ぽんです。
5月になりました。
えっ、もう、8日やで、何ぼけてんねんって?
いろいろあった4月を何とか乗り切り、
今、私の気分としては「あぁ、やっと念願の5月」そんな感じです。
さて、今日は中級講座でした。
ご出席下さった皆さん、ありがとうございました。
今日は三人語りました。
三者三様。まさにこの言葉がピッタリな勉強会でした。
①「貧乏神」
出典『雪の夜ばなしー福島の民話』 遠藤登志子・著 ふるさと企画
②「カオ兄弟の物語」
出典『子どもに語るアジアの昔話』 こぐま社
③「「悪魔とその弟子」
出典『吸血鬼の花嫁 ブルガリアの昔話』 福音館書店
ねえ、濃いでしょう?よりにもよってこの三話。
①出典が福島弁。(会津弁かな?) 関西アクセントでない方が語られたので、
100パーセント関西アクセントの私には、福島の言葉みたいに聞こえました。
出典の文章の印象が、遠藤登志子さんの話術に寄ってる所もあるように思えました。
語るのは、大人の前で・・・?。
②ベトナムのお話。
ベトナムでは有名な悲恋物語だそうです。
本文中に台詞はたった一つ 「おねえさん」。
ベトナムの結婚式での風習はこの種のお話から来ているとか。
松岡恭子さんがこのおはなしについて、巻末の『お話について』の中で
「まっすぐにピンとはりつめた空気が流れています
〜(中略)〜
慎みや自制心、思いやりや自己犠牲〜(中略)〜合理的でないと思われる徳を
扱っていますが、
その中から生じるある種の美しさ〜(略)」
と書いておられます。
これも、大人の前で・・・?それともティーンエイジャーに?
③ご存じ「クラバート伝説」と同じ話型のお話。
この出典も昔話集であって、語りの為に書かれたものではありません。
さあ、どうする?
このお話の原話にもどって再話しなおすのか?この出典で無理矢理語るのか?
そして、もっと根本的問題として、「クラバート伝説」を語るのか、それとも同
じ話型のおはなしを語るのか?
皆さん、まさに三者三様。
3名それぞれが、自分の問題として、今後どう取り組むのかが問われたように思
います。
次は7月・・・。
熱いやろなあ・・・あっちゃう。暑いやろなあ。
ぽん
京都一周トレイル 東山 byヤン
京阪電車伏見稲荷駅。
トレイルの出発地点。
昔からかわらぬ朱色に満ちた道に漂う香ばしい匂い。
夫「お、うずらや」
私「たべる?」
夫「やめとこ」
ひと昔まえに比べると外国語が多い。いや、ほとんど外国語。
そういえば先年行った富良野でもそうだった。
異国情緒が漂う……
私「お賽銭は?」
夫「やめとこ」
年金生活では、御利益を願うことすら難しい。
ちなみに正月三が日の賽銭額は、伏見稲荷が全国一だ。なんで……
千本鳥居を上る。
夫「ひとつ、寄進しよか」
私「なんぼやろ」
夫「やめとこ」
山道に入る。
急に人がいなくなる。
夫の後姿を見ながら歩く。
もう何十年もこうして歩いてきた。
足の長さが違うからだ。
6年前に病を得て、ようやく寛解した夫は、ほねかわすじえもんだ。
これはうらじろ、これはなんちゃらつつじ、これはすだじい。
なんぼ言われても覚えない私は、よい妻だ。
山道が心細くなった頃、住宅地に出た。
路地の向こうから、ほら貝の音が聞こえてきた。
剣神社から今熊野神社へ神輿が渡る。
おとな神輿の前を、楚々とした乙女たちがゆく。
神に仕える巫女たちだ。
ひとりが遠慮がちに近づいてきた。
「おはらいしましょうか」
うつむいておはらいを受ける。
私もかつては乙女だった。
いまはおばあさんになって、美しい乙女からおはらいを受ける。
時は過ぎる。
それはけっして不幸ではない。
わっしょい、わっしょい、わっしょい。
子どもみこしがやってきた。
若い衆に守られ、つついっぱいにさけぶ。
わっしょい、わっしょい、わっしょい。
私もかつては子どもだった。
時は過ぎる。
それはけっして不幸ではない。
渋谷街道から清水山への道をとる。
あれ、目じるしの階段がないぞ。
探すうちに夫が先へ歩いていく。
そっちとちゃうで…
呼んでも聞こえず。
山へ向かうなら、登るはずではないか。
夫はどんどん下っていく。
追いかけたけど追いつかない。
足の長さが違うからだ。
取り返しのつかない地点まで来て、やっと立ちどまった。
追いついた私に、ひとこと。
「おかしいなあ」
おかしいのはあんたや。
京都一周トレイル東山コースはこうして終わった。
きょうは、美しい乙女からおはらいを受けた。
人生はそう捨てたものではない。
前向きに歩こうと思った。
帰りの京阪電車で、席を譲ってもらった。
頭を下げてふと見たら、同年配の男性だった。
思わず帽子を目深にかぶった。
うううん、ちゃう。英国紳士やと思うとこ。
ヤン
ヤン・ぽんメール byぽん
(ぽん)
・・・前略・・・最近の「テキストに手を入れる」どう思います?
(ヤン)
どうって?
(ぽん)
いやね、このままやと
「テキストに手を入れるためにはヤンさんレベルの勉強が必要」
→「それが出来ない人はやってはいけない」
になってるなあと思って・・・。
「勝手にやってはいけない」→「ヤンさんに頼む」→「引き受ける」→「しんどな
る」(笑)
まあ、「しんどなる」は別としても、「頼む」じゃないと思うんですよね。
「やってはいけない」も違うような気がします。
「あかんからやらない」じゃなくて「あかんから頼む」でもなくて、
「自分でやれる力をつける」やと思うんです。
そのためのババヤガーやと・・・。
(ヤン)
そうやん。その為に三つも勉強会やってるんやん。
(ぽん)
そうなんです。
三つもやってるんですよね。
「日常語」「中級」「再話」、どれも目指すところは同じ。
独立した語り手になること。
どの勉強会でも、「正解を教えてもらう」ではない。「正解は自分で探す」
その探すためのヒントを学ぶ場がババヤガーやと思うんです。
いろんな刺激を受けて、お互いに学び合って、自分の語りにいかす。
そんな集団を作りたくて、ヤンさんに講師をお願いしたし、私も遠くまで通う決
心をしたんです。
(ヤン)
そやねん。だから、「テキストに手を入れる」の是非なんか言い切れないって書
いてん。
そして、あの私のやり方は、私のやり方であって、その通りにやらんでもいい。
ひとつのヒントとして考えてほしい。
私を祭り上げたらあかん。
わたしが「いい」って言うたら、ええのんかい!?ってこと。
(ぽん)
そうそう、そうなんです。
ヤンさんの許可を貰うための集団やないんです。
ひょっとして、ひょっとして、ですよ。
勘だけで、素晴らしいテキストを作れる人がいるかもしれない。
そしたら、そんな天才的な人は、自分でどんどんやってええんですよ。
残念ながら、私にはそんな天才的な勘はありませんけどね。
みんな一律やないんです。千差万別。
それぞれが自分のやり方を見つけて欲しい。
私の目指すところは、メンバー全員がいずれは自分で判断できるようになること。
(ヤン)
えらい、熱いなあ。
実際に、私よりセンスのいい人、なんぼでも見てるよ。
私はセンス・資質がないから、あのやり方でやってるだけ。
遠回りやけど確実なやり方やと思ってる。
資質がないから遠回りしている。
語法も再話も類話比較も、めっちゃ遠回りやん。
けどね、その遠回りが他の人の学びのヒントになると思う。
「まなぶ」は「まねぶ」やからね。
そこから出発してどんどん自分らしい方向をつくっていってほしいねん。
(ぽん)
「まねぶ」ねぇ。
それはそれで大変なんですけどね。
あっ、お風呂溜まった。
お風呂入ってきまーす。
(ヤン)
えらい、あっさりやね。
ま、ええわ。おやすみ〜。
いよいよ再話勉強会が始まりました byぽん
ぽんです。
報告がすっかり遅くなってしまいました。
4/23(木)
ババ・ヤガーで、いよいよ再話勉強会が始まりました。
今回は第1回ということで、再話する際の注意点などの講義がありました。
①原話と再話について
②再話の手順
*口承資料の見つけ方
*原話の選び方
③再話する際の注意点
*昔話の語法
*場面が見えること
*時間の順序を把握すること
*視点の位置
④その他の注意
*人物の名称
*昔話の語法の活用
*主格の用い方
*会話文の扱い
*句読点の付け方
その後、グループ発表と勉強会の進め方についての説明があり、
最後に説明会で出された宿題の講義がありました。
宿題の講義では、「田植えぎつね」の原話と再話を比較して
実際に、どのように再話されているのかを具体的に説明して貰いました。
次回からは、グループ毎に再話したお話を1話もってきて
全員で検討しながら再話を完成させていくことになります。
次回は10月。
メンバーの皆さん、力を合わせて頑張って行きましょうね。
現代の語り手 byヤン
4/21「語りを始めるお手伝い」へのごぶさんのコメントにお応えします。
伝承の語り手は過去の記憶の中から語る。
たぶん、語れる人だけが語り手になる。
昔話の言葉を自在に操れる人がよい語り手になる。
現代の語り手は、本に書かれている「テキスト」から覚えて語る。
わたしも含め、我も我もと語り手になる。
昔話の言葉も知らず、日常会話も不得手なままに。
あ〜恐〜〜(笑)
そやからね……
現代の語り手にとって、テキストは絶対です。
だから、よい語りをするためには、よいテキストを手に入れなくてはいけませんね。
では、よいテキストはどこにあるか?
ストーリーテリングの本拠地(笑)東京子ども図書館が「おはなしのろうそく」
を出していますね。
ほかに、「語るための〜」「子どもに語る〜」等々。
けれども、東京子ども図書館の「レクチャーブックスおはなし入門」シリーズに
も書かれているように、実際に語りをすると、テキストの文章に変更を 加える
必要性も出てくるのです。
語り手の個性は百人百様だし、テキストの作者・再話者も姿勢が様々だから。
つまりテキストに手を加えていいのです。
けれども。
そうです。さらに「けれども」です!!!
テキストが本になって出版されるまで、才能ある方たちがどんなに苦労しはった
と思いますう?
一言一句、血と汗と涙の結晶ですよ!
かんたんに変えていいはずがない。
テキストに手を入れるなら、それと同等、とは言えないまでも相当の努力と苦労
が必要です。
と、私は自分に言い聞かせています。
では、どのような努力か?
創作は原則変えてはいけないと思っているので、「昔話」について、私がしてい
ることを告白します(笑)
1、昔話の資料集と再話集を限りなく読むこと。
ひとつひとつの話はすぐ忘れるけどね、でもいいのです。見えてくるものはあり
ます。
ときどき、類話比較します。
2、『昔話の語法』を読みます。
その理論を自分が語ろうとする話に当てはめてみます。
昔ばなし大学を受講されている方は、文法指摘というあれに近いかな。
受講されていない方はHP≪語るために≫の用語集に書いてある本を読んでみてね。
3、語って語って語って、自分の耳に聞かせます。
口がOKというのではなく、耳がOKというかどうかです。
そのあと、申し訳ないけれど、聞き手が実験台です。
上記2と3の工程を経ていれば、たいていは聞き手もOKですが。
4、おなじ話でも、何年も語っていると、細部の言葉が変わってきます。
聞き手の要求によって変わる。
でも、自分の怠慢によって変わることもある。だから、テキスト確認。エンドレ
ス(笑)
なんでそこまでやるう〜って?
当たり前やん。
昔話は人類の文化遺産ですよお〜
聞き手の子どもたちは人類の未来ですよお〜
わお〜
たのしいよ〜♪
ごぶさん
わたしは、他の語り手に、変えてはいけませんと言い切ることも、変えてもいい
ですと言い切ることもできません。
ただ、わたしの講座に来てくださっている初心の方々にはこういいます。
「練習していてどうしても覚えられないことろがあったら、いうてね。テキスト
を変えられるかもしれないから」
こたえになったかな?
ごめん、なってないね……
ヤン