11月度 中級クラス

遅くなりましたが、先週火曜にありました中級クラスの報告です。

♬手遊び しのだのもりの~♬

(語り)

①話十両 『日本の昔話3』/福音館書店(ジェニィ)

男が十年間働いて貯めた十両で「命が助かる話」を三つ買うというおはなしです。三つ目の「短気は損気」のはなしの中で、男が我が家に帰ってきて、女房と会話をする場面、会話文だけで語りたいと思い、「」の前後の言葉を削除しました。ヤンさんからは削除してもいいが、家の中からは女房が~の場合は家の中から話していることが分かるように、声の大きさと間を考えて、また、~といつめました。では、問い詰めている気持ちをこめれば、言葉に表さなくても、聞き手に分かるでしょう、とのことでした。本番では意識して語りたいと思います。

②仙人のおしえ 『日本の昔話5』/福音館書店

所々に手を入れられましたが、三回の繰り返しは出来るだけ同じ言葉で統一するほうがいいでしょう。また、言葉を付け足す場合、言わなくても分かるときは不要です。昔話は心の葛藤を言葉では表しません。どのような気持ちか?それは聞き手が感じればいいので、正解はありませんし、語り手が決めつけて語ってはいけません。自分の思いは大切ですが、語り手はストーリーを伝えるだけで、心は聞き手にあることを忘れずに。

③あめ玉 『はじめてよむ日本の名作絵どうわ3』/岩崎書店

「ごんぎつね」が有名な新美南吉の作品です。一つしかないあめ玉欲しがる二人の子ども。黒ひげをはやした強そうなお侍が刀で半分にわってくれる、というほっこりするおはなしです。

昔話なら「むかしあるところに~」で聞き手が自分でイメージした世界が作られていきますが、創作は情景描写などが細かに書かれているので、言葉一つ一つを理解し、正確に語らなければなりません。例えば初めの 「春のあたたかい日のこと、わたし舟にふたりの小さな子どもをつれた~」とありますが、あたたかい→どれほど?、わたし舟→どんな大きさの?どんな川を渡る? と状況を細かにイメージする必要があります。

新美南吉の本紹介と合わせて、4年生に語られるそうです。

④まぬけなトッケビ 『おはなしのろうそく30』/東京子ども図書館

3年生に「鬼」をテーマにしたプログラムの一つとして語られたそうです。間を入れて語っている部分がありましたが、間を入れると聞き手が何かとイメージしてしまいますので、一気に語りましょう。

⑤王子さまの耳はロバの耳 『語りの森昔話集4』/語りの森

幼稚園で語りたいと覚えられたそうです。「王子さまの耳はロバの耳だよ」を歌いながら語るか悩まれたそうですが、練習しているうちに自分なりのメロディーができたそうです。とっても自然な感じで、一緒に口ずさみたくなりました。

☆きつね女房 『日本の昔話2』/福音館書店(ヤンさん)

今月から息子の小学校でおはなし会が再開されました。今までは図書室で、床に座った状態でのおはなし会でしたが、コロナ禍で教室で机に座ったソーシャルディスタンスを保ちながらのおはなし会に変更になりました。特に低学年で感じたのは、初級クラスの報告でウーカーさんも書かれていますが、一部の子ども達がおもしろいと感じても、机が離れている物理的距離からその気持ちが回りの子ども達に伝染しにくいのです。クラス全体で理解、笑いが起こりにくい状況で、語り手はさらに技術を磨く必要があると感じました。

1年生に「鳥のみじい」を語ったときに↑のように感じたのですが、昨日、2年生に「はらぺこピエトリン」を語ってきました。去年も2年生に語ったのですが、満足のいく語りができませんでした。大好きなおはなしなのですが、自分の思いが強くでているとヤンさんに指摘され、気を付けたつもりだったのですが、一歩引いて冷静に語れず、大切な言葉も流してしまったのだと思います。今年こそはリベンジ!と思い、語ってきました。

2クラスに語ったのですが、最初のクラスで失敗したところは意識して言葉を立て、後のクラスでは上手くいきました。途中から一番前の端にいる男の子が立ち、真ん中の後ろに座っている男の子の顔を見ながら(相槌をうちながら)おはなしを聞いてくれたので、クラス全体に気持ちが伝わったのかもしれません。思った通りの反応があり、最後はバッコルコが死んで「よっしゃー!」と言っていた子どももおり、楽しんでもらえたと感じました。子ども達とおはなしを通じて、気持ちを共有できるのは本当に幸せですね。図書館のおはなし会再開の目途が立たない中、小学校でおはなしの場を設けてもらえるのは、本当に有難いです。頂いた子ども達の貴重な時間を無駄にしないためにも、これからも語りに磨きをかけたいと思います。

余談が長くなってしまい、すみません・・・もう12月、1年が早い!1月と2月のクラスはお休みですが、久々の語法の勉強会がありますね!「まほうの鏡」楽しみです(^^♪

昔話の解釈ー金の毛が三本ある悪魔👿

マックス・リュティ『昔話の解釈』をしつこく読む

ほかの話題も書こうかなと思うんですけど。
世間のこと、身近な笑い話とか。
でも、日記を書くのは苦手だし。若い頃は何度も書こうと思ったんだけどね、いつも三日坊主。日記帳を買うのがもったいなくて、大学ノートに書き始めたら、いつのまにか数学のノートに変わってたり。
このブログってツールは、発信って機能があるから、ウソは書かないようにっていう緊張感があるのがいいな。
まあ、気が向けば読んでください。
でも、いいこと書いてると思うのよ。元の書物がいいからね~

で、続けます。

第3章 金の毛が三本ある悪魔

これは、わたしの持ちネタの中でも、高学年にとびきりウケる話です。
語りの森のホームページでも何度も取り上げてるから、この《井戸端会議》《ステップアップ》の「検索」っていうところで、「三本の金髪をもった悪魔」でさがしてみて。子どもたちがどんなふうに聞くかを書いてます。

さて。

ここで問題です(しょっぱなから~笑)

いばら姫、白雪姫、灰かぶり、赤ずきん、ホレばあさん、七羽のからす、ヘンゼルとグレーテル、兄と妹、蛙の王さま
共通するのは何でしょう?

答え:女性が主人公のグリム童話

リュティさんは、昔話の主人公は、国際的にみれば男性が優勢なのに、ドイツ語圏では女性が圧倒的に多いといいます。
なぜか?

理由その1
グリム兄弟に昔話を伝えたのが主に女性だったからではないか。
語り手というものは話の主人公と自分を同一視するのが好きで、それができる話を選ぶからだって、リュティさんはいいます。
そして、子どもに昔話を語る人にも、女性が多い。母親とか祖母とか、幼稚園や小学校の先生とか保育士とか。

ううむ。みなさんはどうですか?
大きく見ればそんな一面もあるかもしれない。
ただ、わたしは、子どもが喜ぶ話を選ぶことが多いなあ。自分がというより、子どもが主人公と自分を同一視できる話ね。

この理由1は、いったん保留しましょ。
で、つぎ。

ともかくグリム童話のなかで有名な話は、女性が主人公のものが多い。これは事実ね。
そのおかげで、ドイツ語圏以外の国々にも女性主人公の昔話が広がっていった。
『ハンガリアの昔話』の編者アグネス・コヴァチェは、「迫害され、つらい試練に遭う女の主人公がハンガリアの昔話の世界に入ってきたのはドイツの昔話のおかげである」といっています。

理由その2
世界は男性の精神で動いているから、その補償として女性の精神が求められているから。
わたしたちは技術の時代に生きていて、外的生活を支配しているのは、行動主義、多忙、東奔西走。それに対して、文学の領域では、ごく自然に魂を形に表した女性の主人公が求められるって。
女性の主人公の静かなねばり強い忍耐が補償しているって。

ううむ。
たしかに、「世界」というより「社会」は、男性の価値観を中心に動いているね。否でも応でも、そういう社会に生きている。(なんとかしなくちゃね!)
でも、だから、文学の世界は、女性中心・・・というわけでもないような気がする。
あ、ちょっとまって。平安時代、摂関政治は男性による支配の社会。紫式部は、その裏の後宮の女性の世界を描いた。

でもやっぱりこれも想像というか、仮説にすぎないね。証明できる客観的事実はない。だから、理由2も保留にしましょ。

でもね、この二つの理由、とっても興味深いので、ちゃんと覚えておこう。

ここで、リュティさんは、男性主人公の話を見ることにしましょうといって、KHM29「金の毛が三本ある悪魔」について考えていくといっていますよ。
これは、生まれたとき、「14歳になったら王さまの娘を妻にする」という予言を受けた男の子のはなしです。
みなさん、読んでおいてくださいね~

 

 

ふと🕯

何か宗教を信じてるわけではない。
けれど、子どもの頃から、天の上のほうにいて、わたしを見ていて、ときに胸のうちにふわっと降りてきてしあわせにしてくれる、そんな存在を感じてきた。
それはこのキーボードにも土鍋にも壁にも降りてくる。ちょっと汎神論的。

みなさんはどうですか?
そんなことってなかったですか?
わたしだけかな?

それでね、教会とかお寺とか神社とか行くと、特にそれを感じるのよ。
懐かしいの。

さてもうすぐ12月。
12月はクリスマス。
透き通った冷たい空気と、群青の空と、ちかちかする星と。
しんとした気持ちになって、世の中が平和で自分がよい人のような気がしてくる。
クリスチャンじゃないから、何も特別のことがあるわけではないのにね。

チャペル・コンサート、聴かれましたか?
手作りのチェンバロの響き、すてきでしたよ。
アベマリアの独唱も、すばらしかった。
YouTubeで聴けるから、クリスマス月の始まりを感じて見てね~
こちら⇒

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今日は絵本のこみちを更新しました。
高学年の読み聞かせに向く絵本。
クリスマスの絵本もあるよ~

 

 

 

昔話の解釈ー白雪姫 最終回🕯

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫
今日で終わりだよ~

「白雪姫」は、
年を取ることにがまんがならない女の話、そのために苦しめられる若い人間の話、というだけではない。
ねたみとやきもちは悪の一番太い根であることを明らかにしているだけではない。
じゃあ、なにか?
それを越えてさらに人間存在の根本的な特徴をいろいろと見せている
と、リュティさんは言います。

人間存在の根本的な特徴って?

つまり
事物が反対物に転化する驚きと素晴らしさ、
死んだと思われている人間が復活する不思議、
われとわが身に苦しむこと。

われとわが身に苦しむっていうのは、女王が自分のやったことのせいで最後に滅びることを指すんだけど、それだけではないのです。白雪姫自身も、われとわが身に苦しむんですね。ほら、きれいなくしが欲しいとか飾りひもが欲しいとか、りんごが食べたいとか、いっときの欲望に従ったがために殺されるのです。

でも主人公白雪姫には、救済があり、見捨てられた人間が段々と成長してゆく有様が見える。
その救済はどこから来るかというと、こびとという自然界の存在、王子という精神の光を代表する存在、猟師のようにふつうの人間、によって救済されるのです。

思い出してください。
この章の最初で、白雪姫は受け身の主人公だと確認しましたね。みずから行動する主人公ではない。こちら⇒
人の世の息がつまるほど緊張した状態の中で、白雪姫のこの素直さは、魂を象徴しています。
人の魂は、世の中へ出て、そのつらさをなめ、その助けや恵みを受けることによって、一段ずつ成長していくのです。
上への道は、深淵を通るしかなく、光への道は、苦悩と闇を通っています。
そういう魂を、白雪姫は象徴しているのです。

これが、最初の課題、数ある昔話の中で、「白雪姫」のすがたが特に明るく輝いているのはなぜかということへの答えなのです。

昔話は単なる遊びではない。昔話は聞き手の目を人間存在の本質に開かせるものである。

ううむ。禍福はあざなえる縄の如しっていうけどね、「白雪姫」は、そんなふうに転化、倒錯の連続の人生であることを教えてくれるんだ。そして、輝くハッピーエンドが待っているから、救われるんやね。

はい、おしまい。

うまくまとめられたかは???だけど。

次回からは、KHM29「三本の金髪をもった悪魔」について、類話比較しながらテーマを探ります。

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きょうは、おはなしひろば、熊本県のみじか~い伝説をアップしました~
聴いてね~

 

 

昔話の解釈ー白雪姫7👸👸👸👸👸👸👸

マックス・リュティ『昔話の解釈』を読む

第2章 白雪姫 まだつづく

白雪姫って、あまりにも有名で、絵本やアニメで知らない人がいないほどで、しかもほとんどが改ざんされてるので、ちゃんと知ることが大切やと思います。
で、もう少し、続けますね~

前回までで白雪姫のテーマが「倒錯」っていうこと、分りましたね。
それは、さまざまな類話を比較することから、分ってきたんでしたね。類話を多く見れば見るほど、話の内容と意味はますますよくわかるようになると、リュティさんは言っています。

さて、きょうは、創作、というか、白雪姫を素材にした改作の紹介です。

ムゼーウス(ヨハン・カール・アウグスト・ムゼーウス)の白雪姫。
ムゼーウスは、グリム兄弟の前の時代の人で、小説家。ドイツの民話を改作して世に出しています。翻訳が手近なところにないので、作品を確認せずに孫引きします。ごめんなさい。

白雪姫を迫害するのは「まま母」になっています。リヒルデと名前がついています。
ムゼーウスは、このリヒルデのまま母性を極端に前面に押し出しています。
描写が詳しく、まほうの鏡の由来や、最後にリヒルデが履かされる靴を、小人たちがどうやって作ったかとか、およそ昔話らしくない叙述があるようです。
リュティさんは、昔話の流儀を離れ、見掛け倒しの作品を作り上げたと批判しています。
リヒルデが、真っ赤に焼けた靴を履かされて踊るのですが、その苦しみを詳しく描いています。

ぜんぜん、昔話らしくない、おもしろくない改作なんだけど、それでも「倒錯」のテーマは生きています。

バジーレ(ジャンバッティスタ・バジーレ)の白雪姫。
バジーレは、イタリアの詩人、16-17世紀の人、『ペンタメローネ』を書いた人ね。
白雪姫は、リーザという名前です。リーザが生まれると、親切な仙女たちがお祝いに駆けつけて、素晴らしい贈り物をします。ところが、ひとりだけ、遅刻しそうになって、あわてて足をくじいてしまうのね。そして思わず呪いの言葉をはいてしまう。「リーザが七歳になったら、母親が髪をとかしてやっているときに、くしをリーザの頭に忘れてしまって、それがもとでリーザは死ぬ」って。
で、その通りのことが起こる。母親は悲しんで、リーザのなきがらを七重のガラスの棺に納めて、屋敷の一番奥の部屋に入れて、部屋の鍵を肌身離さず持っています。

ううむ。全部書くのは、手がつらい(/▽\)

煎じ詰めれば、お祝いに行こうとして呪いをはいてしまうとか、やさしく髪をとかしていて殺してしまうとか、やっぱり善から悪が生じている、ということなんです。
嫉妬したおばが、死んでいるリーザの髪を手荒く引っ張ったために、リーザは生き返る。これは、悪が善に転化しているのね。

このように、改作されていても、テーマは変わらない。
善が悪に、悪が善に転化するというテーマは、白雪姫という素材に込められていて、それが驚くようなやり方で繰り返しあらわれ出てくるように見えると、リュティさんは言います。

次回は、白雪姫最終回。倒錯のテーマが持つ意味を考えます。

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今日のホームページ更新は《日本の昔話》
「たからのひょうたん」だよん。