ゆたかな子どもたち👧👦

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』の報告

いつまでやんねん?
気が済むまで(笑)

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第2章ファンタジー
その3ゆたかな子どもたち 1958年発表

「ゆたか」っていっても漠然としてるよね。
それで、瀬田先生は、愛情と、自然への感動と、空想っていう、ひそやかに湧き出てくる性質に限定して、書いています。

でね、創作の童話を2つに分類して、ひとつは現実物語、もう一つを空想物語(ファンタジーのことね)と名付けます。

現実物語は、小説で、そこには児童像(主人公の性格)が描かれている。
たとえば、『ハイジ』(ヨハンナ・スピり)
純真で素直なハイジが、おじいさんやクララおじょうさんと愛情を育んでいきます。美しい大自然の中で。
『小公子』(バーネット)
セドリックも純真で天真爛漫な愛で周りの人々を結び付けていく。
こうした家庭小説の次に来るのが、もっと自由な子どもたちが動き回る家庭小説になっていきます。
『点子ちゃんとアントン』『ふたりのロッテ』(ケストナー)
それらは、主にゆたかな愛情を描いています。

空想物語は、児童性が描かれます。
児童(子ども)とは何かという作者の思想です。
たとえば、『ジャングルブック』(キプリング)
『ピーターパン』(バリー)
ピーターパンは永遠の子どもですよね。
そのあとに出てくるのが、前回に報告した作品群です。
それらは、愛情と自然への感動と、空想のすべてにおいてゆたかな世界を作り出している。
と、瀬田先生は言います。

空想の大切さは、前回に報告したので読み直してみてね。

ためになる引用
空想物語は、きわめて個性的な作家の個性的な発想や念願を、撓(しな)いのある若々しく柔らかい魂に触れさせる絶好の機会である。その読者の一生にわたるよいものへの識別力はそのとき養われる。つまり、ゆたかな可能性をたたえた子どもたちに、それは、ゆたかなものへの眼をひらかせる重大な契機なのである。

それでね、小学生のお母さんお父さん、子どもと一緒にファンタジーを読んでみてはいかがですか。
夜寝る前とかに、声に出してよみ聞かせるの。
素敵なひと時になると思う。

それから、これが書かれた約60年前は、日本にはよいファンタジーがないと、嘆いておられます。
それで、わかったことがある。ヤンは子どもの時、日本の物語は文章がいいけど、外国のはストーリーがわくわくして夢中になれるって思ってたの。だから、外国文学(欧米)が好きだった。

今は、日本でもたくさんファンタジーが書かれてるよね。
わたしが好きなのは、荻原紀子の『空色勾玉』とか、上橋菜穂子~!

マスク騒動🐽

そろそろ家の使い捨てマスクの在庫が切れる。
ヒノキ花粉の飛散は目の前だ
どないしょ。

近所のスーパーもドラッグストアも、すんません入荷未定ですねん。
コンビニの兄ちゃんは、めっちゃ早朝でないと売り切れます。
冷たいなあ、どないすんねん。

しゃあない。作るしかないな。
使い捨て時代にどっぷりつかっていてはいけない。
私は曲がりなりにも使い捨て時代を考える会の幽霊メンバーだ。

家には医療用のガーゼがある。
ちょっと弱いなあ。
それで思い出した、ガーゼのタオル。
子どもが生まれたときにお祝いでもらった!
物持ちええなあ。かしこい!

花柄の二重ガーゼ。

夫「おれ、花の少ないとこな」

二重を更に二重にするか、三重にするかで議論が始まる。

夫「三重にしたら息でけへんのとちやうか」

ふたりで、二重にしたり、三重にしたり、四重にしたりして試験する。

夫「けど、ちょっと大きいで」
私「切るねんけど・・・」

顔全部覆ってどうする?
息でけへんって、目、見えへんやん。

夫「ギャザー入れるんやな?」
私「えっ!」

夫「鼻のとこ、針金やったらケガするで」
私「えっ!」

もう自分で自分の分作ることにしよ!

夫「今日の共同購入で頼んどいたマスク、当たるかもしれんで」

どうか当たりますように~~~!

3月のおはなし会💗

3月18日(水)
学童保育  約20人 1~5年生

おはなし「ヘンゼルとグレーテル」
おはなし「かたつむり」『語りの森昔話集3しんぺいとうざ』
絵本『ココロのヒカリ』谷川俊太郎文/元永定正絵/文研出版
絵本『ピーターのいす』E・ジャック・キーツ作/きじまはじめ訳/偕成社

休校・休館になって以来、久しぶりのお話会でした。
「ヘンゼルとグレーテル」は覚えたてのこともあってちょっと緊張(笑)
16分は長いかと思ったけど、1年生もちゃんと聞いてくれましたよ。
毎月積み上げることの大切さを実感しました。

それにしても、子どもたちとのやり取りで、生き返りました。
今までどれだけ子どもからエネルギーを吸い上げていたか、実感しました(笑)
4月、新しい小さな仲間を迎えてのおはなし会、楽しみ!

先生方も、今までにも増して歓迎してくださったのは、きっとコロナ騒ぎで閉塞感やらストレスがあるからなんでしょうね。
早く日常がもどりますように!

空想物語が必要なこと🤴👸

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論 上』の報告は、まだまだ続くよ~

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第2章ファンタジー
その2空想物語が必要なこと  1958年発表

このころ、まだファンタジーっていうジャンルというか、名前が市民権を得ていなかったんですね。
それで、まず、ファンタジーを定義しています。

童話=空想物語=ファンタジー
でも、昔話を童話といった時代もあったから、ややっこしいのね。

それで、簡単にいえば、現実の生活とは関係なく、筆者が独自の別世界を作って、それによって現実をかえってはっきり見せるという創作方法のこと。
リリアン・H・スミスの言葉を借りれば、「非現実のなかの現実、信憑しがたい世界の信憑性の雰囲気に」いきている作品ということね。
たとえば、『不思議の国のアリス』
常識を破ったナンセンスの世界なんだけど、真実があって、それが表面には表れていないだけ。

そんな空想の世界に入るには特別な能力が必要だと瀬田先生はおっしゃいます。
平凡な生活をして、平凡な考え方に慣れている者には見ることのできない深いものを、ファンタジー作者は見えるようにしてくれる。
でも、それは誰でもができるものではないというのです。

『たのしい川べ』(ケネス・グレアム作/石井桃子訳)のネズミとモグラがパンの神に出会う場面をひいて、瀬田先生はこう言います。

新鮮な想像力と驚異の念とがなければ、空想物語の世界も始まらないし、その世界をひらくこともできない。それは大人には特別な能力であるが、子どもには(本来的に子どもである場合に)なんら特別な能力ではない。

そして、「経験生活をはるかに超えて、普遍の真実をひらいてみせる主人公たち」として、次のような作品を例に挙げています。

『ホビットの冒険』トールキン
『灰色の小人たちと川の冒険』B・B
『ムルガーのはるかな旅』デ・ラ・メア
『ミス・ヒッコリーと森のなかまたち』ベイリー
『クマのプーさん』A・A・ミルン
『風にのってきたメアリー・ポピンズ』トラヴァース
『床下の小人たち』ノートン
『ドリトル先生』ロフティング

さて、そんな空想物語は、子どもにとって、人間にとって必要なものだと、論が展開されます。

サン・テグジュペリの『星の王子さま』のなかのキツネの言葉を引用しています。

「秘密を教えてあげるよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは目には見えないんだよ」

また、エーリッヒ・ケストナーの言葉を引いて、
子どもの知性は学校で伸ばせるし、子どもの体はスポーツで鍛えることができるけれど、子どもの第3の力「想像力」は、ほったらかしだ。だから、大人は想像力を涸らしてしまい人間社会におそろしい欠陥が生じたといいます。そして、想像力は子どもたちはみな持っているのに、大人で想像力を持っているのは、芸術家と発明家と庭師だけだと、ケストナーは言います。

ファンタジーは、子どもの想像力を養う上で不可欠だというのが、瀬田先生の考えです。
そして、想像力によって、人は、他人の意見をよく聞く寛容性を持つ。他者を生き生きと全面的に受け入れる。人間的な共感を抱く。

そう考えると、非常識でナンセンスに見える空想の世界に遊び、真実をつかむことのできる人間たちの作った現実は、きっと平和で愉快なものなのだと思えます。
そしてそれは、子どもの時にこそ養われなければならないのです。

みなさん、子どもと一緒にファンタジーを楽しみましょう!

トールキン先生のおもかげ👴ーバークシャー地方の小村にしのぶ

『瀬田貞二 子どもの本評論集 児童文学論上』の報告。
子どもに本を手わたすことのしょうはおしまい。今日からは新しい章にはいります。

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第2章ファンタジー
2-1空想物語が必要なこと
その1トールキン先生の俤ーバークシャー地方の小村にしのぶ 1975年発表

ヤンは、子どもの時から、児童文学の中でもとくにファンタジーが好きでした。
そして、ファンタジーのなかでもぴか一はトールキンの指輪物語だと思っていました。
だから、最初にトールキンについて書かれていたので、嬉しくって!

瀬田貞二さんが指輪物語を翻訳しておられたときに、トールキンはなくなったそうです。
そして、生前に会うことはなかった。
そののち、イギリスに旅した時にコッツウォルズの小さな村の古い旅籠に泊まったんだって。エルフに会いたいと思って。
3泊してあたりを歩き回った。

いたるところに草地が広がり、羊などが放牧されている。

想像するだに、のんびりゆったりするね。
でね、もう日がくれてきたとき、

ある谷あいに「水車亭」という名代のレストランがあって、灯影が見え、扉を押してはいると、バーには人が群れていて、暖炉には太い薪が燃えていた。このとき私は、エルフにこそ出あわなかったが、トールキン先生の俤に出あった。『指輪物語』の出端(ではな)、旅立ちの情景に嵌(はま)っていることをさとった。

う~~~ん。ファンタジー♫