再創造🕯

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告

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第4章昔話《昔話ノート》
「昔話と児童文学―イギリスの場合」=昔話の再創造 1971年発表

昨日のつづきです。

昔話が幼い子のための文学として再話され、定着していったその時代の流れを、昨日は勉強しました。
今日は、昔話を種にして自分の文学を創作した作家たちについてです。
題材が昔話というだけなので、再話ではなく創作。その具体例。

ウォルター・デ・ラ・メア『再話集』1927年
「シンデレラ」「ねむりひめ」など19話。
デ・ラ・メアは、『ムルガーのはるかな旅』の作者ですね。
彼の短編は、伝承を元にしたものが多いそうです。
『再話集』の翻訳があるのかないのか、いくつか候補はあるのですが、今調べる方法がなくって
『かしこいモリー』エロール・ル・カイン 絵・中川千尋訳/ほるぷ出版 2009年
これも『再話集』に入っているんでしょうか?

エリナ―・ファージョン
『ガラスのくつ』1955年=「シンデレラ」を下敷きに(岩波書店刊で読めます)
『銀色のしぎ』1953年=「トム・ティット・トット」を下敷きに
昔話を下敷きに、「自由な登場人物をつけ加え、ストーリーを上積みして、はなやかなオペレッタのように仕上げた作品」

木下順二(1914-2006)
戯曲「夕鶴」
『わらしべ長者』1962年
『夢見小僧』1966年
瀬田先生は、これらの話を「再話」とすべきではないと言います。「テーマとナレーション(文体)が昔話のものとちがう」からです。

ヤンの考え・・・
デ・ラ・メアのは読んでないからわからないけど、ファージョンは、作品名に昔話の題名を使ってないのが、誠実だと思う。ちゃんと、創作だって表明してることになるから。けど、木下順二のは、ごまかしがあるような印象を与える。創作なのに、伝承かと思わせる。超有名人だから、罪は重いんじゃないかな。
語るために選ぶとき、木下順二のを選ぶなら、創作だってことを認識したうえで選びたい。
・・・ここまで

つぎに、昔話の方法を使って作品を書くことが、児童文学を成功させる方法だと、瀬田先生は言います。その具体例。

ヘレン・バンナーバン(1862-1946)
『ちびくろサンボ』1899年(瑞雲舎 刊で読めます)
お話といえば昔話しか知らない者の口になったように忠実に伝承的な形に従っていて、それゆえに幼年物語の古典たりえた」と言います。

ビアトリクス・ポター(1866-1943)
『ピーターラビットのおはなし』1901年
絵本を中判にしたこと、昔話のスタイルを使ったことで、幼い子をつかんだと言います。
そのナレーションは、昔話と同様に、まったく経済的でむだがなく、簡素で力強かった。

ワンダ・ガアグ(1983-1946)
『100まんびきのねこ』1928年 (福音館書店刊で読めます)

マージョリー・フラック(1897-1958)
『おかあさんだいすき』1932年

このふたりは、「昔話のリフレインという明快な展開法と簡潔でビジュアルな表現を存分に示した
なるほど。昔話のスタイルを使っているから、引き付けられるんだ。

あ、本や絵本の表紙をときどき張り付けてますが、これは、出版社がOKしているものだけです。著作権のことは、クリアしてますよ~
引用文も、それが引用であることをはっきりさせて出典を示せば、OK。

昔話と児童文学💍

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』報告

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第4章昔話《昔話ノート》
「児童文学と昔話ーイギリスの場合」
〈昔話の発見者たち〉1971年発表

この項では、昔話がどのようにして児童文学になっていったかについて、簡単に説明がされています。

はじめに、瀬田先生は、昔話は、年齢に関係なく子どもを引き付けるということを書いています。子どもに語るとき、創作は、1年生は喜んでも6年生には簡単すぎるとか、その逆もある。けれども、昔話は、1年生から6年生まで、皆が楽しむ、と。
そうですね、私たちもそれは実感します。

つぎに、その昔話はもともと大人のものだった。大人が「利口になり、複雑になると、かつて興じあった物語を、子どもだましの類としてみすてる」ようになった、代わりに子どもたちが昔話を楽しむようになった、と。
なるほど。でもヤンは大人が「利口になった」というのは皮肉のような気がする。むしろ昔話の中の哲学を理解できなくなった、馬鹿になったんじゃないかな。

瀬田先生は、世界で最初に昔話を発見したのはペローだと書いています。

シャルル・ペロー(1628-1703)フランスの詩人
『ペロー童話集』1697年
昔話をもとに詩を作り、教訓をつけています。岩波文庫に翻訳あり。
サロン風に雅びにみがきたてられ、訓育の衣装をきせられた

その後。

グリム兄弟
ヤーコプ(1785-1863)・ヴィルヘルム(1786-1859)
『子どもと家庭のメルヒェン』(初版1812-7版1857)
これがいわゆるグリム童話集。(グリム童話集の成立と意義に関しては『グリム童話考』小澤俊夫著/講談社刊が詳しくてわかりやすいです)
伝承的な形のままで、訓育的な擬態なしに高い価値を認めた」と瀬田先生は書いておられます。間違いとは言い切れませんが、ちょっと短絡的です。ドイツ口承文芸の研究者である小澤先生の上記の本を読むことをお勧めします。
グリム童話が「世界に学問的なフォークロアの火を点じた」のは、その通りです。
ヨーロッパに近代国家が成立しようとしている時代、国民を精神的にまとめるものとしての伝承が必要だったのです。

グリムに啓発されて、諸国に昔話を収集する運動がまきおこります。

ロシア、ノルウェーなど。
ごめんなさい、瀬田先生の説明がないので、国名だけ挙げておきます。詳しいことは図書館が開館してから報告します。

イギリス
ジェイムズ・O・ハリエル
『童謡と童話』1849年
ここまでは学問的な採録記録。
イギリスで、子どもに手渡すためのリライト(再話)の最初は、アンドルー・ラングです。

アンドルー・ラング(1844-1912)
詩人、小説家、評論家、民俗学者
子どものための世界の昔話を再話して、色分けの童話集を次々に出版します。
第1冊目が『あおいろの童話集』1889年

ジョーゼフ・ジェイコブズ
彼については一昨日の井戸端会議を見てください。
ラングが昔話を広め、ジェイコブズは深めたと、瀬田先生は言います。

ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865-1939)
アイルランドの詩人、劇作家
『隊を組んで歩く妖精たち』

ロバート・グレイヴズ(1895-1985)
詩人、小説家、評論家

上記二人を挙げて、かれらは文学運動として昔話を編纂したといいます。その運動の中から、パードリック・コラムが出てきます。

パードリック・コラム(1881-1972)
アイルランドの詩人、劇作家
子どものためにホメロスの叙事詩や北欧神話を再話し、それは、児童文学の古典といわれているそうです。

ところで、こうやって海外で昔話が収集されて子ども向けに編纂され、その成果が、日本にも紹介されます。
『世界童話大系』です。全23巻、1924-28、松村武雄監修、近代社刊
その第7巻が「蘇格蘭(スコットランド)、英蘭(イングランド)篇」、第8巻が「愛蘭(アイルランド)編。
以前に読んだときは、とにかく古いなあという印象でした(笑)
図書館が開いたらもう一度読んでみよう。

ジェイコブズの 『English Fairy Tales』 📚

『瀬田貞二子どもの本評論集児童文学論上』報告

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第4章昔話《昔話ノート》
「ジェイコブズの 『English Fairy Tales』」1967年発表

ジョゼフ・ジェイコブズ (1854-1916)
シドニー生まれ。ニューヨークにて没。
ケンブリッジ大学で学位。
数学、歴史、哲学、人類学、文学を研究。
ユダヤ人問題、民俗学に関する活動。

再話集
1、『English Fairy Tales』1890年
2、『More English Fairy Tales』1894年
この2冊を刊行したのち、ここから60話を選んで一冊にまとめました。それが、
3、『English Fairy Tales』
最初のと同名ですね。これが、英語圏の子どもたちの昔話の底本となりました。
ヤンが持ってるのは1と2。それと、次の4と5、ケルトの昔話ね。
4、『Celtic Fairy Tales』1892年
5、『More Celtic Fairy Tales』1894年

瀬田先生によると、ジェイコブズは、グリム兄弟のように民俗学的な研究のために出版したのではなく、昔話を子どもたちに聞かせ読ませるためでした。それは、3人の我が子のためでもあったといいます。
(ただし、グリムも、子どもと家庭のために再話し出版したんだけどね。そのへんの事情は、この評論文の頃はまだ研究が進んでなかったのかもしれない。ジェイコブズは、グリムにならって、1の巻末に出典等の注もつけています。はじめは民俗学的な意味合いがあったのですね)

ジェイコブズの再話方法
@原話:チャップブック、民俗学誌、伝承の語り歌から探す。
@地方の言葉や古い言語を、わかりやすい言葉に書き改める。
@大人の野卑で粗雑な表現を、格調高く書き直す。
@筋道をすっきりさせる。
@要所要所に、昔ながらの表現や素朴な語り口を残す。
@語り物の音楽的な流れを失わないようにする。

1のジェイコブズによる前書き
全体を通して、年老いた乳母たちが昔語りをするときのような口調で再話することが、私の強い願いでした。・・・この本は黙読するだけでなく、声にだして語るためのものです。
2の前書き
私が再話した昔話は、ヨーロッパじゅうの母親が自分の小さなペギー(ジェイコブズの孫娘)のために語りつづけてきたものです。それはもう長い長い間ね。

さてみなさん、ジェイコブズの再話、何があるかあげてみてくださいo(*^@^*)o

「ちいちゃい、ちいちゃい」「おばあさんとぶた」「ノロウェイの黒牛」「だんなもだんなもおおだんなさま」「ねことねずみ」「ふしぎなお客」「ジャックと豆の木」「さんびきのこぶた」「さんびきのクマ」・・・
多種多様なテーマとスタイル。バラエティ豊かですね。

引用
まず時と処と人物が簡潔に紹介されたかと思うと、ただちに事件が事件を生み、行動が行動をさそって、しだいに緊張をつのらせ、ついに嵐のようなクライマックスにいたり、急転直下和やかな結末におよんで、大団円を結びます。

つまり、昔話の語法にのっとって再話されているのですね。リュティ理論を知らないのに昔話の表現方法は知っていたというのは、グリムと同じですね。

以前に、がらがらどんで「さんびきのこぶた」大会をしたとき、英語の音声を聞きましたね。そのリズムの楽しかったこと(*^▽^*)
英文で書いておきますから、声にだして読んでみてください。

(おおかみ)”Little pig,little pig,let me come in.”
(こぶた)”No,no,by the hair of my chinny chin chin.”
(おおかみ)”Then i’ll huff,and i’ll blow your house in.”

ウォルター・デラメアの引用(ちょっと長いけど読んでみてね)
哀れな昔話や悲しい昔話、そしてぞっとするような昔話にさえも、・・・想像力を育み、さまざまなことを教え、心をじょうぶにし、私たちに「自分自身」の姿を見せてくれます。そういう話は、私たちを悲しませたり、おびえさせたり、時として衝撃を与えることさえありますが、それれも強烈に面白いお話として心に残ります。独特の美しさと真実味と価値をそなえる昔話は、私たちを慰めたり励ましたりもします。-人生そのものの記憶にうったえかけることで。心の中にイメージを作り上げることで。さまざまな出来事や場面、登場人物を語ることで。そして、そこにこめられたメッセージや深い意味を伝える語り口で。その美しさや音楽のような言葉で。

瀬田先生は、「トム・ティット・トット」をグリムの「ルンペルシュティルツヒェン」と比較して、イギリスらしさをこう説明します。
引用
良識あり、簡潔で抑制的、そこにこもるユーモア、自由、またフェアプレイを愛する心、ひなびた愛らしさが、(全部の話に)満ち満ちています。

最後に瀬田先生は、昔話は耳で聞くのが何より一番だと書いています。それが昔話の本質だと。
さて、そろそろ4月も終わります。5月になったら練習を始めましょうか(✿◡‿◡)