ノートン『床下の小人たち』🚪🛏

『瀬田貞二子 どもの本論文集 児童文学論上』の報告つづき~

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第2章ファンタジー
《夢みるひとびと》ノートン『床下の小人たち』1975年発表

メアリー・ノートン(1903-1992)
【瀬田先生がこの論考を書いたときは、ノートン72歳だったんですね。】
1943年『空とぶベッドと魔法のほうき』最初の子ども向けの物語
1952年『床下の小人たち』カーネギー賞
借りぐらしのシリーズは、『野に出た小人たち』1955年、『川をくだる小人たち』1959年、『空をとぶ小人たち』1961年の4作品。

ノートンは、子どもの頃から、近くの土手や、木の根、もつれ合った草むらなどを舞台に、小さな人形を動かして、物語を作っていたと言います。はるかな森などの大きな世界を見なかったのは、近眼だったからだと、本人が言っています。

近眼だったことと孤独と人形とが、幼いノートンの想像力を育み、そののちの演劇の経験と2度の世界大戦をくぐって得たテーマが、語る者(ケイト)と語られる者(アリエッティ)に仮託されて、4人の子どもたちに与えられたと、瀬田先生は創作の動機をまとめています。

『床下の小人たち』を他の作家と比較します。
ネズビットの影響:『空とぶベッドとまほうのほうき』のときは影響が大きかった。『床下の小人たち』は、主題・構成・描写どれも個性的。
トールキン:トールキンは遠視型、ノートンは、草の根を分けるような近視型
ゴッデン:ゴッデンの『人形の家』はアンデルセンふうの寓意、ノートンの小人は、寓意ではなく人間から独立した存在としてのリアリティをもつ
B・B(ワトキンズ=ピッチフォード):小人族の衰退という視点は同じだが、彼のは博物誌的。

特徴

1、テーマ:借りぐらし族という小人の遍歴
借りぐらしの小人は魔力を持ちません。ひたすら人間からものを借りて、人間を恐れ、人間に見つからないように暮らしています。見つからないため、種族を守るために、彼らは巡り歩くのです。
引用
自己と種族を守る無力な小人が、人間から借りていく性質だけを与えられたとき、あらゆる強権に対して自ら守るほかない私たちの個的存在が、あるいは「内なる我」が象徴的にうきあがってくる。

2、細密画のような描写
テーマを生かすも殺すも描写次第。
細部の刻銘緻密な描写によって、まるで触れるほどのリアリティが生まれています。
その魅力は、読んでみないとわからない(笑)
ほんと、シルバニア以上の愉しさがある(あ、これはヤンの印象。瀬田先生はこんなこと書いてません~)
ところで瀬田先生は、スタンレーの挿絵をべたほめしています。

 

3、構成にみるドラマツルギー
ドラマ、つまり演劇の手法で全体を構成しています。
貼り付けますので、実際に作品を読みながら検証してください。リズムが分かります。

はい、今日はここまで~

ファージョン『リンゴ畑のマーティン・ピピン』🍎

『瀬田貞二 子どもの本論文集 児童文学論上』の報告つづき~

さあて、いよいよファージョンですよ~
ストーリーテリングでも憧れている人たち、多いですね~

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第2章ファンタジー
《夢みるひとびと》ファージョン『リンゴ畑のマーティン・ピピン』1974年発表

エリナ―・ファージョン(1881-1965)
詩人・作家
この時代にしては多作の詩人・作家です。
『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(1921年)は、出世作であるとともに代表作。
『ムギと王さま』(年)は、過去の作品の自選集。カーネギー賞とアンデルセン賞をとります。
ヴィクトリア時代と現代を結ぶ最も強力な絆として、両時代の特色をかねそなえています。

『リンゴ畑のマーティン・ピピン』創作のきっかけ
彼女が兄弟の間で自信のない(というか、精神的に自立できない)まま自活しなければならなくなったとき、ひとりの妻子ある男性に密かに恋をします。彼は第一次世界大戦で、出征して戦死します。
『リンゴ畑のマーティン・ピピン』の第3話は、彼と彼の妻への思いが結晶したもので、この第3話を中心にして全体が作られているのです。

この作品の特質

1、テーマは恋愛。
だから、当時、これは児童文学なのかどうか議論があったそうで、ファージョン自身も子どもの本とは考えていなかったようです。これを児童文学ととらえたのは、アン・キャロル・ムア。
今では、恋愛は児童文学のテーマの一つですけれど。
続編の『ヒナギク野のマーティン・ピピン』は子どものために書かれているそうです。

2、枠物語の形をとっている。
枠物語については《昔話雑学》で書いていますよ~。復習しましょ!
ファージョンが、中世にあこがれ、ドイツ文学を愛した、その現れだろうと瀬田先生は言っています。

3、郷土にゆかりのある風土的文学
イギリスのサセックス州のなんと美しい情景、美しい唄が描かれていることでしょう。

構成
初・中・終の三幕のオペレッタ風の展開
プロローグとエピローグがあり、前奏曲と後奏曲があって、6つの物語が、間奏曲をはさんで語られます。
音楽的です。だから、繰り返しが多用されます。

物語
6つの物語は、どれも昔話などの伝承風の作風です。
『ムギと王さま』よりもはるかにロマンティックでみずみずしいと、瀬田先生は言います。

創作法
引用です。
彼女は若い時から着想に苦しむことはなかった。街上所見、耳に挟んだ寸語、読書のヒント、いろいろなところからアイデアが吸い寄せられてくる。なかでも土くさい民俗のかずかず、遊びや遺留、伝説や遺跡、古い風俗などが彼女に多くのアイデアを与え、それからそれへと空想の翼が生えて、ある事件の雰囲気ができる

実在のものが、ファージョンの魔法の杖のひとふりで、実在のまま別の意味を与えられて、きらびやかな夢に変わるのです。
この魔法にかかってしまう人のなんと多いことか。
幼い子には難しいのですが、ファージョン自身は、子どもはわかりにくさを恐れないだろうと信じていて、作品の根本にある子どもらしさを汲みとってほしいのだろうと、瀬田先生は言います。

ファージョンを語るかたたち、もう一度『リンゴ畑のマーティン・ピピン』を読み返せば、彼女の特質を見直せるかもしれないですね。

はい、きょうは、ここまで。

デ・ラ・メア『三びきのサル王子』🐵

『瀬田貞二 子どもの本論文集 児童文学論上』の報告つづき

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第2章ファンタジー
《夢みるひとびと》デ・ラ・メア『三びきのサル王子』1975年発表

『三びきのサル王子』は、『ムルガーのはるかな旅』として岩波少年文庫で読めます。脇明子訳。

ウォルター・デ・ラ・メア (1873-1956)
詩人・作家
幻想的で神秘的な詩を書く人です。

『ムルガーのはるかな旅』は、作家として早い時期1910年に発表。4人の我が子に読んで聞かせたそうです。
やはり詩的ということもあって、今日に至るまで賛否両論、好悪両端にわかれるそうです。
ヤンは、今回きちっと読んでみて、深く感動しましたよ。途中でやめられなくなって、晩ご飯が遅くなってしまった(笑)

ムルガーとは、デ・ラ・メアの言葉で猿のことです。
人間の話ではないのでとっつきにくいかもしれませんが、とってもリアリティがあるのです。
まるで人間の物語のようでいて、猿の物語なのです。

三匹の猿は、ティシュナー(これも造語)という理想郷・涅槃を探し求めて艱難辛苦の旅に出ます。ティシュナーは、「ムルガーの生活を超えた、ふしぎな世界、秘密な静かな世界」のことです。

山に住む美しい女神としてのティシュナー

瀬田先生は、ティシュナーの描写について、デ・ラ・メアの才能をこう言います。
引用。
表現しがたいものを表現してみせ、五感のおよびがたいものを形にしてくれる才能・・・親しい日常のものの中にあるふしぎ、平凡なのもにひそむ美しさをもとりだしてくれる能力

『ムルガーのはるかな旅』から感動的な描写を紹介します。
「流れの中の真砂のように、おまえの思いのさらさら動く音がきこえることよ」
「かつて愚かなことをしでかさなかった賢者が、あるだろうか?」

旅の終わりごろの絶体絶命の状況の中での、山びととの友情、水の精の悲しみと愛情。
当時も今も子どもには深すぎて理解しがたいといわれてきたデ・ラ・メア作品ですが、決してそうではないと、瀬田先生は言います。

デ・ラ・メアは、何事にも最良のりっぱなものだけが、子どもにふさわしいと考えていました。

ネズビット『砂の妖精』👒

『瀬田貞二子どもの本評論集 児童文学論上』の報告つづき

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第2章ファンタジー
〈夢みるひとびと〉ネズビット『砂の妖精』 1973年発表

イーディス・ネズビット(1858-1924)
幼いころから物語を語ったり詩を書いたりしていました。
結婚してから、生活のために、恋愛小説、怪奇小説、詩を書きに書きますが、成功しません。
1899年『宝さがしの子どもたち』出版。ここで児童文学作者として立つことになります。
1902年『砂の妖精』
このあと、砂の妖精の出てくる『火の鳥の魔法のじゅうたん』『魔除け物語』を書き、三部作が傑作となります。C・S・ルイスも少年時代に刺激を受けたそうです。

『宝さがしの子どもたち』は、ファンタジーではなく小説です。
ネズビットは、この小説の手法を使ってファンタジーを書くことで、それまでの昔話的なファンタジーから新しいファンタジーを創り出しました。
だから、登場する子どもたちは、リアリティにあふれています。
日常を生きる子どもたちが描かれ、読者の分身となって活気にあふれた行動を起こしていきます。

瀬田先生は、『砂の妖精』の最初の章、物語の始まりの持って行き方を絶賛しています。
何事かが起こるに違いないという期待。
サスペンス。
とうとう現れた妖精!の鮮明な描写によるリアリティの付けかた。
引用。
日常蝕知の外にある架空の事柄にいかに信をつなぎうるか。ファンタジーを読者にそれなりの世界として、「信じがたい世界の真実」として認めさせるには、非現実をどれほどリアリティに富むものにするかの力量にかかる。

彼女の作品の後、リアリティに裏打ちされたファンタジーが次々と生み出されていくのです。先述したケネス・グレアムやトールキンなどですね。

それだけでなく、砂の妖精の、願いをかなえてくれるが気難しいというキャラクターは、たとえばトラヴァースのメアリー・ポピンズに引き継がれていきます。

砂の妖精サミアドは、主に子どもの願いを聞いてくれるけれど、日没とともに願いは消えます。サミアドの魔法は、条件付きなのです。この条件付きの魔法も、ネズビットが発明したもので、後続に引き継がれます。

このように、ファンタジーの歴史上、大きな意義のある存在なのですが、瀬田先生は、その魔法のエピソード(ぜんぶで9つあります)自体は、面白くないと批判しています。

各エピソードへの導入はうまいけれど、「つばさ・つばさをなくして」「お城と敵兵・包囲攻撃」以外は面白くないと。
このふたつのエピソードは、教訓的な意図がなくて、子どもらしく自然な話になっています。

瀬田先生は、「ファンタジーの書き方を知りたければ、もう一度この本(『砂の妖精』)を丹念に読むことである。ことに、冒頭を、第1章を。」と言っています。

ストーリーの中身の面白さを堪能するには、次の時代の作家を待たなければならなかったのですね。

きょうは、ここまで。

 

昔話のこと🌈

ちょっと不具合があって、しばらく井戸端会議を閲覧できなかったんですよ~
あたふたしてて、児童文学のまとめができなかった。
ごめんなさい。

で、代わりに。

今朝新聞読んでたら、こんな記事があった。
落語家の柳家小さんが、弟子にね、
「おまえの話はムダが多い。それじゃあ何も伝わらない」って言ったんだって。
それで、弟子の柳家さん喬は、事細かな描写はやめて、
「ごらんよ、きれいな山だねえ」って話すようにしたんだって。

で、ヤンは、はたとひざを打った(笑)
落語も耳から。
私たちの語りも耳から。

「声による言葉」からイメージする。
ある言葉からイメージするものは、一人ひとりが異なっている。
あなたの山は比叡山かもしれないけど、私の山は天王山だからね、実際。
ヒマラヤやマッターホルンの人もいるだろうし。

一人ひとりが異なっていることを前提にして、昔話は語られる。
「山」って言えば、その山はその人独自のもの。唯一無二だよ。
それ以上の人間尊重って、ある?

語り手が伝えたいのは、「あなたは幸せになるよ」というメッセージだけ。
不特定多数の「あなた」のために、無描写にする。

昔話が、本来そっけない簡潔な文体なのは、あなたへの愛なのです。

こうやって、ヤンはときどき「昔話の語法」の尊さを、日常のなかで実感するのです。

新型コロナウイルスは怖いし、先の見えない自粛もつらいけれど、でもね、わたしたち、昔話を生きようよ。
昔話の主人公たちのように、生き抜いてみせよう。

早くお話会、したいね。
勉強会も、したいね。
みんなに会いたいよ~