断捨離はじめました🚮

ほんまかいな(笑)

コロナ休暇もいたについてきた今日この頃。
そろそろ人生の片づけをと思い立って、今日から、断捨離を始めた。

毎日小一時間なら続くだろう。

小一時間やった。
まずはカバン類から。
なんでカバン?
しらんがな。カバンや。

上の子が幼稚園に入る時に作った手提げ袋!
阪神淡路大震災の後に買ったお出かけリュックの初代。
あの経験から、お出かけは必ず、両手が空くリュックだ。
けど、四つもいらんやろ。背中はひとつや。
まだパンプスをはいていたころのショルダーバッグ。
まだヒールをはいていたころのハンドバッグ。
ブックトーク用の本をはこぶ袋。
どんだけ本を運ぶねん。もう仕事は終わった。

小一時間でカバンは片付いた。
カバンは三分の一に減った。
もう絶対に増やさへんぞと決心する。

明日は何を片付けよっかな~
けっこう気分がさっぱりしたo(*^@^*)o

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今日は更新の日だよん。
《昔話雑学》はアイヌの語りについて。
《日本の昔話》は「天道さま金のくさり」。けっこう気に入ってるの。語ってくださいね~φ(゜▽゜*)♪

 

 

 

4月 初級講座報告

日差しは暖かく、風は強く冷たいこの頃ですね。色んな花々も嬉しそうに咲いています。この風でぶんぶん揺れてます!そうやって、風が夏をつれてくるのかな。「まだまだ~」と寝ぼける夏を風が引っ張る様子がイメージされます。こちらはこちらで、季節問わず年中シュッシュッと、みなさん慣れた手つきで会場準備です。

ヤンさん 手遊びとおはなし 

ぎおんの夜桜♪ ひとり、ふたり、さんにんのこども (おはなしのろうそく26)

1.ついでにペロリ『おはなしのろうそく6』東京子ども図書館

入門クラスで初めて覚えたおはなし。今回、テキストの細かい部分を見直すことができ、新たな発見があった。いけると思って臨んだが、緊張した。リラックスして語るにはどうしたらよいかが、課題だと感じた。第一歩目のおはなしとして、自分にとって大事なもの、我が子が飽き飽きしながらも(笑)練習に付き合ってくれた、とのことでした。

ヤンさん…入門クラスの時からまたよくなっていた。ある程度の緊張はあっていい。大人対象だと緊張するね。子供の前だとそこまで緊張しない。(みなさんの声)場数を踏んでいくことでほぐれてくる

2.ラ・レアールの修道院長『語りの森HP』語りの森

こちら私です。頭痛持ちの王様がのんきな太った修道院長に3つ問題をだしますが、その間を取り持つ修道院の料理人の姿があります。私のイメージ…料理人はヤジロベーの真ん中の存在です。死と再生もテーマの一つで(私の予想)、問題に答えていく料理人が、だぶだぶの修道院長の服をするりと脱ぐ時、このシーンは痛快です。練習期間中に語りのヒントはないかと、ふと落語のことを思い出し、YouTubeで聞いてみました。米朝さんの「持参金」、おもしろかったです。落語の雰囲気!を取り入れたような形で、楽しく語れました。

ヤンさん…テキスト冒頭、修道院長の性格を表している会話文「王様、それはあなたがいつも…」を気軽に答える。そうすることで、話の課題がはっきりする(王様が院長をこらしめたい)。会話文の後の地の文、区別が分かりにくいところがあり、分かるようにする(間、言い方)。最初に出てくる「銀貨」「金貨」、ん ん わかるように言葉を立てる。落語は’間‘がなにより大事なもの。

3.首の短い男の話『語りの森HP』語りの森

好きなおはなしで、エントリー前から時々テキストを読んでいた。アイヌの村長の語りで難しかった。練習を録音して聞くとのっぺりしている。初級クラスでこの難しいおはなしを選んでしまったが、とても好きな話。首の短い男となって人間界に現れた「首のもげたとっくり」は自分の素性がわからなかったがために悪さをしていた。素性・育ちのベースのような部分。語り手自身の子供の頃、身近におはなしを語る人はいなかったが、父がお酒を飲んだ時には「あの話して!」と、実体験話なんかをよく聞いていた。子どもは大人のおはなしを聞いて、安心して大きくなっていく、自分の能力に気付くような所があるように思う、とのことでした。

ヤンさん…アイヌの語りは「わたし」一人称で語るので、慣れていないから難しい。それと同時に、難しものに挑戦することによって、手に入るものは大きい。覚える、語る、人前で語る、その段階ごとに自分のものになる。テキストの語りについて、「小便飛ばしをしよう」と男がいうところが、子どもが言っているように聞こえたので、神的な存在であることを性格付けする。また、「御幣(ごへい)」アイヌではイナウといって、日本のものとは違って、木から削り出したもの。神への供物。岩波書店で、日本語もアイヌ語も堪能だった知里幸恵さんの本がある(アイヌ神揺集)。本を読むことで、アイヌについて自分の中に持っている世界が変わる

なぜ、アイヌの語り手は一人称で語るのか?…質問されたご本人Uさんの宿題となりました♪

4.ひなどりとねこ『子どもに聞かせる世界の民話』実業之日本社

小学校で朝学習に語る予定、ねこの気ままさ、平和なおはなしが気に入った。語っている時に、テキストと違うなと自覚しながら語っている部分もあった、とのことでした。

ヤンさん…ちょっと猫が恐かった。知らないおばちゃんの語りとなると、こちらが思ってる以上に怖さなどを聞き手は感じるもの。全体的に薄めて。ひなどりのくしゃみとお母さん鳥のやりとり面白かった。「だめよ」猫に見つからないように隠れているお母さん鳥の言葉、禁止のだめ?焦りのだめ?語り手によって解釈違うが、めんどうくさくなった最後の「いいわ」の言い方も考えてみて。ここで、子どもが「わー!あかん!」となるし、はっくしょん!で喜ぶ。世界に入り込んでいると子供が一緒にくしゃみをしてくれる。聞き手と楽しむおはなしであり、終盤が大事。

Tさん…皆さん初々しく、最初が硬いですが、いつかふわっと緩む時が来る。うまくなったやん私、と思う時が危ない、これは体験談。ヤンさん…過去を思い出し、自分を励ます!(笑)

5.クルミわりのケイト『おはなしのろうそく10』東京子ども図書館

ずっと練習していたがあいだが空いた。前に語ったものなので、大丈夫と思っていた。3回の繰り返しで言葉が変わるところが分からなくなった、練習不足。中学生に語る予定、とのことでした。

ヤンさん…年齢が上がるほど反応がおとなしくなるので、語りにくくはなる。また、本番と同じように練習する。座って語るのと、立って語るのと、お中に入る力が違う。立った方が声出る。また、3回の繰り返しの違い、言葉を完璧に覚える。ストーリーの展開があるので、場面転換で間をとると分かりやすくなる。

6.ほれ薬『語りつぎたい日本の昔話 吉四六さん』小澤昔ばなし大学再話研究会 小峰書店

おもしろい、楽しいおはなしを選んだ。テキストの言葉を自分のものにする難しさ、とんでもないことだと思いながら取り組んだ。覚えている期間の約一カ月に波がある。言葉がすっと覚えられて楽しい時もあれば、すじの運びが分からなくなる時もある。そして、それを超えるとまた楽しくなっていくような、色んな段階がある。語りつつおはなしの世界に入る難しさがあると実感がある。心の耕し方のような部分。いざ人前で語るとなると、あがってまっしろになる。決まった言葉をきっちり覚えて語りたい、とのことでした。

ヤンさん…私も真っ白になったことがある。語り10年目くらいの勉強会での創作話。練習した分すべてを、先生の前で聞いてもらいたいという自意識がでたから。子供の前では真っ白になったことはないなあ。聞き手と楽しむ、気持ちを持っていく。それと、真っ白にならないようにたくさん練習する。つまった時、子どもの情け深い目(笑)があるので、言葉を変えるなり、思い出すなりする。そんな状況も含め、楽しめたら良い。

Tさん…おばちゃんは媒体、イタコ。子ども達は‘おはなし‘を聞いているのだから、私が見えたらよくないと思うようになったら、落ち着くようになった。

ヤンさん…テキスト、ちりりん、ころろん…何の音かなと思ったら下駄の音だった。下駄の音と後で分かればよいが、聞き手を選ぶ。大人や中学生が楽しむおはなし。

みなさんの語りとそれを通しての対話、本当に楽しく充実した、おいしい食べ物を食べるような、栄養ドリンクを飲むような、あったかい言葉のシャワーを浴びるような、奥深い時でした!それぞれの表現でそれぞれ素敵なみなさんの語りが、子供たちに届けられるようにと心から思います。物語は人によって語られ、解放される必要があると、ある人が言っていました。私もおはなし会が終わった後の帰り道、おはなしが喜んでいるなと感じる時があります。聞き手も私も喜んでいるおはなし会ができた時です。自己満足の思い込みかもしれません。一瞬より少し長い時間で、語り手も聞き手もおはなしも、一つに重なる時を感じられると、なんかそんなことを感じます。充足感が体に刻まれるように残ります。そして、その喜びが次に繋がるので、何を覚えようかな、何のおはなしにしようかな、どんな顔するかな!とわくわくします。そうやって、5年、10年とみなさんおはなしの魅力にはまり込んでしまうんですね。ヤンさんが先日ブログで書いていたことを思います。そうやって、おはなしが人間の体を使って生きながらえている、言葉が私たちを使っている!やはり私たちは媒体ですね(笑)

来月はお休み、次回は6月8日(火)です。

昔話の解釈ー賢いグレーテル7👩‍🍳

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む。

第5章賢いグレーテル

食べることしか考えないグレーテル、楽なほうしかとらないハンス。
では、「賢いエルゼ」のエルゼは???
リュティさんは、「賢いエルぜ」はずっと暗いと言います。

笑い話ではあるんだけど、暗い。
おはなしひろばにあげてあるので聞いてみてください。こちら⇒
これ、たしかに、実際に子どもたちに語ったことはないのね。
嫌いな話ではないんだけど、大勢で聞いて笑えるという楽しさは感じられなくって、子どもに語りたい気持ちにならなかった。
リュティさんの解説で、その理由の一端が分かったように思う。以下、まとめますね。

「賢いエルゼ」は大きく二つに分かれます。
前半は、エルゼが結婚するまで。
後半は、エルゼが結婚してから。

前半。
エルゼが本当に賢かったら結婚したいと言って、男がやってくる。
エルゼはまだ起きてもいない事故を心配して、つまり来るべき不幸を思って泣くんですね。そのエルゼを見て、父親も母親も、なんて賢いんだろうと感心して、いっしょに泣きます。それを見た男が、感激して、エルゼと結婚する。

未来の災いを思って無益なわずらいをする人々を種にした笑い話は世界中どこにでもあります。
エルゼの類話では、男があきれて、逃げ出します。そのとき、「もっと馬鹿な人間に出会ったら、その時には帰ってくる」と言って出ていくんですね。そして、もっと馬鹿な人にあうんですよ。だから、もどってきて主人公と結婚する。

アラビアの話では、賢くて心の正しい兄弟がいて、ふたりとも大臣になる。独身なんだけど、あるとき、ふたりは、こんな相談をします。
もしも結婚して、一方に娘、一方に息子が生まれたらお互いに結婚させようと、一方がいう。すると、もう一方が、いや、結婚させたくないと断る。そのことで二人は激しい言い争いになり、抜刀!
それを見た王さまが、いったいこのケンカは何のためなのかとあきれる話。

人間が未来のことに頭を労し、計画を立て、前もってそなえるのは、人間の優れた長所です。賢い人は用意周到に徹底して準備します。
そういう意味で、エルゼは本当に賢いのです。
けれども、それが行き過ぎると、害になる。
人間の部分的な力が人間全体を覆うに至れば、知恵は愚かさに変わるとリュティさんは言います。
そして、さらに、人間の美徳や悪徳、力や好みは、それが正当な権利のうちにとどまっている限り、望ましいものであるか、少なくとも無害なものであるが、それを極端化して意味を無意味に変ぜしめるのが、笑い話の特徴なのだと言うのです。

このことは、ハンスにもグレーテルにもいえますね。

はい、今日はここまで。
次回は「賢いエルゼ」の後半を読み解きます。
聞くなり読むなりしておいてくださいね~

 

 

ねえねえ、おはなしってね💖

ねえねえ、おはなしってね、語ってほしがってるんだって~

インドの昔話を読んでるとね、こんな昔話があったのよ。

ある男が使用人を連れて遠くの村に出かけて行った。
とちゅうで、小屋に泊まって、晩ご飯を食べてから、使用人が男に、「ひとつ、お話をしてくだせえ」っていった。
けれども、男は疲れてたので、そのまま寝てしまった。
男がぐっすり寝てしまうと、四つの話が男のお腹の中から出てきて、話し合いを始めた。
「この男は幼い時からおれたちを知っていたくせに、だれにも話してくれない。こいつの腹の中で無駄に暮らすことはない。こいつを殺して誰かほかの人と暮らそう」
「おれは、こいつがご飯を食べようとしたら、最初のひと口を針に変えよう。そいつを飲みこんだらこいつは死ぬだろう」と、一つ目の話が行った。
「それでも死ななかったら、おれは、道端の大木になって、こいつの上に倒れてやろう」と、二番目の話が言った。
「それでも死ななかったら、おれは、蛇になってかみついてやろう」と、三番目の話が言った。
「それでも死ななかったら、こいつが川をわたるとき、大波を起こしてさらってやろう」と、四番目の話が言った。
使用人は目を覚ましてこの話し合いを聞いていた。
つぎの日、四つの話のいった通りのことが起こるんだけど、使用人が、先手を打って男を助けてやる。
男が使用人になぜ知っていたんだと聞くと、使用人は、それは話せない、もし話したら石になってしまうからといった。けれども、石になった自分を、男の孫に投げつけたら、自分は生き返るのだと。
使用人は一部始終を話して石になり、男の息子の妻が子どもを投げつけたので、使用人は生き返った。  「話されない話」

ざっと、あらすじだけだけどね、強烈におもしろいでしょ。
お話に意思があって、強い感情も持っているのよ。人間に復讐するくらいだからね。
で、お話にしてみれば、人間が自分を話すことで、自分は生きているのね。

だからね、みなさん、知ってるお話は、だれかに語らないとだめなんですよ。
復讐されちゃうよ(笑)

この昔話は、『インドの民話』A・K・ラーマ―ヌジャン編/中島健訳/青土社 に載っています。
この本の序論に、物語は、解釈という行為においてのみ繰り返し存在することが可能になると書いています。「解釈」っていうのは、話を聞くときに起こるし、それを語る時にも起こりますね。ほら、同じ話でも、聞く人によってとらえ方が変わるし、語り手によっても違う話に聞こえる時ってありますよね。つまり、ひとりひとり解釈が違うということなのね。そういう意味では、「再話」も「解釈」ですよね。ある資料を読んで私が解釈したのが、わたしの再話。ね。

そこで、はたと気が付いた。
同じ話型の話でも類話がいっぱいある理由に!
だって、地球上に今生きている、そして、今まで生きてきた人たちが、ひとりひとり解釈したら、同じ構造の話でも細部のみならずテーマまで変わって当然だって。
究極の多様性!!!

ラーマ―ヌジャンさんは、ある物語を知っていたら、それを語ることは、他の人々(聞き手)に対してだけでなく、物語そのものに対する義務なんだっていいます。
伝承は手入れが行き届いた状態に、伝達される状態に保たねばならない。さもないと、やっかいなことが起こるよと、「話されない話」はいっているのです。

はい、語りの森のテーマですね。
気に入ったお話を、あなたの愛する人に語ってください。

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今日は午後におはなしひろばを更新します。
エチオピアのかわいいおはなし「うさぎ」
すぐ覚えられるから、聴いて、伝えてくださいね~

 

 

昔話の解釈―賢いグレーテル6👩‍🍳

マックスリュティ『昔話の解釈』を読む

第5章賢いグレーテル

まだつづきますよ~
グリムの笑い話の中でも「幸せハンス」はピカイチなんですが、類話を調べると興味深いことが見えてきます。

ロシアの類話「とりかえっこ」(『ロシアの民話下』岩波文庫)では、お百姓の夫婦の話になっていて、夫がハンス同様、値打ちのないものと次々取りかえっこして、最後はただの棒きれを持って帰るんですね。すると、おかみさんが、腹を立てて、その棒きれで夫を殴るという結末です。
ハンスは結末で精神的な幸せを手に入れますけど、この主人公は痛い目にあうだけです。

さて、このロシアの「とりかえっこ」のように、「幸せハンス」の類話は、多くが夫婦の話になっています。そして、つぎつぎに価値のないものと取りかえていくというモティーフが核になっていますが、結末が異なる。というか、くっきり二つに分かれます。

前回の終わりに、つぎはアンデルセンの「父さんのすることはいつもよし」ですよって、書きましたけど、読みましたか?
では、報告です。

愉快な交換の話には類話がたくさんあるけれども、「幸せハンス」とは違って、主人公が最後に文無しにならずに、また上へ押し上げられるような話もあります。アンデルセンによる再話「父さんのすることはいつもよし」がそれです。

連鎖はこうです。
馬→牛→ひつじ→がちょう→にわとり→一袋の腐ったリンゴ
で、お百姓が居酒屋でにわとりを腐ったリンゴと取りかえているときに、それを見ていたふたりのイギリス人が、お百姓に、
「おまえさん、家に帰ったら、おかみさんにとっちめられるぞ」と忠告します。すると、お百姓は、こういったのです。
「とんでもない、キスしてもらえるよ。ひどい目になんかあうものかね」
そこで、イギリス人は、賭けをもちかけます。
おかみさんがキスをしたら大枡いっぱいの金貨をやるというのです。

さて家に帰ると、お百姓は、連鎖を繰り返して話します。おかみさんは、値打がなくなるたびに、喜びます。そして、最後は、腐ったリンゴをケチな校長先生の奥さんにやれると言って喜びます。ちょうどその直前に、おかみさんが、ねぎを貸してもらいに行ったら、奥さんが、「うちの庭には腐ったリンゴだってありゃしません」と断っていたのです。
腐ったリンゴがちょうど間に合う。これ、昔話のパロディです。
昔話では主人公は、まさに必要とするものを手に入れるでしょ
そして、おかみさんは、お百姓にキスをします。
賭けに勝ちました。

イギリス人は、
「どんどん落ち目になっていくのに、ちっとも朗らかさを失わない。これは確かにそれだけの金の値打ちがある」といって、笑って金を支払います。
このことを、リュティさんは、イギリス人は「仕合わせハンス」をちょっぴり自分の中に取り入れているといいます。

ところで、類話を調べてみると、先述のロシアの「とりかえっこ」には賭けのモティーフはありません。けれども、アンデルセンのように、賭けのモティーフのあるものが比較的多いようです。
たとえば。
スウェーデン「夫婦は一体」(『世界の民話・北欧』ぎょうせい)
アイスランド「いい女房を持ってるな」(『世界の民話・アイスランド』ぎょうせい)
アルバニア「やつのすること大当たり」(『世界の民話・アルバニア他』ぎょうせい)
ウクライナ「仲むつまじい夫婦生活」(『世界の民話・ウクライナ』ぎょうせい)
興味のあるかたは読んでみて下さい。
もう一話、インドの「水牛が雄鳥になる話」(『インドの民話』青土社)が、結末が少し違っていて、なんだかほっとする話なので、近々再話して《外国の昔話》で紹介しますね。語りたいです。

ここから寄り道ですが、いまインドの昔話を読んでてね、めっちゃ面白いの。
なんでインドかっていったらね、昔話の起源がインドにあるっていう仮説があるでしょ。グリムもそのことを考えてるのね。で、ほんまかどうか真偽のほどは定かでないらしいけど、じゃあ、インドにはどんな昔話が残ってるんだろうって、そこはかとなく思ったの。ヴェーダとかパンチャタントラとかの古典じゃなくて、現代の口承に興味を持った。
インドはイギリスの植民地だったし、ヨーロッパからの影響は強い。でも、え、こんな話聞いたことないぞというような珍しい話もある。
それに、同じ話の類話でも、他の民族に比べて哲学的な色合いが濃いように思います。
「水牛が雄鳥になる話」の結末も、他のインドの昔話に通底するものがあるようです。

で、戻ります(笑)
ブータンの「ヘレーじいさん」はグリム「幸せハンス」と同じ結末ですが、楽しい心のうちを歌いながら帰って行くところは、ハンスよりもっと幸せ感がありますね。
「ヘレーじいさん」は、『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』に入れています。おすすめのおはなし、読んでくださいね~

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昨日の更新は《日本の昔話》
笑い話で、「一把のわら」
語ってくださいね~