「勉強会」カテゴリーアーカイブ

7月 日常語による語りクラス

8月に入ってしまいました。
私事ですが、8年ぶりの帰省と、アトリエの夏スぺが終わり、やっと私も夏休みになりました。
遅ればせながら、やっと落ち着いてPCに向かいました。
7月12日の日常語による語りクラスの報告をさせていただきます。
大変遅い報告となってしまったことを、お詫び申し上げます。

<語り>

まほうの鏡」 『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』再話/村上郁

まんのええ猟師」 『日本の昔話4』
(まのいい猟師 → タイトルも日常語にしました)

<テキスト>

十二支の由来」 『ナーミンのならのみんわ』再話/村上郁

しんぺいとうざ」 『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』再話/村上郁

油取り」 『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』再話/村上郁

三枚のお札」 『語りの森昔話集2ねむりねっこ』再話/村上郁

〇なかなか言葉が定着せずに語るたびに変わってしまう、と悩んでいる方がおられました
↓↓↓
現時点のテキストを一旦決めてしまって、あとは練習あるのみ!定着するまで何度も何度も反復練習、頑張りましょう~!
(*^▽^*)

〇ヤンさんは奈良のみんわを再話されたのですが、なぜか奈良には口承のおはなしがあまり残っていなかったそうです。残っていても
それが記録されたときには、もうすっかりやせていて、とても短いものだったそうです。

〇おはなしを日常語で語るとき、どうしても日常語になりにくいものがある?という話が出ました。
「自分の言葉(日常語)で語るのが一番伝わる」というのはもちろんそうなんです。
そうなんですが、日常語でいくら練習しても練習しても口に乗ってこない、言葉がするする出てこない、ということが、ごくごくまれにあるそうです。
原因ははっきりとは解明できませんでしたが、『おはなし』『本人』『その人の日常語』これらのそれぞれが持っている背景や、何かがうまく合わないことがあるみたいです。おはなしって奥が深いなぁ~~。語るって本当に奥が深いなぁ~~~。

1学期もたくさんの子どもたちから元気をもらいました。
2学期に向けて充電と準備をしなくちゃね~(^^)/

でも本当に暑くて暑くて溶けてしまいそうです。。。
皆さまご自愛くださいね。

かぶ

いずれの日にか国に帰らん🌴

小学一年生の夏に引っ越しをして、2学期から通い始めた新しい学校でいじめられた。
毎晩、泣きながら、いつかきっと、ほんとうの家に帰ろうと心に決めた。

遠足のバスが、ふるさとの家の前を通ったことがあった。
ちょうどそのとき、みんなで、♪うさぎお~いし~♪って歌ってたの。
歌詞は、自分の境遇と全然違うんだけど、それから長い間この歌にしがみついていた。

中学生になって「椰子の実」を覚えた。
「ふるさと」と「椰子の実」は、いつか郷愁にひたる入口になっていった。
ときどき口ずさんでは、遠くを見ていた。

先日、その「椰子の実」の最後の一節 ♪いずれの日にか国に帰らん♪ が、書名になっている本を見つけた。
『いずれの日にか国に帰らん』安野光雅著/山川出版社/2018年
著者のふるさと島根県津和野の挿絵に、深い郷愁にひたった。

はい、ここまでが前置きね。
夏休み明け9月12日(木)に、絵本の会主催の勉強会があります。
でね、そう、安野光雅さんの絵本がテーマです。
ヤンは研究者じゃないから、講師というよりコーディネーターね。
『ふしぎなえ』『旅の絵本』などをいっしょに見て、魅力を探ろうっていう勉強会です。
みなさん、来てくださいね~

さて、かのふるさとのほんとうの家は、今はもうわたしの心の中にしか存在しません。
その住所に行っても、どこがどこやらわからなくなってしまいました。
でも、いずれの日にか国に帰ろうと思っています。

研究クラス 👻🐟

今年度初めての研究クラスがありましたので報告します(*^_^*)
いつもならば、当番にあたっている人が語りとレポートを出しますが、今回は語りは無しでレポートだけなので、ヤンさんが最初に「今日は時間があるからみんなでお話会しようか?」とのたまいました。
(え~、聞いてない~)(いきなり~?!)(どんだけ~~)Σ(・□・;)
みなそれぞれが口に出したり出さなかったり、でもこのようなテレビで見るギャグみたいなことをいって反撃の様子を見せながらも、ヤンさんが続けて、「いきなりやから、練習のつもりでいい~」と言われると同時に、次々とホワイトボードにタイトルを書いていったのでした(笑)
つまり、文句言うというより、単におはなしを決めるための時間かせぎだったわけですね。
メニューは以下の通り
「豆の大木」『子どもに贈る昔ばなし14おにとあんころもち』小澤昔ばなし研究所
「アリョーヌシカとイワーヌシカ」『まほうの馬』岩波書店
「かしこいモリー」『おはなしのろうそく1』東京子ども図書館
「ついでにペロリ」『おはなしのろうそく6』東京子ども図書館
「金を生むねこ」『子どもと家庭のための奈良の民話一』奈良の民話を語りつぐ会
「ヤギとライオン」『子どもに聞かせる世界の民話』実業之日本社
「鳥のみじさ」『日本の昔話3』福音館書店
「ブレーメンの音楽隊」(ヤンさん)

覚えたてなのか、もどしながらなのか、得意な話か、背景はそれぞれでしょうし、途中で止まって「あれ、なんでこんなに出てこないの?」とか言いながらも、批評なしの安心感か、開き直りか、みんな言い訳なしに次々と語っていきました(笑)
約一時間、楽しいお話会でした。

次は、レポートの説明の時間。
今回の当番は、わたしでした。
グリム童話の「怖がることを習いに出かけた男の話」(KHM4)です。
この話はとにかく長いので覚えられません。
もし覚えたとしても、お話会の時間枠には入りません。
でも、前から気になっていたんです。
そこで研究クラスの課題にし、この話に関して調べ、類話の中でこれと思う話を見つけてそれを再話クラスで出そうと思ったんです。
レポートは次のように進めました。
この話はKHM4で、初版ではその箇所は「ボーリングとトランプ遊び」という話が載っています。
そして2版からこの「怖がることを習いに出かけた男の話」に差し替えられています。
「ボーリングとトランプ遊び」にほかのいくつかの話を合成したこと、類話がヨーロッパ中に残っていること、その最古のものが「死をさがしに旅に出た男」(『愉しき夜』ストラパローラ)だということが分かったのでこの三つの話を読み比べました。
次に、研究書をあたりました。
心理学的な解釈の本、昔話の研究者の本、わたしが手に入るものを集めました。
この話が、おもしろい話なのか、ゆうかんな男の冒険の話なのか、愚か者が課題をクリアする話なのか、それらのミックスならば重点はどこにあるのか、そんなことを考えながらレポートを進めていきました。
調べている途中で、〝「怖いものなしの王子」(KHM121)とモチーフの比較をせよ〟という本があったので、やってみました。
「怖がることを習いに出かけた男の話」はATU326で、「怖いものなしの王子」はATU590です。
『国際昔話話型カタログ』(小澤昔ばなし研究所)でモチーフ番号を調べ、モチーフを比較しました。
最後は、類話です。
たくさん出てきました。
でも、再話するならどうしても入っていてほしい最後のモチーフ、怖さが分かった理由が入っているのは3話しかありませんでした。
わたしの目的だった、再話する類話を見つけるについては、この3話の中から決めるか、あるいは「怖いものなしの王子」かその類話から決めるかでとどまりました。
いま思案中です(笑)
長いレポートなわりに、結果がだせなかったというのにみなさんお付き合いくださり、ありがとうございました。
そして、説明に時間がかかって呪的逃走話の読み込みができなかったというのも申し訳ございませんでした<(_ _)>
わたしとしては、未完成でも〝悔いなし!〟なんですが、まったく自己満足ですね(笑)
でも、これからモチーフインデックスを使えるということが分かったのでよかったです。
(ただし、わたしは英語が分からないのでグーグル翻訳のお世話にならないといけないんで、なぞな訳と戦わないといけないんですが…)

そして、今回、見学者さんが来られました~✌(‘ω’)✌
抜き打ちお話会も参加され、当初の予定の時間が過ぎてもいてくださり、熱心さに感激しました。
まだ、入会は考え中とのことですが、逃がしはしません、いえいえ、是非ご一緒にお勉強しましょうね(*^_^*)
次回は12月です。(年間で3回なので)
次回もまた楽しみです!(^^)!

7月の初級クラス

梅雨の真っ最中で、今日も梅雨らしい降りそうで降らないけど、ちょっと降るという、いずれにしても洗濯を外に干せないお天気です。
ジェニイさんが残念ながら欠席されましたので代わりに報告します。

「この世の光」 『語りの森昔話集1おんちょろちょろ』語りの森
「かめのピクニック」 『語りの森昔話集2ねむりねっこ』語りの森
「こんぶ」 語りの森HP → こちら
「三つの五月のもも」 『語りの森昔話集2ねむりねっこ』語りの森
「リスとてぶくろと針」 『子どもに語る北欧の昔話』こぐま社
「かしこいモリー」 『おはなしのろうそく1』東京子ども図書館
「ヤギとライオン」 『子どもに聞かせる世界の民話』実業之日本社 ヤンさん

みなさんからいろんな話が聞けて、今日も楽しかったです。
ヤンさんが、それぞれの語り手さんにアドヴァイスされた内容はもちろん当然それぞれなんですが、終わってみて、これはみなさん共通に感じていらっしゃるんじゃないかなと感じたことがあったのでそれを書きますね。

「発表するときに緊張してしまう」問題
家で練習しているときは完ぺきだったのに、いざみなさんの前に出て語るとなると緊張して言葉が出てこない。ひとつ引っかかったり、言葉を飛ばしてしまうとよけい緊張してしまい、その後の言葉が出てこない。ああ、もう帰りたい…。
緊張するのはどなたでも多少ありますね。
元は司会者とかコンパニオンとか、そういうかたは大丈夫かもしれませんがだいたいは緊張されます。
でも、個人差の大きいことですし、ここを乗り切るのは場数を踏むしかないのでしょうが、〝練習は裏切らない〟を心に唱えつつ、ヤンさんがいつもおっしゃる〝寝てても言えるくらいに〟練習しておくことしか、乗り切る方法はないのではないでしょうか。
ここを乗り切らないと、ぶつぶつ切れてしまってリズムが生まれようがありません。
リズムは歌の部分だけとか、話の一部分だけに生まれるものではないので、全体を通してリズムがあるということが重要だと思います。
わたしは緊張を解くために、心の中で「子どもたちは、話を聞きに来ている。わたしではない。わたしは影。わたしは透明」みたいなことを念じています(笑)
「自分の意にそぐわない話を覚えることになった場合」問題
みなさん、いろんなご事情がありますね。
お話会の予定と各自の予定、各自の持ちネタ事情、上下関係、いろんなことがありますから、残念ながらそんなことになった場合、さあどうしましょうかね。
たいへん幸せなことに、わたしはそれは一度もないのでございます。
頑張ってください、Kさん。
……あんまり無責任なので、ちょっと考えました。
昔話の場合かもしれませんが、長いあいだ語りつがれてきたということは何かそこにメッセージがあるはずですね。
昔話のメッセージを勉強してみると、自分が最初に感じた印象と違ってくることがよくあります。
語法を勉強したり、再話を勉強していると、そういうことがよくあり、「え!そんなにええ話やったんか?!」と思うことがあります。
今回は、「かしこいモリー」でしたが、これもほんとにいい話です。
いい話は、子どもたちが食いつくように聞きます。
あんまり好きじゃないと思っても、メッセージを掘り下げてみるのもいいかと思いました。
「○○と言われた」問題
何のことか分かりませんよね、すいません。
勉強会なんかで、語りあい、批評しあうみたいなときに、いろんな意見が出ますよね。
それこそいろんな意見がありますから、中には家に帰ってからひとりで涙することもあるかもしれませんよね(笑)
もうね、いちばんの先生は聞き手の子どもたちですからね、大人に言われたことはもういいんじゃないでしょうか。
天気予報ではなくて天気予想くらいの、まあ、一応聞いとこうかみたいな(笑)
でも、怖いなと思うのは、いろいろ言われると本人は当然気にしますよね。
気にしている気持ちや、ショックを受けた気持ちは引きずってしまうので、それが語りに出てしまうんですよね。
せっかくいい語りができるのに、ホントに残念なんですよね。
もし人に何か言うんだったら、そんなことまで考えて、責任もって言ってほしいですよね。
悪気じゃないと思いますけどね。
言われたほうにしてみたら、いっしょですからね。
ああ、かつてわたしもショックなことがありましたので、思い出して力が入ってしまいました(笑)

ジェニイさんみたいに丁寧に報告できなくてごめんなさい。
次回は9月です。
もう、エントリーは満杯!
次回も、エキサイティングな初級クラスの予感です!

児童文学を読む会⏱🐈♤

絵本の講座の翌日は、児童文学を読む会です。
ヤンさん、お疲れ様です<(_ _)>(笑)

今回は、リリアン・H・スミス『児童文学論』第9章ストーリーの続きです。
子どもたちは、真実が語られているかどうか見抜く力がありますから、日常生活を扱うフィクションのなかにも、些細な物事を正確に描写することが求められます。
正確であれば、たとえ今はもう変わってしまった生活様式の描写であったとしても、時代を経て、読む者が体験することができるし、興味を持つでしょう。
冒険小説のように山あり谷ありではないので、ワクワク感はないかもしれませんが、何気ない普段の様子や気持ちをていねいに描写する文章を好む子どもにはとても受け入れられると思います。
引用「子どもの読者というものは、作中の人物と自分を同一化するもので、この同一化により、本のなかの出来事は生き生きとうかびあがり、その新しさや力づよさが、つぎつぎの世代の子どもたちによって確認されるのである。」
なるほどな、と思いました。
本のなかに入りこむときの気持ちというのは、まさにこの文章のとおりですね。
本が書かれた時代や物語の時代設定がどんな時代になっていても、分かりやすく丁寧な説明があって、読みやすいように美しく整えられた文章ならば、知らない時代や国へ入っていくのに壁はありません。
ざっくり過ぎると、抜け落ちてピースがはまらない所が気になって先に進めませんね。
山あり谷ありではなくても、細かい描写を追うことにワクワクすることはありますし、日常を描いた物語でも引き付けられるのはそういうことなんだと思いました。
日常を描くなかに作者のメッセージがあり、それが子どもの真実を見抜く目にこたえるものであれば、次の世代の子どもにもまた支持されるのですね~

10章ファンタジー
引用「ファンタジーは、独創的な想像力から生まれるものであって、その想像力とは、私たちが五官で知りうる外界の事物から導きだす概念を超えた、よりふかい概念を形成する心の働きである。」
わたしなど、まったくに近いほどよくわかりませんが、勉強会のおかげで、つまり、とんでもなく思いつかない所から、奇想天外な世界観を作り出して成功したものがファンタジーとして残るということでしょうか?
世の中のファンタジー好きのかたには申し訳ないのですが、たぶんわたしはファンタジー音痴です(笑)
子どもの時に『ドリトル先生』を読んだことを思い出しましたが、「ふ~~ん」で終わったことも思い出しました。
わたしは何か現実にだけ囚われているような、ファンタジーの世界に入り込めないような生活だったんだろうか?
でもね、こうして今になってではありますが、この章でファンタジーを勉強し、ヤンさんやみなさんがいろんなファンタジーの本の話をされるのを聞いているのは興味深く、楽しく聞かせてもらいました。
避けていたわけではないけれども、他の本ばっかり読んでファンタジーの古典には手を出してませんでした。
が、しかし、最近読んだ『ホビットの冒険』はとっても面白かったです。
みなさんの話の輪に入れるように頑張ります。
宿題は、『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』も)を読んでくること。
P307の3行目まで進みましたが、この次はアリスについての部分になるからです。

勉強会では、ホントはもっともっと実のあることを読んだり聞いたりしたんですよ!
でも、わたしの能力的に無理_| ̄|○
この報告はとてもざっくりで、自分で言いますが残念です_| ̄|○
勉強会が終わって、研究クラス用の本を借りようと書架をウロウロしてました。
すると、いま習ったばっかりの『人形の家』(ルーマー・ゴッデン/岩波少年文庫)が目の前に!
これは、「読みなさい」という神の啓示かと観念して、借りなければいけない本と読まなければならない本の上に乗せたのでした(笑)
いまちょうど、『ジーブス』シリーズを借りてないので、今のうちに読みます。
ではまた次は9月に!!