「日記」カテゴリーアーカイブ

『語りの森昔話集2 ねむりねっこ』ができました💖

ねむりねっこっていうのはね、妖怪。
スロベニアに棲んでるの。
くまとかが冬眠するでしょ。あれって、ねむりねっこのせいなんだって。
とりつかれたら、人間も眠ってしまうの。
ヤンはときどき、電車とか机の前で意識不明になるけど、ねむりねっこのせいなんやな。

で、『語りの森昔話集2ねむりねっこ』読んでくださいね~
市場に流通していないので、各地のかたは地元の図書館にリクエストしてもいれてもらえません。でも、寄贈してくださることはできる。図書館に寄贈しますって、語りの森に申し出てくだされば、送料無料にします。
じつは図書館に置いてもらってたくさんの人に語ってもらいたいの。
ほんとは無料でお分けしたいんだけど、みんなの会費から作ってるので赤字にはできなくてね。
それに10巻まで出したいし。

第1巻のおんちょろちょろとの大きな違いは、原話の幅を広げたこと。
「原話資料」のページを見てみてね。
再話を本にするのに原話の著作権者に前もってご挨拶するの。
だから今回はご挨拶する先生がたや出版社のかたがう~んと増えた。
みなさま、とっても好意的で、いただくコメントにお人柄がにじみ出ていて、嬉しかった。

あ、それから、みなさんにご協力してほしいことがあります。
おんちょろちょろのアンケートにお答えしていただきたいの。
HOMEからできますが、こちらからもできます。→アンケート
みなさんがどの話を気に入ってくださっているのか、どこでどの話を語ってくださってるのか、知りたくて。
お名前は任意なので、私たちにもどなたが書いてくださったか分かりません。だから気楽に書いてくださるとうれしいです。
ぜひぜひお願いします。励みになります。

よろしく~

ドリルでダダダ~? 💔

夫が八年ぶりに心臓のカテーテル治療を受けた。
十年前に心筋梗塞を起こしてずっと治療中なんだけどね、ひさしぶりに診てみよか、ってことで診てもらった。
そしたら、またまた細~くなってる冠状動脈が見つかったの。

血管に石みたいなもんがくっついてて、それをドリルで穴開けて、薬のついた風船を入れてふくらましてもらったの。
想像できる?
すごいね~
動画でビフォーアフターを見せてもらったら、ばっちり血管が太くなってた。

わたし「まあ・・・」
先生「恐がることはないです。こうやってときどき修復したらええんですから」

ものすごい技術革新。
お医者様の集中力。
十年前には、十年後の生存率がどうのこうのって、話だったのに。

何にもしてない、ただ待ってただけのわたしがめっちゃ疲れた~笑
今日は早く寝よう\(^o^)/

春眠 🌸

夫「よう寝たか?」
わたし「うん、6時間はねたと思う。寝た?」
夫「あんまり寝られへんかった」
わたし「何時間くらい寝た?」
夫「寝てたし分からへん」
わたし「・・・・」

間の抜けた会話が続く今日この頃。
年をとると話題が少なくなるが、会話が少なくなるわけではない。
必然的に、同じ話題をくりかえす。
しかも、相手の言うことはすでに分かっている。

それもまた平和のおかげと思えるのは、老境(笑)

きのうの長倉さんの報告会はとてもよかった。
そして、ふと思った。
いろいろな分野の同年代の人の生き方をもっと知りたいなと。

先が見えてくると、今やっていることをもっと良いものにしていきたい思いと、別のあたらしいことに挑戦したいという思いと、とっても欲ばりになってしまう。

でもね、まずは、語りの森を大きく育てよう。
木の下で子どもたちの笑いがはじけるような森にしたい。

あさっての日曜日は💖

京都は今日は雨がふって、とっても寒くなりました。
あさって日曜日はいいお天気になるそうな。
ちょっとおでかけしませんか?

ヤンは、仲間たちといっしょに長倉洋海さんの「アフガニスタン山の学校支援の会」の活動報告を聞きに行きます。
報告会については以下の通り。ちらしから抜粋しますね~

日時:3月18日(日) 13:30 受付開始
13:50-15:10 活動報告
長倉代表よりスライドをお見せしながら、子どもたちの学校や村での生活を通して、14年間の活動と子どもたちの夢や現在をお伝えします
15:20-16:10 ビデオ映像「山の学校の記録」&質疑応答
場 所:京都教育文化センター 101号室 京都府京都市左京区聖護院川原町4-13
 JR京都駅からJR奈良線で東福寺駅下車 京阪電車乗り換え神宮丸太町駅下車 5番出口より徒歩3分
 JR京都駅から市営地下鉄 丸太町駅下車 市バス 202・204・65・93系統で丸太町京阪前下車 徒歩5分
 阪急電車 四条河原町駅下車 市バス 201・31・203系統で熊野神社前下車 徒歩5分
参加費:1000円
お申込みは不要です みなさまのご参加をお待ちしております!

去年9月にETV特集で、「マスードと写真家長倉洋海の夢」っていうのがあったのです。
ヤンはビデオで見たんだけどね、子どもたちが学用品を手にしてとっても嬉しそうなの。
あのわずかな寄付金が、この子の笑顔になったと思ったら、涙が出た。

自分がこの支援の会をどうやって見つけたのか、毎年3000円の寄付をどうして続けたのか、よくわからないのです。
あれ? 5000円だったかな? それさえあいまい。

たぶん、同時多発テロの後、アメリカが報復をした。そのときに、はじめてアフガニスタンについて考え始めたと思うのです。
ペシャワール会の中村哲さんの講演も聞きに行ったし、テロや中東の戦争記事が目に留まるようになった。
たとえば、空爆(ときには誤爆)で、200人がなくなったという記事。
わが子が死んだら、私を含め何人の心が深い傷を負うだろう。1でも200でも、数では表せない命やないか。
そんな憤りとか、ほな、私は何をしたらええのんか、その無力感とか。
それが理由かもしれません。

わたしは、日々、ボランティアで子どもたちと共にいて、ひとりひとりの笑顔をどんなに求めているか。
同じ地球の上で、アフガニスタンのあの子たちの笑顔と私を、支援の会はつないでくれているんだと、ビデオを見てとっても嬉しかった。

で、行ってきます。
感謝をこめて!

みなさまもよろしかったらどうぞ。
グッズ販売もあるんだって。

近くには京都の見どころがいっぱいですよ~

明治のイクメン👨

講談社学術文庫に『イザベラ・バードの日本紀行』ってのがあってね。けっこうおもしろくて好きなのです。
イザベラ・バードはイギリスの大旅行家。
体調がよくないから療養のつもりで日本を旅しようと思ったんだって。
1878年っていうから140年前のことです。徳川幕府がたおれてたった10年後。
なんて勇気のある女性なんでしょう。通訳はつけていますが、ほとんどひとり旅だよ。
結局、療養どころかたいへんな旅だったんだけど、見聞を書き残してくれています。

でね、この紀行文が当時の日本をすべて表しているとは限らないけどね、子どもや親についての観察が興味深い。
日光を旅したときのこんな記述があるの。
夕方ね、「男たちが帰ってくると、活気が少々増します。お風呂で威勢よくお湯を使うばしゃっという音が聞こえ、そのあと男たちは幼い子供たちの遊び相手をします。・・・子供たちは両親といっしょに遅くまで起きており、おとなの会話にもすべて加わります。」
ううむ。昔話も語られたのかなあ。
「これほど自分の子供たちをかわいがる人々を見たことはありません。だっこやおんぶをしたり、手をつないで歩いたり、ゲームをやっているのを眺めたり、いっしょにやったり、しょっちゅうおもちゃを与えたり、遠足やお祭りに連れていったり、子供たちがいなくては気がすまず、また他人の子供に対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます。父親も母親も子供を自慢にしています。」
ふうん。当時のイギリスではそうではなかったんだ。あ、いや、世界を旅行した人だから、これって、日本独特の風景だったんだ。
このあたりの描写は、現代日本と似ているよね。ここまで濃くないかもしれないけど。でも、つぎの描写にはびっくりした。
「毎朝6時に12人から14人の男が低い塀に腰をかけ、2歳以下の子供を抱いてあやしたり遊んでやったりして、その子の発育のよさと利口さを見せびらかしているのを見るのはとても愉快です。・・・この朝の集いの主な話題は子供のことのようです。」
父親が出勤前に子守をしてる! イクメン!
男も女も子どもをかわいがったんやなあ。

そして、子どもについての観察です。
「とても素直で言うことをよく聞き、両親の手伝いをよくし、自分より年少の子供たちの面倒をみます。それに、わたしは遊んでいるときの子供たちをずいぶん見ましたが、怒っていることばを耳にしたことはおろか、不機嫌な顔をしているのを見たことすら、一度もありません。」
いいなあ、いいなあ。
いじめなんてありえない。
でね、これは、おとなが子どもをだいじにするからじゃないかなと思うの。

災害があったり、飢饉があったりしたら、こんな平和な光景ではないんだろうけど。
でも厳しい時代だからこそ、肉親の愛が必要だったんじゃないかなとか、いろいろ考えてしまいます。

『イザベラ・バードの日本紀行』いちど読んでみてください。