「勉強会」カテゴリーアーカイブ

七月の再話クラス(訂正あり)

夏が暑いのは当たり前ですが、今年の夏はちょっと度が過ぎると思いませんか?皆さんちゃんと眠れていますか?とにかくまめに水分補給を心がけてくださいね!

たいへん遅くなり申し訳ありません。七月の再話クラスの報告です。

猛暑にもめげず、再話クラス、去る7月25日いつもの部屋に集いました。

 

 再話の検討2回目

 「石を投げてお嫁さんを決めた王子たち」

(原題「石を投げてお嫁をきめた王子たち」)

山室静訳/『新編世界むかし話集4フランス・南欧編』文元社)

 「死人のミサ」

山室静訳/『北欧の民話』 岩崎美術社

 再話の検討1回目

 「黄金の騎士」

関楠生訳/『新装世界の民話19 パンジャブ』 ぎょうせい

 

再話をグループですることの意義について少し話したのですが、やはり自分だけではない異なる視点の意見をもらえるのが面白い点であり、最大の利点だということになりました。今回の再話の検討でもいくつもそういった場面がありました。

 「石を投げてお嫁さんを決めた王子たち」では、最後にカエルの娘が馬車もろとも変身する場面を思い描いて、どんな言い回しにすればイメージが伝わりやすいのか、白熱の議論?になりました。ここで拠りどころになるのが語法です。昔話の語法どおり「変化は一瞬にして起こる」表現を追求して意見を出し合いました。

 また、再話に行き詰まったときには、似たモチーフの良い再話(語りに適した再話)を参考にしても良いそうです。そのためには、たくさん読み、そして語って、自分の中にストックを作らなければと思いました。語りと再話はどちらか一方では成立しないのではないでしょうか。

 とっても怖い、暑い夏にぴったりな「死人のミサ」では、教会から逃げ出す奥さんとそれを狙う死人たちの描写がポイントになりました。奥さんが恐れおののきながら抜け出そうとするのを今にも襲い掛からんばかりに見つめる死者の群れ、この恐ろしい情景を耳で聴いて思い浮かべるには、奥さんが歩いていることと、死人たちがそれに気付いていることを明示しなければなりません。さらにミサが終わると同時につかみ掛かってくる死人というホラー映画さながらの場面。一文一文を簡潔にして繋いでいくことで、恐怖感や緊迫感が出ます。いやー怖かった。完成した語りをぜひ聴かせていただきたいです。

 

 「黄金の騎士」、タイトルからもう魅力的なこのおはなしは、現在のインドとパキスタンの国境をまたぐパンジャブ地方の民話です。シーク教徒の多く暮らす地域ですが、類話はヨーロッパに多そうです。私はこの再話は、省略するところ、付け足すところ、語順を変えるところが的確で、完成度が高いと感じました。このおはなしでも変身(正体をあらわす)場面があり、鮮やかに印象深く語るにはどう表現すれば良いか活発に意見が出ました。原話も整った形の昔話ですが、文化的に身近ではないため、登場する道具や建物の形状をイメージを持って語る工夫が必要だと思いました。

次回は11月28日。「黄金の騎士」再話二回目検討、「鳥うちわ」再話一回目の検討の予定です。皆さま、この夏を無事に乗り越えて、元気にお会いしましょう。涼しくなっていますように!!

※次回日程に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。

7月のプライベートレッスン

スイカの季節になりましたね。
子どもの頃はよくスイカを食べましたが、大人になると食べなくなりました。
なぜかと考えると…。
持って帰るのが重い、冷蔵庫に入れにくい、(カットしてあって)すぐに食べないといけないから(笑)
我ながら、なんて怠惰な思考かとあきれますが。

今月のプライベートレッスンの報告です(^O^)
1日目
テキストを日常語になおす
「命のろうそく」語りの森HP → こちら
”関西弁で語るとき、だらだらした印象になる場合があるので、そのようなときは場面転換の時に気分を変える。
具体的には、接続詞を入れないで、語り方でそれを分かるように語る。”
この指摘が大変参考になりました。
ほんとにそうだと思いました。
やっぱり関西弁って、だらだらしているように聞こえるんですね。
それが続くと聞いていて眠くなるかもしれません。
おはなしにメリハリをつけるためにも、場面転換の時に気分を変えたら聞き手も聞きやすいですね。
2日目
語り
「鳥になりたかったこぐまの話」『雌牛のブーコラ愛蔵版おはなしのろうそく12』東京子ども図書館
鳥になりたいと思ったこぐまがうまくいかなくて、でも最後に同じくまの友達ができるというかわいい創作の話です。
鳥になりたい、空を飛びたい、ヒーローになりたい、子どもの頃っていうのはいろいろなものにあこがれて、それになり切ったりします。
聞き手はそのような気持ちに共感してくれるんでしょうね。
実現はしないことばかりですけども、最後にはお友達ができて、うれしい終わり方です。
創作は難しいということを実感するとともに、いい話は難しくてもチャレンジしたいという語り手さんの思いを感じました。

うちの極小の庭にもセミがいてびっくりしました。
こんな間近で鳴かれたらうるさくてかないませんがな。
と、セミには申し訳ないけどもそう思ってしまいました。
まだまだ暑いですが、何とか乗り切りましょうね(^O^)/

7月の日常語クラス

今日は、海の日で、かつ祇園祭ですね。
天気予報は、猛暑でできるだけ外には出ないようにとありました。
祭り見物の方たち、大丈夫かな?

今月の日常語クラスの報告です(^O^)
語り
「わらしべ長者」『語りの森昔話集5』語りの森
テキストを日常語にする
「危機一髪」『語りの森昔話集5』語りの森
「ゆうれいのおんがえし」『子どもと家庭のための奈良の民話一』京阪奈情報教育出版
「舌切りすずめ」『日本の昔話2』福音館書店
「さるかにがっせん」『語りの森昔話集4』語りの森
ヤンさんの語り 「かも取り権兵衛」『日本の昔話2』福音館書店

この日も、数々の学びがある中で、わたしが心に残ったのは、「行くが行くが行くと」問題…。
『日本の昔話』シリーズにはこの表現が原話の通り残されています。
わたしが初めて本で読んだときは、正直「なんやこれ?!」と思いました(笑)
どう言ったらいいかわからないし、意味もよくわかりませんでした。
すぐに、遠い道のりをず~っと歩いていくという意味だと分かりましたけれども、「それならそう書けばいいんではないの?」と思っていました。
その後、原話の語り手さんの音声やビデオを見て、「おおお~~、そういうことか!」と納得しました。
原話の語り手さんが語られる「行くが行くが行くと」は文字で書いてあるのとは全く違って、何とも言えずいい味でなおかつ、その時の場面と主人公の気持ちがよくイメージできて、話が心にすーっと入ってきました。
ここだけ原話のままに残して再話したいと思われた気持ちがわかりました。
そして自分も、原話の語り手さんのように「行くがー行くがー、行くと」と語りたくなりました(笑)
この日の勉強会では、ここだけが浮いてしまうことがあることから、ヤンさんの再話では共通語の表現にしているということが出ました。
たしかに耳に快い言葉ではありますが、浮いてしまっては聞き手の集中が散ってしまいます。
それにも納得したわけです。
原話の語り手さんはそこだけ浮くことは絶対ないわけですからね。
ここは、わたしの「行くがー行くがー、行くと」を語りたいという欲求を封印すべきか、でもこの表現すきだなぁ、と押さえられない自分を感じたのでした(笑)
課題ですかね、もうちょっと時間をかけて消化します。
次回は、9月8日!
今度は語りの会になりそうです(^O^)/

7月の初級クラス

梅雨明けも間近?の暑い暑い日、初級クラスが行われました。

手遊び歌
とんがり山のてんぐさんが
うちわであおいで 見渡せば
すーいすい すーいすい
かっぱの親子が 顔出した
ばあ!

語り
1.七わのからす/子どもに語るグリムの昔話3/こぐま社
2.しおちゃんとこしょうちゃん/おはなしのろうそく27/東京子ども図書館
3.ありとこおろぎ/語りの森昔話集1・おんちょろちょろ/語りの森
4.鬼の面、お福の面/語りの森HP 〈こちら→〉
5.たなばたさん/子どもと家庭のための奈良の民話1/村上郁 再話
6.雌牛のブーコラ/語りの森昔話集4・おもちホイコラショ/語りの森
7.お月さまの話/おはなしのろうそく25/東京子ども図書館

ヤンさんの語り
8.ヤギとライオン/子どもに聞かせる世界の民話/実業之日本社

講評
・七(しち、なな、関西弁だとひち)の言い方はどれでも良い。意味がわかる言い方で。
・昔話はいきなり終わるような印象があるが、その後は聞き手の余韻にまかせる。
・時間的には決して長くないお話でも、お話の内容の中で聞き手が長い旅をしている場合などに余韻が残る。
・深い意味を含んだお話は、その決め手になる部分の語り方でそのお話のイメージが決まる。
・創作にはその事柄を説明する言葉(形容詞)が多く使われていることがあり覚えにくいことがあるが、そこはとにかく力づくで覚えてしまう。
・早口言葉の代わりに累積譚を覚えるのも良い。累積の部分は一気に一息で語る。
・テキストの読点は取って語る。読点で切って語ると不必要な言葉が立ってしまう。
・口伝えで伝えられたお話の中に、語法がしっかりと受け継がれていることの感慨深さ。
・新しい話は覚えたと思っても、語りの現場で練習不足を感じることがある。「寝ていても語れるように」(松岡享子さんの言葉)
・遠近、大小を表したい時は、言葉の長さと声の高さで。声を大きくしない。
・聞き手が3回のくり返しを飽きないで聞いてくれるためには ①年齢に合わせたお話の選択 ②くり返しの中のモチーフの違いをうまく伝える事 ③語り手の「おもしろいやろ?」を伝える事。
・語りの言葉を自分のものにする為にテキスト通り覚えるが、語りの現場で自然に変わってしまう(決して変えるのではなく)のは仕方がない。
・自分が使わない言い回しを学んでおく事で、いずれテキストの中で変えた方が良い表現に気づけるようになる。


今回で1年間の初級クラスの前半戦が終了というところでしょうか。
みなさんそれぞれに色々なお話に挑戦しているのがわかりますし、毎回エントリーも多くて本当に聞きごたえがありました。語るチカラだけでなく、聞くチカラもついたというご感想もありました。また、秋以降、みなさんがどのようなお話を選んで来られて語っていただけるのか、とても楽しみです。


次回の初級クラスは9月12日(火)です。

 

第3回昔話の残酷性について

今日は七夕ですね。
ですが、天気予報は夕方から曇ってきて雨になるそうです。
今朝まで七夕であることを忘れていたのに雨と聞いてなんだかちょっと寂しい中高年のワタシって何なんだろうと思いながら、昔話の残酷性についての勉強会を報告します(^^)

野村泫先生の『昔話は残酷か』(東京子ども図書館)をテキストにして勉強してきましたが今回が最終回でした。
今回は、昔話の残酷性を心理学的にみるとどうなるかについて勉強しました。
今回も、テキスト以外の資料を用意してくださり、野村先生以外の研究者や心理学者の意見も知ることができました。
”昔話は残酷か”という問いに対して、答えは”いいえ”だとは初めからわかっていましたが、3回にわたって丁寧に解説してもらって、改めて残酷というとらえ方をする大人の倫理や、実態を抜いて語る昔話の語法や、昔話を愛のある場所で語り継いでいく必要性などを考えることができました。
わたしは、昔話を含めて物語が好きだから語りをやり続けていると思っているんですが、昔話が語り継がれてきたメッセージを理解したうえで、安心安全な場と人間関係がある状態で子どもたちに届けることが大事なんだなと確認したというか、「お前、今頃確認してるのかい!」と一人突っ込みをしなければならないくらい衝撃でした。
自分がすでにそうであったように子どもたちは昔話を聞く機会が少なくなってきていると思います。
うちの子どもたちは幸運なことにヤンさんのお話会を聞いて育ちました。
ですから、ディ〇ニーも知っているけれども、元になるグリム童話も知っていますし、いまでも印象に残っている語りがたくさんあるようです。
その一方で、生まれた時からパソコンやゲームがある世代で、小学生の時には時間制限をしていたんですが、隠れてやっていたと大人になってからカミングアウト(笑)するくらい、今でもゲーム好きです。
ゲームもいろいろ種類がありますが、子どもの話を聞いていると”それって昔話のストーリーや冒険のワクワク感とかが同じじゃない?!”と思うことがあります。
格闘ゲームとかファンタジー系とかの話を聞くと思うんです。
人は、いくつになっても昔話の中に入っているワクワク感を必要とするんだろうか、それで癒されるんだろうかなどと勉強会の終わりに感じました。
それとかっこよさ。
我が子は時々ゲームに課金しているようなんですが、強くなるためだと思っていたら「かっこよくなるための装備に課金している」そうです。
そういうのを聞くと、残酷な場面をどう語るかというのも大事ですが、もともと昔話の語法どおりに中身を抜いてあるテキストならばその通りに語るだけでいいので、それよりも話の筋や主人公が幸せに向かって課題をクリアする場面をかっこいいと思ってもらえるように語るということに力を注いだほうがいいんじゃないかなと、そんなことを思いました。

この日は、いつもの図書館ではなくて貸会場を借りたんですが、部屋のカギをもらいに行ったときに会場の担当者さんに「タイトルを見て思ったんですが、昔話は残酷だということを勉強する会なんですか?」と言われましたΣ(・□・;)
参加者は全員語り手ですから、このタイトルを見てそう思う人はいないはずです。
でも、世間一般の人というか、ふつうはそう理解するんだと気づかされました。
真逆なんですね。
そう思うと、昔話は決して残酷なのではなくて大切なメッセージがあるんだということを知る語り手という存在が、今はまれな存在になるのかなと思うとともに、語り継ぐことの重大さというか、責任というか、大変さを感じました。
わたしたちって、天然記念物並みに珍しくて貴重なんじゃない?(笑)
そんな少数派でも、語って伝えるということが大事だと思うと、なんか頑張ろうと思いました(‘◇’)ゞ