「昔話の本質と解釈」カテゴリーアーカイブ

昔話の解釈ー賢いグレーテル7👩‍🍳

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。

第5章賢いグレーテル

食べることしか考えないグレーテル、楽なほうしかとらないハンス。
では、「賢いエルゼ」のエルゼは???
リュティさんは、「賢いエルぜ」はずっと暗いと言います。

笑い話ではあるんだけど、暗い。
おはなしひろばにあげてあるので聞いてみてください。こちら⇒
これ、たしかに、実際に子どもたちに語ったことはないのね。
嫌いな話ではないんだけど、大勢で聞いて笑えるという楽しさは感じられなくって、子どもに語りたい気持ちにならなかった。
リュティさんの解説で、その理由の一端が分かったように思う。以下、まとめますね。

「賢いエルゼ」は大きく二つに分かれます。
前半は、エルゼが結婚するまで。
後半は、エルゼが結婚してから。

前半。
エルゼが本当に賢かったら結婚したいと言って、男がやってくる。
エルゼはまだ起きてもいない事故を心配して、つまり来るべき不幸を思って泣くんですね。そのエルゼを見て、父親も母親も、なんて賢いんだろうと感心して、いっしょに泣きます。それを見た男が、感激して、エルゼと結婚する。

未来の災いを思って無益なわずらいをする人々を種にした笑い話は世界中どこにでもあります。
エルゼの類話では、男があきれて、逃げ出します。そのとき、「もっと馬鹿な人間に出会ったら、その時には帰ってくる」と言って出ていくんですね。そして、もっと馬鹿な人にあうんですよ。だから、もどってきて主人公と結婚する。

アラビアの話では、賢くて心の正しい兄弟がいて、ふたりとも大臣になる。独身なんだけど、あるとき、ふたりは、こんな相談をします。
もしも結婚して、一方に娘、一方に息子が生まれたらお互いに結婚させようと、一方がいう。すると、もう一方が、いや、結婚させたくないと断る。そのことで二人は激しい言い争いになり、抜刀!
それを見た王さまが、いったいこのケンカは何のためなのかとあきれる話。

人間が未来のことに頭を労し、計画を立て、前もってそなえるのは、人間の優れた長所です。賢い人は用意周到に徹底して準備します。
そういう意味で、エルゼは本当に賢いのです。
けれども、それが行き過ぎると、害になる。
人間の部分的な力が人間全体を覆うに至れば、知恵は愚かさに変わるとリュティさんは言います。
そして、さらに、人間の美徳や悪徳、力や好みは、それが正当な権利のうちにとどまっている限り、望ましいものであるか、少なくとも無害なものであるが、それを極端化して意味を無意味に変ぜしめるのが、笑い話の特徴なのだと言うのです。

このことは、ハンスにもグレーテルにもいえますね。

はい、今日はここまで。
次回は「賢いエルゼ」の後半を読み解きます。
聞くなり読むなりしておいてくださいね~

 

 

昔話の解釈―賢いグレーテル6👩‍🍳

マックスリュティ『昔話の解釈』を読む

第5章賢いグレーテル

まだつづきますよ~
グリムの笑い話の中でも「幸せハンス」はピカイチなんですが、類話を調べると興味深いことが見えてきます。

ロシアの類話「とりかえっこ」(『ロシアの民話下』岩波文庫)では、お百姓の夫婦の話になっていて、夫がハンス同様、値打ちのないものと次々取りかえっこして、最後はただの棒きれを持って帰るんですね。すると、おかみさんが、腹を立てて、その棒きれで夫を殴るという結末です。
ハンスは結末で精神的な幸せを手に入れますけど、この主人公は痛い目にあうだけです。

さて、このロシアの「とりかえっこ」のように、「幸せハンス」の類話は、多くが夫婦の話になっています。そして、つぎつぎに価値のないものと取りかえていくというモティーフが核になっていますが、結末が異なる。というか、くっきり二つに分かれます。

前回の終わりに、つぎはアンデルセンの「父さんのすることはいつもよし」ですよって、書きましたけど、読みましたか?
では、報告です。

愉快な交換の話には類話がたくさんあるけれども、「幸せハンス」とは違って、主人公が最後に文無しにならずに、また上へ押し上げられるような話もあります。アンデルセンによる再話「父さんのすることはいつもよし」がそれです。

連鎖はこうです。
馬→牛→ひつじ→がちょう→にわとり→一袋の腐ったリンゴ
で、お百姓が居酒屋でにわとりを腐ったリンゴと取りかえているときに、それを見ていたふたりのイギリス人が、お百姓に、
「おまえさん、家に帰ったら、おかみさんにとっちめられるぞ」と忠告します。すると、お百姓は、こういったのです。
「とんでもない、キスしてもらえるよ。ひどい目になんかあうものかね」
そこで、イギリス人は、賭けをもちかけます。
おかみさんがキスをしたら大枡いっぱいの金貨をやるというのです。

さて家に帰ると、お百姓は、連鎖を繰り返して話します。おかみさんは、値打がなくなるたびに、喜びます。そして、最後は、腐ったリンゴをケチな校長先生の奥さんにやれると言って喜びます。ちょうどその直前に、おかみさんが、ねぎを貸してもらいに行ったら、奥さんが、「うちの庭には腐ったリンゴだってありゃしません」と断っていたのです。
腐ったリンゴがちょうど間に合う。これ、昔話のパロディです。
昔話では主人公は、まさに必要とするものを手に入れるでしょ
そして、おかみさんは、お百姓にキスをします。
賭けに勝ちました。

イギリス人は、
「どんどん落ち目になっていくのに、ちっとも朗らかさを失わない。これは確かにそれだけの金の値打ちがある」といって、笑って金を支払います。
このことを、リュティさんは、イギリス人は「仕合わせハンス」をちょっぴり自分の中に取り入れているといいます。

ところで、類話を調べてみると、先述のロシアの「とりかえっこ」には賭けのモティーフはありません。けれども、アンデルセンのように、賭けのモティーフのあるものが比較的多いようです。
たとえば。
スウェーデン「夫婦は一体」(『世界の民話・北欧』ぎょうせい)
アイスランド「いい女房を持ってるな」(『世界の民話・アイスランド』ぎょうせい)
アルバニア「やつのすること大当たり」(『世界の民話・アルバニア他』ぎょうせい)
ウクライナ「仲むつまじい夫婦生活」(『世界の民話・ウクライナ』ぎょうせい)
興味のあるかたは読んでみて下さい。
もう一話、インドの「水牛が雄鳥になる話」(『インドの民話』青土社)が、結末が少し違っていて、なんだかほっとする話なので、近々再話して《外国の昔話》で紹介しますね。語りたいです。

ここから寄り道ですが、いまインドの昔話を読んでてね、めっちゃ面白いの。
なんでインドかっていったらね、昔話の起源がインドにあるっていう仮説があるでしょ。グリムもそのことを考えてるのね。で、ほんまかどうか真偽のほどは定かでないらしいけど、じゃあ、インドにはどんな昔話が残ってるんだろうって、そこはかとなく思ったの。ヴェーダとかパンチャタントラとかの古典じゃなくて、現代の口承に興味を持った。
インドはイギリスの植民地だったし、ヨーロッパからの影響は強い。でも、え、こんな話聞いたことないぞというような珍しい話もある。
それに、同じ話の類話でも、他の民族に比べて哲学的な色合いが濃いように思います。
「水牛が雄鳥になる話」の結末も、他のインドの昔話に通底するものがあるようです。

で、戻ります(笑)
ブータンの「ヘレーじいさん」はグリム「幸せハンス」と同じ結末ですが、楽しい心のうちを歌いながら帰って行くところは、ハンスよりもっと幸せ感がありますね。
「ヘレーじいさん」は、『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に入れています。おすすめのおはなし、読んでくださいね~

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昨日の更新は《日本の昔話》
笑い話で、「一把のわら」
語ってくださいね~

 

 

 

昔話の解釈ー賢いグレーテル5👩‍🍳

昨日は黄砂で、晴れているのに空が青くなかった・・・(;´д`)ゞ
今日は少しマシですね。でもすっきりしない。

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第5章 賢いグレーテル

なぜ私たちは、後ろ向きの「幸せハンス」を楽しく朗らかな気持ちで聞く(読む)ことができるかでしょう。というのが、今日の課題ヾ(•ω•`)o

リュティさんは、ふたつのことを言っています。

ひとつは、ハンスを笑いものにする、つまり、優越感を味わうのだということ。
それは悪いことではありません。
落語の主人公や漫才のぼけ役、サーカスのピエロや道化師と同じ役目があるってことです。

もうひとつ、こちらのほうが大事なのですが、ハンスといっしょにわたしたちも喜ぶんだということです。
物事を軽く処理するハンスのやり方はすばらしいです。
もう一度読み(聞き)なおして見てください。
引きつったような状態からの解放、緊張からの解放、あきらめの能力、断固として楽なほうを取りつらいほうを取らぬこと、義務の免除を求め、高尚な課題を負わぬこと、それらが、生のリズムの一部をなしていると、リュティさんは言います。
徹底していますよね。わたしたち、人生だけでなく、日常生活でさえ、ここまで徹底して楽なほうを選ぶことができますか?
ハンスはできるんですね。
今直面している困難を、こんなふうに回避できたらどんなに幸せだろう。その気持ちが、朗らかな笑いになるのです。

魔法昔話(本格昔話)では、主人公は、危険や難しい課題に真剣に取り組みます。高い目標や高い価値に向かって精いっぱい努力します。グリム兄弟は、その緊張をゆるめるかのように、笑い話をいくつか混ぜています。
人生にはどちらも必要だということじゃないのかな。

グレーテルは、ごちそうを食べることしか考えていませんね。でも、飲み食いのすばらしさを肯定することも、生の一部だとリュティさんは言います。
同じように、ハンスです。
物事に満足し、折り合いをつけ、不快なことを振り払うハンスのやり方をなにがしか身につけることは、だれにも必要なことなのです。

なんだか、ほっとするね(笑)

私たちのうちには誰にでも、賢いグレーテルや仕合せハンスのようなところがなにがしかある。そして、人間存在のこうした面を肯定はするが、生の中心にはすえないというのは、私たち自身の問題である。

そう考えると、ドラマティックな話から笑い話まで、昔話にはいろんな姿の話がある意味がよく分かります。
昔話は諸々ひとまとめにして人間を語ってるんですね。

「幸せハンス」には類話がたくさんあります。
この章では、リュティさんはアンデルセンの「父さんがすることはいつもよし」を取り上げています。次回はこれね。
読んでおいてくださいね~。
『完訳アンデルセン童話集5』大畑末吉/岩波文庫
『子どもに語るアンデルセンのおはなし2』松岡享子編/こぐま社「おとっつぁんのすることは、いつもいい」

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月曜日の更新は《外国の昔話》で、イタリアの「三つのオレンジ」。
すでにアップしてたはずなんだけど、なぜか行方不明に。(っ °Д °;)っ
で、テキストをさらに改訂したものを載せました。

 

昔話の解釈ー賢いグレーテル4👩‍🍳

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第5章 賢いグレーテル

グリムの笑い話の中でも最も人気のあるという「幸せハンス」
ハンスは、7年間働いて、母親のもとへ帰る途中です。
砥石を井戸に落っことして、無一文になり、重荷から解き放たれたハンスは、母親のもとへ帰って幸せになるでしょう。

あれれ、わたしたち、グリム童話を読んでいると、家や親の元から離れて旅に出て、成長して幸せなラストを迎えるって話が多くありませんか?
末っ子で兄さんたちにいじめられながら、命の水を父親のもとに持って帰り、お姫さまと結婚して父の後を継ぐ。
母親に追い出されて、なんども殺される羽目に会って、それでも王子さまと結婚して幸せになる。
そんな話に、魂が浄化されるというか、感動を覚えますよね?

こんなふうに、ふつう昔話は、主人公の出立、発展、成熟を示します。
けれども、「幸せハンス」は、帰還、後戻り、退行を示しています。
そういう意味で「幸せハンス」はアンチ・メルヘン(反昔話)のように思われると、リュティさんは言います。

昔話では、主人公に困難な課題を課します。
けれども、ハンスは、何ひとつ重要な課題に出会わず、不愉快なことにばかり煩わされます。

また、昔話は、主人公に、有能な援助者をあたえます。
けれども、ハンスが出会う援助者は、ハンスをだまします。

ハンスは、つぎつぎと貴重なものを手に入れる代わりに、一段また一段と手に入れたものを失っていきます。
ハンスは、持っているものを人に与えますが、親切心や人助けのためではありません。気楽に楽しくやりたいからなのです。いつも一番楽な抜け道を選ぶのです。

精神分析的にいえば、ハンスと自分を同一視する人は、不安のない子どもの状態に帰りたいと思っていて、そういう生き方は、困難を避けて自己を甘やかし、幻想に生きようとする傾向があると考えることができると、リュティさんは言います。

昔話の主人公は出会う人と真実な関係を結ぶが、幸せハンスは常に見せかけの関係しか結ばない。ハンスには世界への通路がない。

じゃあ、なぜ、そんな話が伝承されているのでしょう?
グリムの「幸せハンス」だけじゃなくって、同じような笑い話はいっぱいありますよね?
どうして、わたしたちは、「幸せハンス」を朗らかに笑って聞くことができるんでしょう?

はい、考えといてください。
次回はそのことについて、報告します。

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昨日のおはなしひろばはグリム童話の「かしこいエルゼ」
幸せハンスはほんとうに幸せなの?と同じく、かしこいエルゼは、ほんとうにかしこいの?
かしこいグレーテルは本当にかしこかったけどね~

 

 

 

昔話の解釈ー賢いグレーテル3👩‍🍳

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第4章「賢いグレーテル」つづき

笑い話について。
昔話を読んでいると、なんだか極端に愚かだったり、極端に残酷だったりして、いいのかなあと不思議に思うことありませんか?
「そんなことないやろ?」って思うこと、ありますよね。そういう場合、多くは笑い話なんですね。もしくは、笑うところ。

緊張からの解放、気楽さ、良心のやましさをちゃっかりごまかすこと、これが、笑話が私たちに提供するものである。

笑い話は、重荷を下ろしたような感じを抱かせてくれるし、高い理想とか難しい要求とかは何もないと、リュティさんはいいます。
落語とか漫才を聞いているときと同じですね。
笑いは、免疫力を高めるっていうけど、その秘密はここにあるんだ\( ̄︶ ̄*\))

昔話では、笑話は、素材がひとりでに展開していくような描きかたをする。もしくは、調子よく連鎖していくように語る。
そういう技法で作られているのね。
たしかに、『おはなしのろうそく』にのってるノルウェーの「ホットケーキ」や、イギリスの「おばあさんとぶた」などなど、そうですね。
連鎖譚とか累積譚ってよばれます。
累積譚については、こちら⇒《昔話雑学》

グリム童話83「幸せハンス」もそうです。
聞いてください。こちら⇒《おはなしひろば》
金のかたまり→馬→牛→ぶた→がちょう→砥石と、連鎖していきます。

「幸せハンス」は、グリム童話集の中で一番人気の高い笑い話だそうです。
終わり近く、ハンスとはさみとぎ屋の会話のなかで、連鎖をもう一度後ろから前へたどっていますね。語り手は、よっぽどこの連鎖を楽しみにしているらしいと、リュティさんは言います。
そうなんです。ここ、語るのとっても楽しいのです。子どもたちを巻き込んで、逆にたどる、その面白いこと!
で、語るときは、そのように語りましょうヾ(^▽^*)))
同じような構造は、「ありとこおろぎ」(こちら⇒)の終わり近く、「六匹のうさぎ」(こちら⇒)の動物たちがライオンに答えるところでも見られます。

それから、牛はミルクやバターチーズを提供してくれるし、豚はベーコンやソーセージがとれるし、がちょうは焼肉や脂が取れます。
つまり、「賢いグレーテル」でみたように、飲み食いの楽しみが原動力になっているのです。快適な生活一般への喜びが大きな役割を演じています。

さて、最後にハンスは無一文になりますね。
砥石を井戸の中に落としてしまいます。
失敗は無意識的な意図から起こる
ハンスは、砥石が重くて重くてたまらなかったんです。それでも、とっても慎重に井戸のへりに置きます。ところが、ちょっとすれただけで、石は井戸の中に落っこちるんですね。こんなうまいやり方でじゃまっけな石を始末してくれた神さまに、ハンスは感謝の祈りを捧げます。
無意識的な意図。昔話は、心理学より先に、このことを知っていたんですね。

ところで、かつて高学年この話を語ったとき、子どもたちが、「ハンスは本当に幸せだったのか」と議論し始めました(笑)
みなさんは、どう思われますか?
いっぽう、「幸せハンス」は、アンチメルヒェンだとも言われています。笑い話の多くがアンチメルヒェンだとも。
はい、次回はこのことについてお勉強します。

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いま、語りの森昔話集を編んでるところなんだけど、せっかくリュティさんから笑い話をお勉強しているんやから、それを意識して目次を組んでいます。
おはなし会のプログラムでも、これ、生かせますね。しっかりしたおはなしの後にばかばかしい笑い話をもってくる。集中の後には重荷を下ろしたような解放感が、必要なんですね。

私たちにとって理論は理論で終わらない。実践で確かめ、実践に生かす。
そのためのお勉強ですよ~

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きのうは、おはなしひろば、春らしく「佐渡のしろつばき」です。
聞いてくださいね~